Shangri-La第2章 6 - 10


(6)
こんな不安定なアキラに既視感を覚える。
初めて緒方の部屋に泊めた頃だ。あの時も、酷く混乱していた。
色事を何も知らない子供時代でさえ、
その思い悩み心乱れる様子は、奇妙な艶めかしさを持っていたのに
意図したものか、あるいは無意識なのか、
誘いをかける今のアキラの様子と言ったら、全くどうだろう?

気がつくとアキラは寝息を立て始めていた。
今のアキラは危険な匂いがする。
できれば帰してしまいたいが、一旦起こしてしまえば
今日の様子では、帰らないと言い出すに違いない。
かといって起こさずに連れ帰ろうにも、小さな子供ならともかく
いかんせんこの体躯では、もうそれも難しい。
とりあえず眠らせられた事だし、このまま朝まで寝かせておいて
明日出掛ける時に、家まで送ればいいだろう。
そう考えて、アキラの頭の下から緒方がそっと身体を外そうとした所で
アキラが身じろいだ。


(7)
「ん……?…おが…た、さん…」
「あぁ、起こしてしまったか。
 アキラ君、今日は泊まっていっていいから
 風呂に入ってベッドで寝なさい。風邪引くぞ」
「あ、はい……」
アキラはのっそりと身体を起こした。少しぼうっとしているようだった。
緒方はあえて事務的に続けた。
「下着の替えは、買い置きを出しておくから使いなさい。それから…」
「いえ、洗濯機だけ、貸して下さい…。
 どうせこの部屋で、下着つけて寝たことなんて、ないし…」
真実とはいえあまりの言葉に緒方が言葉を失っている間に
アキラはゆっくり立ち上がって、そして不意に振り返った。
「バスローブ、使っていいですか…?」
微妙にうろたえている緒方には短く、あぁ、とだけ返すのがやっとだったが、
アキラはそれを聞くと、礼も言わずにバスルームへ向かった。


(8)
アキラの水音が始まるとすぐ、緒方は寝室へ向かった。
シーツは今朝替えたばかりだから問題ない。
ベッドの上にアキラのための下着とパジャマを用意し
毛布を持ってリビングへ戻った。
――にしても何故、アキラが目を覚ましたときに
『家まで送る』と言わなかったのだろう?
今さらながら少し後悔して、テーブルに残していた缶ビールの残りを呷った。

アキラがバスルームを出ると、ベッドを使うよう言い残して
緒方はバスルームへ向かったが、シャワーを浴びた緒方が
寝室を覗くと、アキラの姿はなかった。
リビングにも見当たらず、書斎を開けると、水槽の前で
背中を椅子の背に深く預けてぼんやりとしているアキラがいた。
「アキラ君、まだ起きていたのか。疲れてるんじゃないのか?」
アキラは空を見つめたまま、静かに口を開いた。
「緒方さん…ソファで寝るんですか」
ソファに用意してあった毛布を見たのだろう。
気にする必要はない、と答えたが、アキラは少しの間、黙っていた。


(9)
「一緒に寝てはくれませんか」
「ダメだ」
「どうしてですか」
「どうしても何も……キミは何と言ってここを出ていったか
 もう覚えていないのか?」
「―――覚えています」
「ならば答えは出ているだろう。今晩ここに泊めるのは、
 キミが先生の息子さんで、先生が奥様と家を空けておいでだからだ。
 あぁ、パジャマと下着は寝室に用意してあるから好きに使うといい。
 ――それじゃ、おやすみ」
一方的に話を切り上げ背を向けた緒方に、アキラは後ろから飛びついた。
「緒方さん…一人に、しないで………」
アキラは精いっぱいの力で緒方に抱きついた。声が少し震えている。
「離しなさい。安易に人を頼るんじゃない。
 しかも一度切った人間を頼るなんて、どうかしていると
 自分で思わないのか?」
暫くして、全身の力が抜けたかのようにアキラは緒方を解放した。


(10)
「緒方さん、ごめんなさい……でも、じゃあ、あの…
 もう少しだけ、一緒にいてもいいですか……?」
アキラの声は今にも消えてしまいそうなほどだった。
緒方は大きく溜息をついて、リビングへ足を向けた。
「――好きにすればいい」
背中に感じるアキラの雰囲気が痛々しくて、
緒方はつい一言漏らしてしまった。
あぁ、またこれだ―――。アキラが子供の頃から、
厳しくなりきれずについ甘やかしてきた悪い癖は
今更抜けるものでもなかったようだ。
今晩、もう何度アキラを突き放す機会を逃しただろう。
今だって、突き放して終いに出来たはずなのに。
自分の詰めの甘さに、緒方は思わず舌打ちせずにはいられなかった。



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