無題 第2部 6 - 10


(6)
「芦原さん…?」
声の主に気付いて、向こうの様子が変わった。
「ごめんなさい、すぐ行きます。」
やはりいたようだ。寝ていたのを起こしてしまったろうか。申し訳ない気分になりながら、門が
開けられるのを待った。
カチリとカギが開けられる音がした。カタカタと音を立てて開けられた門の向こうにいる少年を
見て、芦原は息を飲んだ。
「アキラ、オマエ、どうしたんだ…!?そんなにやつれて…」
頬の肉が落ち、元々細身の体が更に細くなったように見える。顔には血の気が無く、芦原を
見上げるその瞳にも、力が無い。
「…そうですか?少し寝込んでしまったもので…」
弱々しい声でそんな風に応える少年の身体を、芦原は思わず抱きしめた。
「バカヤロウ…!なんで、そんなになる前に連絡しないんだ!?」
「今、お父さんもお母さんもいないんだろう?言ってくれれば来てやるのに…」
腕の中で、アキラが小さく頷いたのを、芦原は感じた。
それが頼りなげでいたいけで、自分が守ってやらなければいけない存在に感じて、芦原は彼
を抱く腕に力を込めた。背中に回された手が、ぎゅっと芦原の上着を掴んだ。
「…ううん、大した事ないんだ。ただ、ちょっと風邪をこじらせただけなんだ。」
そう、ちょっと風邪を引いただけ。頭が痛いのも、身体のあちこちが痛むのも、食欲がないのも。
アキラはそう自分に言い聞かせた。


(7)
「こんなにひどくなる前に、オレでも緒方さんでも呼べよ。病気の時に独りって、心細いだろ?」
腕の中で、アキラがビクリと身体を震わせた。
不安そうな目で芦原を見上げ、何か言いたげに唇を動かすが、言葉が出て来ないようだ。
熱のせいか瞳が潤んで、頬が微かに紅潮し、渇いた唇がふるえている。
―コイツって、こんなに色っぽかったっけ…?
縋るようなその瞳に、芦原は一瞬ぎょっとなった。
力の入らない腕で、芦原にしがみつき、膝が小さく震えている。
―マ、マズイ…ヘンな気になりそうだ。
「ごめん、寒いだろ?中に入らなくちゃ。」
動揺を誤魔化すように、芦原は慌ててアキラにそう言い、薄い肩を抱いて、母屋に向かった。

「寝てたんだろ?起こしちゃって悪かったな。」
「ううん、起きてたんだけど、出るのが面倒で…ごめんなさい。」
「ちゃんと食べてるのか?」
「…少し。」
「駄目だろ、ちゃんと食べないと…おかゆとかだったら食べられるか?作ってやるから」
熱のためだけではないような、妙に弱った雰囲気のアキラを見ているとおかしな気分になって
きそうだ。そんな自分を誤魔化すように、芦原はアキラを部屋において、台所へ向かった。


(8)
「ごちそうさま、ありがとう。」
芦原の作ってきたおかゆを食べきって、アキラは芦原に礼を言った。
あれ以来ほとんど何も食べていなかったから、それなりに空腹だったのかもしれない。
「台所散らかしちゃったよ…後で片付けとくけど、ゴメンな。」
「ううん、大丈夫だよ。今、週に2日家政婦さんが来てくれてるから、そのままにしておいても、片付
けてくれると思う。」
「そうなのか?ハハ、慣れない事すると、後始末が大変だよね。」
そんな、芦原の屈託のない笑顔がアキラを安心させた。
この人は変わらない、アキラはそう思った。アキラには芦原の変わらなさが嬉しかった。
この人に言ってしまおうか。この人なら、何か答えてくれるのではないか。
そう思って、呼びかけてみた。
「ねぇ、芦原さん、」
けれども、口をついて出てきたのは思っていた事とは違った。
「前に、言ってましたよね。
誰かの顔が、目に浮かんで離れない、いつもそのひとの事ばかり考えてしまう、それが、恋だって。
芦原さんにはそんな人がいるんですか?」
以前に聞かれた時とは違う真剣なアキラの表情に、芦原は若干戸惑いながらも、同じように真剣
に返した。
「…いるよ。いや、いた、って言うべきかな。…もう、…ダメになっちゃったけどね。」
芦原は過去の痛い経験を思い出して、しんみりして言った。
それから、アキラに問い返した。
「オマエにはいるのか?そういうヤツが」


(9)
アキラは芦原の顔を見詰め、それからゆっくりと首を振った。
「わからない。」
そして、目を伏せて、小さい声でこんな風に答えた。
「わからないんだ。ボクは…ボクには…。
それにそんな風に言われても、やっぱり、ボクはどうしたらいいのかわからないんだ。」
正直、ここで恋愛相談とは、と芦原はちょっと驚き、それからこんな感慨に耽った。
―でも、アキラもこんな事で悩むようになったんだなあ。そうだよな、もう中学生だもんな。
うーん、そうか、さっきの超色っぽいアキラは恋する少年のオーラだったのかぁ。
いや、でも「言われて」って事は、誰かに告白されて悩んでるのか?
コイツも生真面目なヤツだからなあ…。
でも、うん、さっきのアキラはオレでもクラクラするくらいだから、本人は気付いてないだけなんじゃ
ないかなぁ…?
そんな事を考えながら、芦原はアキラに聞いた。
「誰かに、言われたのか?好きだ、って?」
「…そういう事、なのかな…?」
―あの人は一体どういうつもりで、ボクにそう言ったんだろう。ボクを好き?ボクに恋してる?
大人の、男の、あの人が、ボクを?しかもボクだって男なのに?そんな筈、あるわけない。


(10)
そんなアキラの混乱をよそに、芦原は聞いてくる。
「じゃあ、アキラはソイツの事をどう思ってるんだ?嫌いかい?」
「嫌いじゃ、なかった。…でも、そんな事、考えた事も無かった。」
「じゃあ、その子にもそう言えばいい。オマエの素直な気持ちをさ。それから先は、まだどうなるかは
わからない。でも"わからない"って気持ちだけでも答えてあげなくちゃ。」
そんな風に返されて、アキラは小さく苦笑した。
―"その子"って、なんだろう?同じ学校の女の子とでも思ったのかな。それなら、そんなに悩んだり
しない。それに言われただけなんだったら、やっぱりこんなに考えたりはしない。
だが、芦原はアキラが小さく笑ったのを、納得したのだと誤解したようだった。
アキラの頭をぽんと叩いて、笑ってこう言った。
「ま、あまり深く考えるなよ。考えたってどうにもならないんだ、こういう事は。
アキラの気持ちに素直になるのが一番だよ。」

多分、思いっきり誤解したであろう芦原が、何故か心地良かった。
この誤解を解く必要なんかない。そうすれば、この人は変わらずにいてくれるだろう。
この人の鷹揚さや、幾分とぼけたのんきさが好きだ、とアキラは思った。
今日、芦原が来てくれたのは本当にありがたかった。他の人では、こんなにリラックスした気分に
はなれなかっただろう。
「大丈夫だよ、もう、きっと。芦原さんのおかげだよ。今日は色々とありがとう。」
にっこり笑って、アキラは玄関先で芦原を見送った。



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