落日 59


(59)
今は祓ってしまった鬼の、魂を裂くような吟が耳について離れない。
哀しい存在だった。
人の心の闇が凝縮し、それに押しつぶされて喰らわれた時、ヒトはオニと成る。陰陽師としてその
ような存在と相対したことは無かったではないが、けれどそれでもあのように哀しい存在を知らな
かった。
かつて愛した、そして自分を裏切った愛しい男を呪い、捨てられた自分自身を呪い、世を呪い、全
てを呪い、男の血をひいた幼な子を喰らい、ついには子を攫っては喰らう鬼と成り果てた女。
ひとは誰でもあのような鬼に成り得るのだろうか。
男が女を騙したのではない。裏切ったのではない。女は男の在りようを理解できず、男もまた、己
を曲げて女に寄り添うことはできなかった。

幼い吾子の柔らかな皮膚を切り裂き、血肉を啜りながら鳴く鬼の、哀しい、哀しい、哀しい、という
慟哭の声が、闇に吸い込まれながらも木霊していた。哀しく恐ろしいはずなのに、それでも背筋が
震えるほどに美しく、惹き込まれるような声だった。
その美しい悲鳴が未だ耳に残るような気がする。
女の、男への想いが妄執であったなら、男の、自らの業にかける心も妄執であったのだろう。
男が最後に手掛けた美しい蒔絵の手鏡は、けれど完成される事はなく、妄執を焼き払う炎となって
彼らを包んだ。天にも届くほどの火柱が、鬼を包み、鏡を包み、闇夜を昼に変えるほどの眩さで燃
え上がり、次の瞬間にはぱっと消え去った。
やがて訪れた朝の光の下、土も草も何一つ焼けた後など残さぬその場に、黒く焦げた丸い鏡が、
それだけが彼らの存在した証であるかのように、遺されていた。



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