平安幻想異聞録-異聞- 59 - 60
(59)
佐為とヒカルは顔を見合わせた。
「この屋敷には、強力な結界が張り巡らされています。近衛の家や佐為殿の家に
いるよりは遥かに安全なはずです。それに今夜また、その蟲が現れるような事が
あっても、僕なら上手くすれば、調伏し滅することが出来るかもしれません」
「なるほど」
「いいかな、近衛」
「いいも何も、それしかないんだろ?」
そう言って、ヒカルは横に座す佐為の手首を見た。手首に巻き付くように残る
赤い痣が痛々しかった。危険なのはヒカル自身だけではない、一緒にいる佐為も
危険なのだ。何より、これ以上佐為を危険な目に合わせたくない。
なにしろ自分は佐為の護衛なのだ。
その護衛が、佐為の危険の元になってどうする。
「うん。オレ、今夜はここに残るよ」
隣りの佐為の顔を見上げる。細い眉が心配そうにひそめられていた。
「大丈夫だよ。賀茂がいるし」
「そうですね…わかりました。ヒカルの家には、私が帰りに寄って、
今日は賀茂家に宿泊の旨、伝えておきましょう」
「頼む」
佐為が長い髪を揺らして立ち上る。
ヒカルは帰途につく佐為を、門のところに立ち、賀茂アキラと肩を並べて見送った。
「部屋に入ろうか」
門を閉めようとする、アキラの手をヒカルの手が差し止めた。
「ごめん、ちょっと先に部屋帰ってて」
そう言い残して、ヒカルはわずかにまだ開いていた門の隙間から通りへ、
アキラを残したまま、しなやかな仕草でするりと抜け出す。
「佐為!」
後ろから走ってきたヒカルに、佐為が驚いて振り向いた。
その佐為に、ヒカルはそのまま飛びつくように抱きついて、背伸びし、
つま先立ちになり、唇を合わせる。
淡い口付けだった。
どんな人目があるかもわからない往来でのこの行為に最初は驚いた佐為だったが。
すぐにそっとヒカルの背を持ち上げるように手をまわす。
お互いの身体の温かさがじんわりとしみてきて、離れがたかった――。
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ヒカルが部屋に戻るとアキラが何やら、あちこちに札を貼り付けては九字を切り、
小さく口の中で呪言のようなものを唱えている。
「何してんだよ」
「結界の補強だよ。普段からこの家には、かなり強い結界が張ってはあるんだけどね。
念には念を入れだ。寝所のまわりにもと思って」
「ふうん」
作業をするアキラをヒカルは興味深そうに見つめる。
「今夜も来ると思う?」
「たぶんね」
聞いただけで、ヒカルの背筋を悪寒が走った。昨晩、自分の身体に絡まった、
ベッタリとした肉の感触。中にまで入り込んできた、異形の蛇のやけに
ひんやりとした……
「顔色、悪いけど大丈夫?」
「平気だよっ」
「確かに。それだけ、強がれれば大丈夫だ。なにしろ相手は妖力を蓄えたムカデ
だからね、心してかからないと」
「ムカデかー」
「そう、歳20年を数えるオオムカデだよ」
「20年………」
アキラの目は真剣だ。どう答えていいかわからずに、ヒカルはバカな事を言った。
「オレより年上なんだな、そのムカデ」
「……………」
重い沈黙が落ちた。アキラがボソリと口を開く。
「冗談だったんだが」
だいたい、ムカデの年齢なんかわかる訳ないだろう、と。
「あ、あのなーーーーっっ」
「うん、そうしてる方が、君らしいな」
そう言って、アキラは照れたように、また作業に戻ってしまった。
もしかして、こいつ、オレのこと元気づけようとしてくれてるのかな、とヒカルは思う。
ひどく不器用なやり方ではあるけれど。
(そういえば、あの妖怪退治の時も、その後も、オレ達が会うときって、いつも
そばに他の誰かがいて、二人っきりってのはなかったよな)
小さなころから陰陽師として教育を施され、家族らしい家族は使役する式神だけ
だったらしい。
そのことで昔、アキラとはケンカになって、囲碁での勝負までしたことがあった。
そして、それがきっかけで、少しはお互いのことを知るようにはなったけど。
そんなことをつらつらと考えながらヒカルはアキラの動きを眺めていた。
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