落日 58
(58)
残照は既に力なく、辺りは夕闇に包まれようとしていた。
今日の日の、夕映えの不吉なまでの赤さに人々は眉をひそめ、暗く赤く残る最後の光がその力
を失い、常なれば厭うはずの夜闇が訪れてやっと彼らは息をついた。
それでも月のない夜は人々を不安にさせる。
その為に、今夜にでもここを発とうとしていた彼は強引に引き止められた。
更に、湿り気を帯びた風が野分きの訪れを予感させ、今日こそは何があろうと旅立とうと思って
いたはずの彼を、この地へ引きとどめた。月の無い嵐の晩は旅立ちには危険すぎる。捨て切る
ことのできない理性が、それでも早く出立したいと叫ぶ感情を抑え、彼は不安な面持ちで空を見
上げながら、後ろ髪を引かれる思いで屋内へと戻った。
都から遠く離れた東国で、既に儚くなってしまったであろう人を思う。そして残された少年を思う。
彼を思うとざわりと胸が波立つ。そうしてあの日からずっと己を捕らえている焦燥感にまたもや、
身が焼け焦げるような苛立ちを感じる。
あの日、あの人とすれ違ったすぐ後にこちらへ下るようにと命ぜられた。
東国に人を喰らう鬼が出る。先に遣わした陰陽師はけれど逆に鬼に魅入られ、自らの身を鬼に
捧げ、彼の身を喰ってその鬼の力は益々強大になり、土地の者どもは夜ともなればただひたすら
怯えて家に閉じこもるしかなく、そして夜も更ければ、鬼は野を、里を流離い、恐ろしい、哀しい声
が、哀切な唄を吟じるのだという。
それを鎮められるのは、例え年は若くとも、今、都で最も力があると言われる賀茂明その人しかい
ない、と、言われて断ることなどできなかった。
唐突なその命に、「彼」と交友の深かった自分が、図って都から遠ざけらようとするのだろうかとも
疑った。だが勅命とあれば致し方ない。
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