平安幻想秘聞録・第四章 6 - 10


(6)
「何?」
「いえ、何でもありません」
「何でもないって、そんな顔されると、気になるだろ」
 ヒカルには以前、必死に自分に不安をぶつけてきた佐為の言葉を袖に
してしまった。それが少なからず心的外傷、いわゆるトラウマになって
しまっている。そのせいか、彼の言葉や表情一つが、酷く気になった。
「光、本当に何でもないのです。ただの杞憂ですから」
「杞憂?」
 杞人の憂い。昔、杞の国の人が天が落ちて来はしまいかと、起きもし
ないことを無用に心配したという故事だ。が、ヒカルには意味が分から
なかった。
「取り越し苦労と言えば、分かりますか?」
「あぁ。それなら分かるけどさ。でも、佐為・・・」
 ヒカルが更に突っ込んで訊こうとしたとき、どこかで名前を呼ばれた
気がして、ふと辺りを見回した。近衛ではなく、光と。
「光!」
「あ、あかり?奈瀬?」
 十二単姿のあかりが裾捌きも鮮やかに、足早にこちらへ向かって来る。
あかりの着物姿は、七五三や正月に何度か見たことがあるが、十二単と
いうのはもちろん初めてだ。奈瀬に至っては、正座をするのにスカート
は不便と、日頃パンツ姿を見慣れているだけに、素で驚いてしまった。
「光!」
「近衛!」
 女性二人に勢い詰め寄られ、オレ、いや、近衛が何か悪いことでもし
たのかよーと、ヒカルは思わず逃げ腰になってしまう。


(7)
「光!良かった。無事だったのね。たくさん、たくさん心配したのよ」
 が、その次の瞬間、あかりが感極まったように抱きついて来て、それ
が勘違いだと分かった。あかりは行方不明になった光をずっと案じてい
てくれたらしい。見ると、奈瀬も袂で目頭を押さえている。
「あ、あかり」
 ここは男らしく抱き返した方がいいんだろうか。進退窮まってヒカル
は腕を上げたり下げたりしつつ、視線で佐為に助けを求めた。
「お二人とも、こんなところではなんですから」
「う、うん。そうだよな。ほら、あかり、泣くなよ」
 目を潤ませたままのあかりと奈瀬を促して、昼餉のために与えられた
部屋へと移動する。おつきの女房は、さすがに盗み聞きははしたないと
思ったのか、ご用がありましたらお呼び下さいと、一礼をして下がって
行った。その足音が遠ざかるの確認して、四人は車座に腰を下ろした。
「えーと、あの」
 いったい何から話していいのやら。女性二人に自分が近衛光ではない
と説明するのは骨が折れそうだ。最初、佐為が信じてくれたのは、あの
場に陰陽師である明が同席していたからだし、行洋や緒方もしかりだ。
だが、わざわざ明に来て貰うわけにもいかない。
「あのさ、オレがこれから話すこと、すぐに信じられないかも知れない
けど。訊いてくれる?」
 あかりと奈瀬は一瞬顔を見合わせたが、すぐに頷いた。それに勇気づ
けられ、ヒカルはここに至る経緯を話し始めた。
 ヒカルの説明はお世辞にも巧みとは言えないが、それだけに誠心誠意
が込められているようで、二人は最後まで口を挟まなかった。
「これで全部だよ。嘘や偽りは一つも言ってない」


(8)
 部屋の中にあるのはただ沈黙。話を終えて、ヒカルは女性二人からの
審判を待つ。自分が未来の人間である証拠を何も見せることはできない。
千年後の話をしたとしても、よくできたお伽噺と言われてしまいそうだ。
「東宮さまに・・・」
 小さなため息の後、最初に口を開いたのは奈瀬の君だった。
「懸想されていると聞いたけど、本当なの?」
「えーと、あの、懸想って何?」
 真顔で問い返すヒカルに、佐為は思わず衣の袖を眉間に当てた。
「懸想の意味を知らないの!」
「う、うん」
 奈瀬の剣幕に、佐為〜、助けてよ〜と懇願の視線を送っても、佐為に
軽く逸らされる。答えないヒカルに奈瀬がずいと詰め寄った。
「もう、じれったいわね!」
「奈瀬の君」
 あかりが慌てて引き留めようとしたが、一瞬、遅かった。
「東宮さまに求愛されてるのかって訊いてるのよ!女性の口からこんな
ことを言わせないでね!」
「きゅ、求愛・・・(///)」
 やっと意味が分かって真っ赤になったヒカルの様子に、今までの剣幕
を引っ込めて、ほうっと奈瀬はため息を吐く。
「姿形が似ていると、中味まで似るのかしら。近衛と同じで、いと幼き
ことなり・・・だわ」
 その言葉に、今度はヒカルががばりと身を乗り出した。
「オレの言ったこと、信じてくれんの!?」


(9)
 それこそ信じられない!と言わんばかりのヒカルに、奈瀬とあかりは
もう再び顔を見合わせた。
「信じるも何も、話し方や立ち振る舞いが、どこか近衛とは違うもの」
「えぇ」
「そ、そうなんだ」
 何だかあっさりと信じて貰えて、気が抜けてしまった。
「本物の近衛の行方は気になるけれど、それより、今の問題は東宮さま
のことでしょう?」
「うん。はっきり言って、すごく困ってる」
「東宮さまはかなり本気らしいわよ。日高の君を介して、光の気を引く
にはどんなものがいいか、訊ねていらっしゃるくらいだもの」
 日高って誰だっけ?どこかで聞いたことがあるような名だが、ヒカル
は元々あまり他人の顔や名前を覚えるのは苦手だ。
「宮中に呼ばれる他には?」
「光宛の文と和歌が、何日か置きに来ております」
「うん」
 ヒカルには達筆過ぎて読めない上に意味が分からないので、仕方なく
代わりに佐為に読んで貰っている。が、本当はあまり見せたくなかった。
東宮から文が来る度に、佐為の機嫌が端的に悪くなるからだ。
 ただ、他の女房や随身に文を見せるのも憚られた。あまりにも愛情の
籠もった文に、こんなりっぱなお歌をいただいたのにお返事も差し上げ
ないのは情けのないことですわと、返歌を勧める者までいるのだ。


(10)
 もちろん、ヒカルに恋の歌など作れるわけもない。それ以前に返す気
もさらさらなかった。
 頼みの綱は明だったが、彼が屋敷に来るのは稀だし、たいてい佐為が
同席しているので、結局は文の内容が佐為に知れてしまい、あまり意味
がなかった。
「お返事は?」
「してないよ」
「それは賢明ね。うっかり恋文に返事を書こうものなら、色よい返事を
いただけたと、東宮さまがお喜びになるだけだわ」
 この時代はただの紙ですらかなり高価だ。東宮のことだから、高級な
和紙に香を炊き込め、文を結ぶ枝や紐にさえあれこれと工夫を凝らして
いることごろう。普通の女人だったら高貴なお方からそんな文をいただ
いたら天まで舞い上がることだろう。そういう意味では、ヒカルの反応
は新鮮なのかも知れない。
「何にせよ、東宮さまが光を諦めて下さるといいのですが」
「同感ですわ、佐為さま。私もお力添えを致します」
「協力していただけるのですか?」
「もちろんですわ、佐為さま」
 このままヒカルが東宮のお手つきになりでもしたら、本物の近衛光が
戻って来たときに、とんでもない騒動になるだろう。光が今のヒカルの
ように見目麗しく成長していなかったら、それだけでも問題であるし。
逆に成長していたら、それはそれでゆゆしいことだ。
 さすがにそれをそのまま口にしたりはしないが。



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