追憶 6 - 10


(6)
多分、言いたくなかった事を言わせてしまったような気がして、そんな事まで言わせた自分が情けなく
なる。
どうしてもっと早く、おまえの事好きだって気付けなかったんだろう。
おまえがアイツのものになってしまう前に、どうしてさっさと自分のものにしてしまえなかったんだろう。
今更こんな事、言ったってどうしようもないって、わかってる。
それでも時々、どうしようもなく辛くなる。
こんな事、考える方が馬鹿だってわかってるけど。
オレは何も知らなかったから。
何も知らなかったオレは、全部塔矢から教えられたようなもので、だから時々それを全部捨ててしまい
たくなる。忘れる事にしたつもりだったのに、気にしないって決めたはずだったのに、キスの仕方も、
セックスの手順も、全部全部アイツのものなんじゃないかって、塔矢の中に残るアイツの気配に、胸が
焼け焦げそうになる。

何も知らないおまえと、何も知らないオレと、二人で何にもないところから始めたかった。
こんな冷たい雨が降ってる寒い日は、なんだか不安になる。
確かにこの手の中におまえはいるのに、気が付いたら、ふっと目を離したらいなくなってしまうんじゃない
かって。
夢じゃないかって思うのはオレの方だ。
時々、これは全部オレの都合のいい夢なんじゃないだろうかと思うことがあるんだ。
あの日からずっと、オレが見てる夢なんじゃないかって。
本当はおまえはやっぱりアイツのもので、オレは悔しい思いを抱えたまま何もできずに遠くから、おまえ
がアイツといるのをただ見ているだけなんじゃないかって。


(7)
この間、棋院でのこと。オレが手合いを終わらせて出てきたら、芦原さんと緒方先生と、おまえと、3人が
楽しそうに何か喋ってた。塔矢はいつもより何だか子供っぽく見えて、3人はとても仲良さそうで、楽しそう
で、なんでだかオレはその中に入っていけなかった。
入っていけずに少し離れた所から見ていたオレに気付いて、塔矢がオレに笑いかけた。それが、見慣れ
ないような、なんだか甘えたみたいな、子供みたいな笑顔で、なんでかオレは胸が痛かった。
これから4人で食事に行かないか、塔矢はそう言ったけど、丁度その時緒方先生の携帯が鳴って、用事
ができたから、と言って緒方先生は帰ってしまった。
だから、結局、オレと塔矢と芦原さんと3人でメシを食いに行ったんだけど。
芦原さんの話は面白かったし、普段は聞けないような塔矢門下の笑い話とか、塔矢のちっちゃい頃の話
とか聞かせてもらって、すごく楽しかったんだけど、大笑いしながらでも心のどこかにトゲが刺さってる
ような気がしてた。
緒方先生の電話って、あれ、本当だったんだろうか。あんまりタイミングが良すぎて、何だかウソ臭いと
さえ思ってしまった。
だってあの時の緒方先生の目が、緒方先生が塔矢を見る目が、あんまり優しくて、でも辛そうだったから。
でも塔矢は全然気付いてなかった。塔矢が顔を上げて緒方先生を見たら、緒方先生の顔はいつも通り、
ちょっと斜に構えたような皮肉な笑みを浮かべていて、さっきの切なそうな表情なんてどこにもなかった。
緒方先生は今でも塔矢が好きなんだ。
ずっと、あんな風に塔矢を見てたんだろうか。
辛くって、見てらんなかった。いっつも自信満々で偉そうで高飛車なあの人が。

オレだったら耐えらんない。塔矢を失うなんて、自分から塔矢を手放すなんて、できない。
そうして尚、あんな風に塔矢を見守ってくなんて、できない。
悔しいけど、やっぱりオレはまだガキで、あの人と比べると、全然ガキなんだって思う。
あの人がどんなに塔矢を好きか、どんなに塔矢を大切にしてて、今でも愛してるかって、わかってしまっ
て、辛い。そしてまだまだ追い付けないって、思い知らされて悔しい。


(8)
知りたいけど、知りたくない。
いつから、どうして、アイツとそういう関係になったのか。
アイツの事、どう思ってたのか。

本当はおまえを全部独り占めしたい。
髪の毛一本だって、思い出の一欠けらだって、他の人間になんか渡したくない。
脳細胞の一つ一つまで全部オレしか考えられないようにしてしまいたい。
でも、そんな事、できっこない。
人間って奴は、どこまで欲が深くなれるんだろう。
一つを得たらその次が欲しくなる。

変わらないサラサラの髪。黒い瞳。
オレを惹き付けて離さない、真っ黒な瞳。
でも、顔立ちも、身体つきも少しずつ変わっていってる。
何もかも、どこもかしこも綺麗だと思うのは変わらないけど、最近は「綺麗」だけじゃなくて、カッコいい
なあとか、男前だなあとか、思ってしまう。
最初に会った頃は男か女かわかんなかったけど、今じゃもう女の子かもしれないなんて思う奴なんて、
滅多にいないだろう。
それでも、真っ直ぐに見据えるきつい目が、時々、ほんの時々、寂しそうに揺らぐのが堪らなく好きだ
なんて言ったらおまえは怒るかな。
おまえがそんな顔見せるのはオレだけだよな。

緒方先生は本当に塔矢の事、好きだったと思う。そして今でもきっと、同じように愛してる。
だからきっと、塔矢も緒方先生の事、好きだったんだろう。
きっと塔矢と緒方先生の間には、オレには立ち入れない領域があって、それはきっと今は塔矢はオレが
好きだとか、塔矢はオレの恋人だとか、そういった事とは別のことなんだろうと思う。


(9)
「それでも、欲しいと思うのはキミだけだ。」
温かい体温。キミの匂い。キミの肌触り。
何もかもが愛おしくて、大切で。
キミの髪を、目、頬を、唇を、顎を、両方の耳を、一つ一つ確かめるように指で触れ、唇で触れる。
そうしてもう一度柔らかなキミの唇にくちづけながら、キミの身体を抱き寄せると、キミは空いた手で
カーテンを閉め、そのまま折り重なるように抱き合ったまま床に倒れこんだ。
重なり合った胸から、キミの鼓動を感じる。そしてキミもきっと、ボクの心臓の音を感じている。
こうしてキミと二人でいつまでも抱き合っていられたらいいのに。
今キミは当たり前のようにボクの傍にいて、ボクは当たり前のようにキミの体温を感じていて、それ
だけでボクは幸せで、こうしているとずっとこんな時が続くような気がする。
夢と現実の境が無くなってくるような気がする。
キミとの諍いも、昔にあったことも、それはボクの身におきたことでなく、遠いどこか別の誰かの出来
事のように感じてしまう。

それでも、いつか終わりが来るのかもしれない。
いつまでもこんな日が続くなんて保証はどこにも無い。

自分にとってはどんなに当たり前で自然な事であっても、端から見れば不自然で異常な事だって事
くらい、いくらなんでもそれくらいはわかってる。
人に言えることではないし、いつまでも許される事ではないのかもしれない。
そうしたら、もう一緒にはいられないのかもしれない。
そんな日が万が一にでも来るかもしれないなんて、考えるだけでも嫌だけれど、それでももしかしたら
そんな日が来てしまうのかもしれない。


(10)
それでも。
それでもボクらは離れられない。
ボクはキミからは逃げられないし、キミはボクからは逃げられない。
例え取り巻く状況がどんなに変わってしまったとしても。
碁とキミと、ボクはその二つから逃れられない。

ボクは何があっても一生碁打ちだ。碁打ちとしてしか生きられない。それ以外にボクの生きる世界は
無い。ボクから碁を取り去ってしまったらボクの中に残るものは何も無い。
そしてその世界の中に、キミも、否も応も無く飲み込まれてしまっている。
だからボクが打ち続ける限り、キミが打ち続ける限り、ボクらの意思や状況なんてものとは無関係に、
ボクとキミとは向かい合う。

ボクが生きていく上で必要なものは二つある。
一つは碁を打つこと。そしてもう一つはキミと共にあること。
ボクにとってそれがないと生きていけないと思うものは二つあって、でもそれは一つしかないのと同じ
事だ。

周り中から甘やかされて、多分必要以上に大切に育てられた我儘なボクは、我慢するという事を知ら
ない。欲しいと思うことを、欲しいと思う気持ちだけで済ませておく事が出来ない。
望むもの全てを望むままに欲しいと思うことは、とてつもなく強欲な事なのだろうけれど、けれどボクは
それを抑えることが出来ない。その欲を抑える必要性すら感じない。



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