Tonight 6 - 10
(6)
五月の風にはためいている鯉のぼり。
佐為。
突然、あの日を思い出した。
いや、思い出さないようにしてただけなのかもしれない。
一年前の今日、消えてしまったあいつ。
あの時も、同じように風が吹いてた。
窓から入り込む風にカーテンが揺れてた。
窓の外に鯉のぼりが見えた。
おまえ、最後にどんな顔してた?
どんな気持ちで消えてった?
思い残すことはなかったのか?
どうして、どうしてオレに黙って、何も言わないで、一人でいっちゃったんだ?
でも、今日の光に溢れた空気の中にこうして立っていると、爽やかな風を感じていると、もしかしたら佐為
もこんな風に全てを許されて、全てを受け入れて、千年の呪いからやっと解き放たれて光に溶けていった
のかもしれないと、思った。
それならきっと、やっぱり消えていったときにはあの夢に見たように、綺麗な穏やかな笑みを浮かべて
いたのだろうと思った。
それならいいんだ。
おまえがそうして笑っていってくれたんなら。
オレが、そう思いたいだけなのかもしれないけど。
(7)
「進藤?」
一瞬、佐為の声かと思うような優しい穏やかな声で呼びかけられて、びくっと振り返った。
「――――塔矢。」
声と同じように優しく笑ってるアキラがそこにいて、一瞬その顔が最後に夢で見た佐為の顔と重なった
ような気がした。
どうしてそんな風に見えたんだろう。塔矢は塔矢なのに。佐為とは全然違うのに。
「どうした?ぼうっとして。」
「進藤!さっきから呼んでるのに!」
怒ったような声が聞こえて、やっと我に返った。
「明日、ボクと対局する約束を、覚えてるだろうな。」
「あ、うんうん、覚えてるよ。えーと、」
秀英と明日の時間を確認していると、社がそろそろ新幹線の時間だと言うので、日本チーム3人は
七星ホテルを後にした。
それから東京駅まで社を見送って、途中からアキラとも別れてようやく自宅に帰ったらカレーの匂い
がヒカルを待ち構えていた。
今日一日、いや、今日だけじゃなくて、北斗杯の間、その前から色んな事があって、余りにも濃密な
日々で、もうすっかり疲れ果てて、後はもう眠ってしまおう、そう思っていたはずだったのに。
それなのに、どうしてこんなに必死に走っているんだろう。
理由なんてわからない。
でも、まだ今日が終わっちゃいけない。
だってし残したことがあるから。言っていないことがあるから。
だから、走れ。
(8)
駅を離れ、人が少なくなってくれば、もう周りを気にせずに走ることができる。
あの角を曲がって、あの通りを真っ直ぐ行けばそこに目的の場所はある。
後少し、後もう少しだ。
ゴールを目指してヒカルはラストスパートをかける。
―――塔矢!
ゴールにタッチするように呼び鈴を押し、そのままそこにしゃがみこんだ。
ゼエゼエと荒い息をつきながら手を伸ばしてもう一度呼び鈴を押した。
「どちら様ですか?」
少ししてから、インターフォン越しにアキラの声が聞こえた。
「と…や…?オレ、」
「進藤?」
びっくりしたようなアキラの声にヒカルはほっとして、またずるずると地面にへたり込んだ。
程なくしてガラガラと戸を開ける音が聞こえた。
玄関からようやくここまで歩いてきたアキラがヒカルを見下ろしているのを感じて、ヒカルは疲れた
ように顔を上げた。
「……塔矢、」
まだ荒い息はおさまりきらず、前髪が汗で額に張り付いている。
「もしかして走ってきたのか?」
「水、ちょーだい…」
(9)
「少しは落ち着いたか?」
「ああ………ごめん、こんな時間に。」
「いや、構わないけど。」
何があった?とか、どうしたんだ?とか聞かれるかと思ったのに、彼は何も言わなかった。
だから自分も何も言わずに黙って出されたお茶を啜っていた。
合宿のときに何度も飲んだのと同じ味だった。
「お風呂、沸いてるけど、入ってくる?」
「ああ、うん……」
塔矢邸の広い檜風呂につかって、ふううっと深い息をついた。
湯船にもたれるようにして天井を見上げる。
本当に広い風呂場だな、と思う。
まるで旅館の風呂みたいだ、と最初に入ったときも思った。
「あんなに広いんだからさー3人一緒に入ってもよかったんじゃん。」
「せやな。折角の合宿なんやし。」
社はそんな風に応えたけれど、アキラにも言ってみたらどんな返事をしただろう。
修学旅行みたいに皆で一緒に風呂に入って誰のが一番デカイかとか比べっこをしたり、並べて布団
を敷いて、枕を投げたりプロレスごっこをしたり、そんな事もしてみたかったな、と、終わってしまって
からふと、思う。
社は今頃はもうさすがに大阪に着いただろう。
もしかして社は明日っからまた学校なのかな。大変だな。
親に反対されてるなんて、そんな親もいるんだなんて思いもしなかった。
(10)
「進藤?」
「な、なに?」
あわてて振り向いたが、声は浴室の外からだった。
「着替え、浴衣でよかったら着て。タオルと一緒に置いておくよ。」
それだけ言って、アキラが去っていくのがわかった。
涼やかな声。いつもと変わらない声。あいつの性格と同じ、すっぱりはっきりした声。
オレ、突然押しかけてきたのに、風呂まで先に入っちまって、悪かったな。
てゆーか、一緒に入ればよかったんじゃん。
何で思い出さなかったんだろ。
一緒に入ろうぜ、って言えばよかったのに。
そう言えば二日も泊まったのに、あいつのハダカとか着替えてると事か、一回も見たことなかったな。
いや別に見たかったって訳でもないけど、あいつって結局いっつもスキが無くってさ、社なんか風呂
からあがったらオヤジみたいに上半身ハダカで転がってたのに。
いいよな、社って背ぇ高くって。オレもあんなになりたいな。とっても同い年とは思えないよな。ちぇ。
オレなんか塔矢より背ぇ低いんだもんな。やっぱ牛乳かな。
塔矢って細っこく見えるのに、結構スタミナあるし、背もオレより上だし、どんななんだろう。塔矢の
ハダカって。
思い描こうとした瞬間に、カァッと顔が熱くなったのを感じた。
なんだ、なんなんだ、オレ。
どーして、塔矢のハダカを想像しただけで、こんなになってんだ。
バカじゃないか。どうかしてる。
訳のわからない熱を冷まそうと、蛇口をひねって勢い良く水を出し、ざばざばと顔に浴びせかけた。
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