戻り花火 6 - 10
(6)
時季外れの二人だけの花火大会の最後を締めくくるのは線香花火だった。
風に消されないよう二人が掌をかざして見守る中、
星を散らすような火花が夜の闇に弾けてジッ、ジジッと生き物が鳴くような音を立てた。
火花はやがて小さくなり、オレンジ色の熱が凝って綺麗な火の玉が出来上がる。
まるく凝った熱は自らの重みに堪えかねて、まずアキラの持っているほうが
ポトリと雫のようにオレンジ色の光の尾を引いて暗い地面に落下した。
「あ、」と少し残念そうな声を上げてから、アキラは再び沈黙した。
ヒカルが視線を上げると、アキラはしゃがんだ膝の上に手を揃えて置き、最後に残った
ヒカルの線香花火をじっと見守っている。
蝋燭と線香花火のかすかな灯りに照らされて、伏し目勝ちの睫毛が滑らかな頬に長い影を作っている。
ヒカルが花火でなく自分を見ているとは思いもしないのだろう。
僅かに唇を開いた無防備なアキラの顔からヒカルは目を離すことが出来なかった。
だから自分の線香花火が燃え尽きたのも、アキラがまた「あ、」と声を上げたことで初めて知った。
しばらくの間アキラはなお、花火の火滴が落ちていったのだろう地面の方向に視線を注いでいたが
やがて顔を上げると感心したように「凄く大きな玉だったね」とヒカルに言った。
本当はアキラの顔ばかり見ていたから花火の終焉間際の輝きなど見ていない。
だがヒカルは「あぁ」と答えた。
自分にずっと顔を見られていたなどと、アキラは知りたくないだろう。
(7)
「・・・今日は、付き合ってくれてありがとう」
「いーよ。・・・オレもこの時季に花火が出来るとは思わなかったしな」
そう、アキラがまた花火を買っていたことさえ知らなかったのだ。
「先に上がっていてくれ。ボクはこの水を流したら戻るから」
小さな青いバケツを軽く持ち上げて見せながらアキラが言ったので、
「あぁ、」と頷いて縁側から家の中に上がり込んだ。
月明かりだけが差すひっそりとした廊下を渡り障子を開けたそこは、かつて二回――
日数にすれば数日間――ヒカルが泊まったことがある部屋だ。
一人ではなかった。
いつも社が隣に布団を並べていた。
北斗杯前夜も、その後夏にこの家に滞在した時も、夜はこの部屋で社と二人で眠った。
そうしてヒカルがこの部屋に泊まった一番最後の夜には、そこにアキラが加わって
三人になっていた。
「・・・進藤。どこにいるんだ、進藤」
電気を点けていなかったから、ヒカルがどこにいるかわからないらしい。
自分の名前を呼びながら月明かりの廊下を渡ってくるアキラを、ヒカルは不意打ちのように
部屋に引き入れ抱きすくめた。
外で肩を触れ合わせている間は想像することしか出来なかったアキラの温もりを腕の中に味わう。
「しんど・・・」
瞬時に身を強張らせたアキラの唇に噛みつくようなキスをする。
アキラがそれに驚いて気を取られている隙に、ヒカルはアキラの体を宙に浮かせるようにして
部屋の隅まで移動した。
そうしてそこに畳まれてあった布団の上にアキラを投げ出すと、覆い被さって股間に手を入れ
激しく揉みしだき始めた。
(8)
アキラが息を呑み、体をよじってヒカルを押しのけようとする。
その抵抗を封じるように、服の上から股間をきつく握り込む。
「や、進藤っ・・・!放せ」
「イヤなの?・・・オレがイヤ?」
「そういうわけじゃないが・・・こんな、い、痛いよ、アァッ、」
痛いと言われてさすがに力を緩め、代わりにゆるゆると捏ね回すような動きでその部分を揉む。
瞬時に、アキラの喉の奥から押さえ切れない甘い呻きが洩れた。
掌全体でそこを包み込んでぶるぶると強めの振動を加えてやりながらヒカルは言った。
「こんな風に強引にされんの、オマエ大好きなくせに」
「そ、そんなこと・・・ぁ、・・・はぁ・・・ん、・・・あぁっ・・・!」
「社の時だって・・・」
自分の下でそのまま快楽に落ちていくかに見えたアキラが、目を見開いた。
ヒカルは唇を噛み締め、アキラの足の間に潜り込ませていた手を一旦引き抜いた。
アキラに聞かせるようにはっきりと呟きながら、手を彷徨わせる。
「・・・あの時は、どうやったんだったかな?確か・・・」
「や・・・嫌だ・・・嫌だ、進藤・・・」
アキラの声に怯えが滲むのを無視して、ヒカルは自分の両手でアキラの両手首を掴み
束ね合わせるようにしてアキラの頭上の布団の上に押さえつけた。
「確か俺がこうして、それから社が・・・」
「進藤!」
アキラが悲鳴を上げた。
それに構わずヒカルは片手でアキラの両手首を押さえつけたままもう片方の手でアキラの衣服を
剥ぎ、早鐘を打つ胸から蒼白な腿までを露わにした。その中央には、既に熱く昂り立ったものがある。
「――それでもオマエ一言も、やめろとは言わなかったんだ」
自分の影に覆われたアキラの、大きく見開かれた濡れた瞳に一瞬視線を合わせると、
ヒカルはきゅっと目を瞑りアキラの首筋に顔を埋めた。
そこはアキラの肌の控えめな甘い匂いと、火薬と煙の不穏に刺激的な匂いとが混じり合っていた。
(9)
社が数日間の予定で上京してくることになったと切り出されたのは七月の初め、
アキラとよく会う碁会所でのことだった。
「・・・ふーん」
咄嗟には、それだけしか言えなかった。
いま石を置こうとしていたところだったのに、どこへ打つつもりだったかわからなくなる。
自分とアキラの間で生き生きと意味ある模様を織り成していたはずの盤面が一瞬、
無機質な白黒のドットで構成されたバラバラの絵に見えた。
それでも指は勝手に道筋を見つけ、自動操作のように盤上の一箇所に黒石を置いた。
石を打ってしまったことに気づいてから、慌てて頭の中でその場所で良かったか確認する。
幸いそれはヒカルが打とうと考えていたのと同じ場所で、打たれたアキラも「なるほど」と呟き
腕組みをして考え込んでいる。
伏し目勝ちにしていると強い目の光が隠れて少し儚い雰囲気になるアキラの顔を見ながら、
出来るだけ無感情な声でヒカルは言った。
「――で?」
「うん。関西棋院には、同年代で彼の相手になる棋士がいないらしくて。キミやボクや
中韓の棋士と打てた北斗杯が懐かしいって言うから、夏休みにこっちに来て研究会でも
しないかってボクのほうから言ったんだ」
用意されていたような淀みない答えを返しながら、アキラが白石をパチリと置いた。
(10)
「ふーん・・・オレは別に構わないぜ。そうだな、・・・オレも社とは久しぶりに打ちてェし、・・・」
「なら、後で日程を決めよう。彼のほうは、こちらの都合に合わせて仕事の調整をしてくれると
言っていたから」
「んー・・・」
返事とも思考中ともつかないような声を返しながら、ヒカルは黒石を持った手を迷わせた。
――社が来る。また、自分とアキラと打つために。
嫌なわけではない。
社とまた打てるのは楽しみだったし、北斗杯やその後の交流を通して知った社の人となりにも
一つも悪く思える所はなかった。
それなのに妙な胸騒ぎがして収まらない。
ヒカルとの会話の中で禁忌のように互いの名前を避けていたアキラと社。
その二人がいつの間に連絡を取り合い、再会の段取りまで行っていたというのか。
自分の知らない所で二人はどんな会話を交わしていたのか。
北斗杯の後もずっと二人が連絡を取っていたとするなら、何故それは自分に隠されていたのか。
黒石をまた一つ盤上に置いてから、ヒカルは脇に置いてあったお茶を喉も渇いていないのに
一口飲んだ。
つっかえたようなゴクリという音がやけに大きく盤の上に響く。
予想していた手だったらしく、ヒカルが湯呑みを元の場所に置き終わらないうちに
アキラはすかさずパチリと別の場所に攻めてきた。
「で、こっちにいる間社にはまたうちに泊まってもらうことになった」
「・・・ふーん。いいんじゃねェ?・・・オマエんとこ今一人だし」
口に出してから、言葉の意味が胸を焼いた。
アキラの両親はずっと外国を回っており、家を空けている。アキラは今あの家に一人なのだ。
そこに社が泊まり、アキラと二人きりで過ごすというのだろうか。
盤上の石の並びがゆらりと歪んで、また無秩序なドット柄に見えてくる。
考えようとしても拡散してしまう。
普段なら、何があってもこんなに盤面に集中出来なくなることなどないのに。
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