誘惑 第三部 59


(59)
「なんか、新鮮。」
「何が?」
「ここに塔矢がいるのが。」
何を今更、とアキラは思う。この部屋に来たのは、確かに久しぶりではあるけれど、今までに何度
も来ているのに。それを見越したかのようにヒカルが言う。
「そりゃ、今までにだって何度も来たことあるけどさ、」
ヒカルは一旦言葉を切って、アキラの顔から目を逸らし、それから低い声で話し出した。
「あん時さ、オレ、もう、会えないのかもしれないって、思ってた。」
ヒカルの話し出した内容に、アキラが表情を曇らせた。
「オレ、おまえが中国に行っちゃったのも知らなくて。
置いてかれたって、思った。
もう塔矢はオレなんか要らないんだって。だから一人で行っちゃったんだって。
バカだよな。自分から会いたくないって言ったくせに。」
ちらっと顔を上げてアキラに向かって小さく笑い、それからまた俯いて、続けた。
「でも、そのあと、おまえの打った棋譜見てさ、オレ、思ったんだ。
塔矢ってやっぱりすげェや、オレも塔矢と打ちてェって。そんで、ずーっとその棋譜見てた。
あん時、オレ、おまえとはもうダメなんだと思ってた。でも、それでも、おまえがもうオレなんか要ら
ないって言っても、それでもオレはおまえを追い続けてしまうだろうって。オレとおまえとの間の絆
は、切りたくても切れないんだって。オレがずっと打ち続けてて、やっぱりおまえも打ち続けてたら、
それだけで、オレはおまえと一緒にいられるって。
オレ、一人の人間としての塔矢アキラがすごく好きだけど、おんなじくらい、碁打ちの塔矢アキラ
が好きだ。おまえの碁が好きだ。オレの憧れだ。だから、」
そう言うと、ヒカルは顔を上げて、真っ直ぐにアキラを見た。
「打とう。」
ヒカルの、迷いも無い真っ直ぐな眼差しに、アキラは目を瞬かせた。
「オレと、打って、塔矢。」



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