少年王アキラ 6 - 10
(6)
アキラ王は金沢へ旅立つべく、自室で荷物の準備に取りかかった。
金沢競馬場は全国に10ある中央競馬場ではなく、地方競馬場である。
だが、競馬ファンの民をして「万馬券あるところアキラ王あり」とまで
言わしめる華麗なる万馬券ハンターに中央も地方も関係はなかった。
ペンケースから赤鉛筆を取り出し、ナイフで心を込めて先を尖らせる。
「この赤鉛筆で、ボクは幾多のレースを的中させてきた。ボクの万馬券に
かける魂の全てが、この赤鉛筆に込められていると言っても過言では
あるまい……」
芸術的なまでに美しく削り終えた赤鉛筆を手に、アキラ王は窓辺に向かうと、
赤鉛筆を空にかざす。
その鋭い先端を恍惚として眺めるアキラ王はふと呟いた。
「……レッド……そう、ボクの情熱……」
熱い溜息を漏らすと、遥か空の彼方を見上げる。
輝くばかりの笑顔を見せるレッドの姿を思い浮かべ、アキラ王は微かに
震える手で赤鉛筆を唇に寄せた。
そんなアキラ王の背後から、哀愁漂う楽の音が響き渡る。
♪あ〜か〜え〜んぴ〜つ〜に、くちび〜るよ〜せ〜て〜
だ〜ま〜ってみ〜て〜い〜る、あ〜おい〜そ〜ら〜
レッドはなんにも言わないけれど、レ〜ッドの気持ち〜は〜
よ〜くわ〜か〜る〜
レ〜ッド〜かわ〜い〜や〜、かわいやレ〜ッド〜
そこには恭しく跪き、ラジカセのスイッチを押す可憐な執事、座間の姿が
あった。
(7)
アキラ王は、自分の恋心をそのまま写し取ったような切ない楽の音に、
うっとりと聞き入った。
「レッド・・・今日ボクは必ず万馬券を当ててみせる。そして、キミに
紅白の碁石をプレゼントしよう・・・」
注:そんなものあるのかどうかは知りません
アキラ王の心はもうすでに彼方へと飛び立っていた。
瞼の裏には嬉しそうなレッドの笑顔が浮かんでいる。
だが、アキラ王の側で恭しく跪いたまま、ラジカセを操る座間がよけいなツッコミを
入れてしまった。
「下僕の分際で畏れ多いことを承知で申し上げますが・・・。碁石は普通は
黒と白では・・・」
その一言がアキラ王の逆鱗に触れた。座間が全てを言い終える前に、アキラ王は
持っていた競馬新聞で、座間のそのふっくらとした頬をしたたかに打った。
「黙れ!黒と白など・・・!縁起が悪いではないか!」
「お前は・・・!ボクの恋は先行きが暗いと言いたいのか!!ふざけるな!!!」
本日2回目の『ふざけるな!』であった。
アキラ王は怒りのあまりふるふると震え、眦が切れ上がっている。
座間は床に額をこすりつけ許しを請うたが、アキラ王の怒りは収まらなかった。
「もういい・・・!お前は今日は留守番だ!」
アキラ王は吐き捨てるように言った。座間はその小さな目に涙を浮かべて懇願した。
「もうよけいなことは申しません!お願いでございます・・・」
放置だけは・・・!
座間の哀切きわまりない泣き声が、アキラ王のプライベートルームに響いた。
と、その時、それを遮るように、入り口から嗄れた声が聞こえた。
「ふぉふぉふぉ・・・若いのう・・・アキラ王は・・・」
アキラ王と座間は声の主を見た。小柄な老人が立っていた。
(8)
老人は、摂政の桑原であった。
まだ若いアキラ王をサポートするのが、彼の役目である。
アキラ王は頭は切れるのだが、思い込みの激しさからしばしば暴走しがちであった。
放置プレイケテーイ(゚∀゚)を言い渡され、さめざめと泣く座間を桑原は一瞥すると
「王たるものは、もっと寛容な心で民に接するものじゃ。」
と、アキラ王に言った。確かにその通りなのだが、この老人が言うと腹に一物、
背に荷物、いかにも裏がありそうである。
アキラ王はむっつりと黙り込んだ。いくら桑原の忠告でも、アキラ王はこの決定を
覆すつもりはなかった。
そんなアキラ王の耳元に、桑原は囁いた。
「レッドは包容力のある大人が好き(はぁと)ピ――の小さい人はキ・ラ・イ」
「……くっ!」
アキラ王は唇を噛んだ。プライドの高いアキラ王にとって、一旦下した決定を
取り消すことは屈辱であった。しかし…愛しいレッドの名前を持ち出されては…。
ギリリッ(←唇を噛む音、血付)
「わかった…座間、行くぞ!」
アキラ王は、傲然と肩をそびやかし、大股で部屋を出ていった。座間は荷物を担いで、
よろけながらその後を追った。
座間の涙に濡れた顔が、太陽の光に反射してきらきらと輝いた。
「やれやれ…手の掛かる連中じゃ。さて、儂も出かけるかの…」
桑原は呟いた。
(9)
少年王アキラの本日のコスチュームは、深いブルウのシルクのそれで、肩から袖にかけてとパンツ部分は
ふっくらと丸みを持たせたかわいらしいデザインだった。
白いタイツを執事にはかせてもらい、子羊の革で作った靴は自分で左からはいた。
いつもと反対側の足から靴をはくと、恋愛運金運が向上する━━という占い師・イチカワの予言に従ったものだ。
「よし! これでいつでも大丈夫だ! 待ってろレッド!」
金沢競馬場にレッドが現れるかも判らないのに、アキラ王は高らかに拳を上げて叫んだ。
(10)
「アキラ王、これをお忘れでは?」
高ぶる気持ちを抑えきれず頬を紅潮させるアキラ王の前に、白衣姿の
オガタンが現れ、王の肩にベルベットのマントをかけた。
「おお、そうであった!さすがはオガタン。抜かりがないな」
「この勝負マントで万馬券を手にお入れください、我が王よ」
さりげなくアキラ王の前に跪くオガタンに、アキラ王は得心して頷くと、
マントの端を指先で摘んだ。
ベルベットのマントは極上の滑らかさを有するシルク素材のもので、
深い紫の地に薄紫のアーガイル柄が織り込まれている。
特に王にのみ着用を許されたこの高貴なマントを羽織ることで、アキラ王の
万馬券的中率は55倍(当社比)に跳ね上がるのだった。
その魅惑の感触に「ほうっ……」と官能的な吐息を漏らすと、アキラ王は
颯爽とマントを翻した。
「オガタンよ、ボクは万馬券とレッド、双方とも手中に収めることができる
と思うか?」
「我が至高の王以外の一体誰が、そのような偉業を成し得ましょう?」
そう言って跪きながら深く頭を垂れるオガタンの前を、アキラ王は軽やかな
足取りで通り過ぎる。
「さあ参るぞ!馬はどうした?」
「只今連れて参りましょう。鞍の色はヴィンテージレッドで宜しいですかな?」
「完璧だ。ハハハハハ!よし、皆もついて参れ!!」
すっかり舞い上がっているアキラ王は、高らかに笑うと、側に控える
座間が恭しく差し出した白い手袋をはめ、鞭を手に取った。
手にした鞭を撓らせ、ぴしぴしと鋭く空を打つアキラ王は、どこか不敵な
笑みを浮かべている。
「…………」
背筋に冷たい物が流れるのを感じた座間とオガタンは、恐怖に引きつった
表情で、互いに顔を見合わせるのだった。
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