Shangri-La 6 - 10


(6)
緒方は、感心しながら黙ってアキラの背中を見送った。
アキラに、自分の本意ではなかった、と言わせたくなくて
右手が何度も行きつ戻りつしていた事は、分かっていて放っていた。
人間がもっとも耐えられないものは快楽だと聞いたことがある。
オレなら我慢なんかしないな。
――進藤に何があったか知らないが、面白いネタを拾ったようだ…。


気がついたら、アキラは自室の冷たい畳の上に転がっていた。外は明るい。
体を起こそうとして、痛みに頭を抱える。ひどく喉が渇いている。
頭を抱えたまま、緩慢すぎるほど緩慢な動作でキッチンへ立った。
水を飲み、人心地ついたところで、昨夜の事を考えた。
とりあえず自宅に帰ったところ迄の記憶は――ある。
記憶を辿って、一瞬の疼痛のあと、はっと感覚がさえた。
頭の血管の脈動と痛みが、一体になっているのが分かる。
緒方の感触も、くっきりと甦った。

あの時、進藤の話が出なかったら…きっと流されていただろう。
僕にはなんの連絡もなかった。でも、緒方さんは知っていた…なぜ?

アキラの中では、沢山の端切れがばらばらに積み重なってしまって
痛む頭では、それを整理することもかなわなかった。


(7)
ヒカルは、買い出しのため久しぶりに病院を出た。
携帯の電源を入れると、留守電もメールも随分たまっている。
殆どがアキラからのものだった。
留守電は、始めは、連絡が欲しい、とだけあったのが、
日が経つに連れて言葉が長くなり、語調もだんだん乱れている。
ヒカルは思わず苦笑いした。

と、携帯が鳴り、ヒカルは条件反射で受けた。
「もしもし、進藤?」
「あ…塔矢?」
「進藤、しばらくサボっているそうじゃないか?どうした?
イベントだって、急にキャンセルしたりして!
どれだけまわりに迷惑かかるか考えなかったのか?
ボクが代わりに行ったからいいようなものの!」
アキラの声はどんどん大きくなり、ヒカルは思わず携帯から身を反らす。
「あ、うん、ごめん……あの、いろいろあって…」
「いろいろって、何だ?」
アキラはさらに興奮している様子で、息つく暇なくまくし立てている。

ヒカルは、携帯を耳から避けてアキラの声を遠くに聞きながら
どっと疲れを感じていた。
そして、アキラの声がたまらなくなり、黙って携帯の電源を切った。


(8)
アキラは唖然としていた。
黙って切らなくたっていいじゃないか。
何か、やましいことでもあるんだろうか?
慌ててリダイヤルしたが、ヒカルの携帯は留守電だった。

アキラは急に、空寂感に襲われた。自宅の空間の広さを初めて感じる。
身体の中でくすぶり続ける緒方が点した熱が
理由が分からないままヒカルと断絶している現実を変に煽っていて
一人でいることがとても辛かった。
携帯を握りしめたまま、ぎゅっと自分の腕を抱く。
淋しさから逃れたくて、家の中で必死にヒカルを探したが
見つけたのは、部屋にあるヒカルの棋譜のファイルだけだった。

――これ以外に、進藤と僕は繋がっていないんだ…。
考えてみれば、進藤とは、棋院か碁会所か自宅でしか会ったことがない。
囲碁以外の事を二人でしたり、囲碁以外の目的で外出したこともない。
話題も殆どが囲碁のことばかりだ。
僕達はこれでしかつながっていない。たったこれだけ……。

ヒカルとの出会いが囲碁だった以上、当然ではあるが
棋譜の枚数が二人の関係のすべてのようで、その少なさに眩暈がした。


(9)
一人でいる事が辛くて、アキラは理由なく街を彷徨う。

歯磨き粉を買おうと通りがかりのドラッグストアに入った。
フレグランスを選ぶカップルを横目でちらりと見て溜息をつき、
手早く買い物を済ませた。
店を出るとき、入り口近くにいたそのカップルの姿はなく、
アキラは、棚に並んだ色とりどりの瓶を見ながら、
ヒカルが初めて香水をつけてきた日のことを思い出した。

見たことがない位にきらきらと目を輝かせて、
僕のために選んだと言ってくれた。
――進藤と、その腕の中の僕のためのもの、って。
あの香りは、この中にあるだろうか…?
アキラはふらふらと近寄って、棚にある小瓶を次々に手に取ってみたが
どの香りもヒカルの香りではない事以外は分からなかった。

雑踏の中にいても、孤独感は消えるどころか、かえって募るばかりだった。
「どこにいても一人」
どこかで聞いたフレーズが、ちらりと頭をよぎった。


(10)
「あれ?珍しいですね。」
煙草に火を点けようとした緒方が胸元から取りだしたのは
ライターではなく、シンプルなスチールのマッチケースだった。
マッチをしゅっと擦る動作もあながち悪くないけど
ケースの無機質さとその趣とは噛み合っていないように思う。
「どんな方から頂いたんですか?」
アキラは、自分も煙草に火をもらいながら聞いてみた。
きっと、おねーさん達の中の誰かから貰ったんだろうと推測するが
おねーさん達の事だけは、いつ聞いても返事がない。
これで、今しばらくは緒方さんの口を封じられたかな…。
アキラは深く息を吐いて、目の前の暗い海、寄せる波の飛沫と
つかの間広がる煙を見ていた。

最近の緒方さんは、どうしてもボクを構いたいみたいだし
また進藤のことでいじられるのかな。うんざりだ。
それにしても、進藤があんなヤツだと思わなかった。
真っ直ぐで素直で愛すべきヤツだったのに…
アキラは煙草を近くの灰皿にねじ込んだ。



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