Pastorale 6 - 10
(6)
「あそこ!ボート乗り場!なんか人いなさそうだけど、やってるよな。」
桟橋のようになって、小さな売店と椅子やテーブルも置いてあるところまでたどり着いて、アキラは
一休みしようと思ったのに、ヒカルと来たらボートを見た途端、駆け出して行った。
相変わらず進藤は元気だな、と思い、それに比べて自分の体力不足にアキラは苦笑する。
随分と歩いたので、さすがに少し疲れた。それに喉も渇いた。
軽くあたりを見回して、自動販売機を見つけたので何か飲み物を買おうと思った。
ベンチに座ってペットボトルのウーロン茶を数口飲んで、目を上げると、ヒカルがボート乗り場の管理人
らしき男性とと何か話をしているのが見えた。いつものように、初対面の相手とでも楽しげに話しをして
いるヒカルを見て、アキラは自分の口元がほころぶのを感じた。
「塔矢!」
ヒカルがこちらを見て手を振る。
元気そうに笑っているヒカルが日差しを受けて眩しく輝いているように見えた。
(7)
平日のせいなのか、観光客は他には誰もいないようだった。ボートに乗り込んで岸を離れると、本当
に二人っきりで、まるで湖全体が貸し切りみたいな気がする。
それでもこうして日を遮るものが何もないところにいると、少し暑い気がするので、ヒカルはボート乗り
場と反対の方の岸辺を目指してボートを漕いだ。
少し岸が張り出すようになっていて、木の枝が湖に陰を落としている。あそこなら気持ちいいだろう。
ヒカルがぐっと一漕ぎするたびにすぅーっとボートが湖面を滑っていく。
「結構上手だね、ボート漕ぐの。」
「え〜そおかあ?フツーだと思うけどな。」
不意にアキラに声をかけられて、さり気なさを装って応えたものの、得意気な響きは隠しようもなかった
かもしれない。ま、いっか。
褒められると余計、良い所を見せたくて、今までと変わらないように見せながら最新の注意を払って、
静かに、けれど力強くボートを進めていると、ふぁ、とアキラが小さく欠伸をした。
「疲れた?」
「うん、ちょっと。結構歩いたしね。」
「普段あんなに歩かないもんな。
そこ、横んなって寝てていいぞ。」
「え、悪いよ。キミがずっと漕いでるのに。」
「いいっていいって、気にすんな。オレもさ、電車ん中じゃずーっと寝ちゃってたし。
ここじゃちょっと寝心地は悪いかもしんないけどさ。」
でも、と遠慮がちにアキラに、ヒカルは、
「ホラ、これ、枕代わりにして、」と、羽織っていたシャツを脱いで適当にたたんで置いてやる。
「それじゃ、お言葉に甘えて。」と、アキラは身を横たえた。
「ああ、空が綺麗だ。」
アキラの声につられて頭上を見上げると、よく晴れた青い空に、白いペンキをさっと一掃けはいたよう
に薄い雲がかかっていて、そのコントラストに感嘆していると、一羽の小鳥が視界を横切っていた。
「眩しくない?」と、視線を落として声をかけると、「平気だよ。」と目を閉じたまま、アキラは応えた。
(8)
時々後ろを振り返りながら湖岸に向かってヒカルは漕ぎ進めていった。日陰に入ったのでヒカルは
振り返って岸までの位置を確かめて、ボートを漕ぐ手を止めて、小さく声をかける。
「…塔矢?」
寝たかな。
覗き込むと、アキラは安らかに寝息を立てていた。
林の中から色々な種類の鳥のさえずりが聞こえてくる。
時折、風が木の葉をさやさやを音を立てながら通り抜け、水面を静かに波立てた。
手を伸ばして水に触れてみるとひんやりと冷たかく、その下を何かが動いていくのが見えた。
水音が聞こえて顔を向けると魚が跳ねたようで湖面に水紋が広がっていた。
なにかが目の端でキラリと光ったように思って顔をあげると、目の前を白い小さな花びらがひらひら
と落ちていき、静かに湖面に着水した。
どこに花が咲いているのだろう、と、辺りを見回すと、岸辺に立っていた細いけれど背の高い木に、
小さな白い花が咲いていて、時折風に吹かれて花びらが舞い落ちてきているのだとわかった。
頭上高くから舞い落ちてくる花びらは太陽の光に反射してキラキラと輝きながら湖に一枚一枚、
広がっていく。
その時、ざあっと強い風が一吹きして、花びらがひらひらと舞い、その何枚かが、風にさらわれて
ボートの上まで飛んできて、ひらりと一枚、アキラの頬の上に落ちた。
ヒカルは身をかがめてアキラの顔を覗きこんだ。
ゆらゆらと静かに揺れる湖面の上で、アキラの白い顔に木漏れ日がまだらな影を落としている。
また、花びらが一枚、ひらりと落ちてきた。
綺麗だ。
本当に、なんて綺麗なんだろう。
(9)
普段はあまり見ることの無いアキラの寝顔に、ヒカルはうっとりと見入っていた。
そうやって見ていると、艶やかな唇に触れてみたくなる。
でもキスしたら起きちゃうだろうな。折角、気持ち良さそうに寝てるのに。
キスなんていつでもできるし。それよりコイツの寝顔のほうが貴重だよな、うん。
コイツ早起きだから寝顔って滅多に見れないんだよな。
でも、こうやって寝てるとホントにキレイで、それになんか優しそうだよな。
まるで眠り姫みたいだ。てゆーより、白雪姫?えーと、雪のように白い肌、髪の毛は何みたいに黒いっ
て言ってたんだっけ。でもって唇は血のように紅い、んだよな。まるっきりコイツの事みたいじゃん。
髪伸ばして(鬘かぶせてもいいけど)、ドレスとか着せてみたらどうだろう。
目ぇ開けると顔がキッツイから、お姫様にしてはちょっとコワイかもしんないけど(むしろ王子様ルック
が似合うかもしれない。いや、きっと似合う。かなり似合う。はまり過ぎかも。)、でも、寝顔は普段より
も優しそうで、それなりに「お姫さま」に見える。
いつもこんな風だったらいいのにな。
だってさ、コイツってば時々意地悪だし、クソ生意気だし、意地っ張りだし、ドスケベでしかも負けず嫌い。
塔矢ってさ、見かけによらずガキなんだよな。すぐムキになるし。絶対に負けを認めないし。
そのくせ、TVゲームとか勝てそうも無いものには手を出さない。卑怯な奴だ。
「お姫さま」なんて言ったらコイツ、怒るかな。「馬鹿にするな!」とか言ってさ。
ま、そーゆーとこも可愛いんだけどね。
そうして見ていると、アキラが軽く身じろぎして目を開けた。
あーあ、もう起きちゃった、と少し残念な気持ちでヒカルがそのまま見下ろしていると、アキラが柔らかく
微笑みながら手を差し伸べた。
なに?とその手をとるとそのまま引き寄せられて、請われるままにヒカルはアキラにキスをした。
(10)
「いつまでも覗き込んでるなよ、ひとが悪いな。」
と、ヒカルを抱き寄せたままアキラが言う。
「なんだ、目ぇ覚めてたの?」
「うん、キミが近づいてくる気配を感じたから。」
それなのに、とアキラはヒカルの耳元で囁く。
「待ってたのに、いつまでもキスしてくれないから起きれないじゃないか。」
ヒカルは、え、と一瞬戸惑い、それから次には頬に血が上ってきたのを感じた。
「だってやっぱりこういうシチュエイションでは王子様のキスで目が覚めるもんだろう?」
赤面してるヒカルを見て、アキラは可笑しそうに笑う。
「でもキミはあまり王子様って感じじゃないね。どっちかって言うとお姫さまだ。」
「なっ!なんでオレがお姫さまなんだよ!」
「だって目はおっきいし、童顔だし、どちらかと言うと可愛い顔立ちだし。
ドレスでも着たら絶対似合うよ。うん、今度やってみよう。」
「勝手に決めんな、バカ!オレは女装なんてしないぞ!」
「どうして?絶対似合うと思うのに。」
「ふざけんな!そんな恥ずかしい事してたまるか!どうしてもって言うんならオマエが先に女装して
みろ!オレなんかよりオマエの方が似合うに決まってる!!」
「そうかなあ…ボクなんてどうでもいいと思うけど…」
そう言って何だかイヤラシイ目でオレを見ていた塔矢の目がキラッと光って、コイツと来たらこんな
事を言いやがった。
「二人して女装ゴッコでもするかい?それも随分倒錯してるような……」
くっ……ナニを楽しそうに笑ってんだよ、この変態ヤロウ!
これだから!目ぇ開けてる塔矢なんて!さっきはあんなに可愛かったくせに!!
「進藤?」
でもそうやって間近に覗き込むように見られると、オレはもう逆らえなくなる。だから、とりあえず、
塔矢とのキスは気持ちいいから、文句を言うのは後にしておこう。
そうしてオレは頭上で聞こえる鳥のさえずりと、水の上のゆらゆら揺れる感覚と、塔矢の甘いキス
に酔って……いたはず、だった……のに。
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