sai包囲網 6 - 10


(6)
「緒方さんのことは分かった」
「だったら・・・」
「僕も訊きたいことがあるんだけど」
「えっ?」
 これで解放されると思ったのに、まだ何があるっていうんだ?ヒカル
の不満そうな表情に、アキラがふっと笑った。
「な、何だよ」
「ここでは何だから、うちに来ないか?」
「うちって、塔矢んち?」
 当たり前だろと頷くアキラに、ヒカルは腰が引けて来る。
「でも、お前だって、塔矢先生の見舞いに来たんだろ?」
「お父さんのことなら心配しなくていいよ。今日、退院なんだ」
 午前中の検査が終わってからだから、あと五時間くらいかかるけどね。
そう続けられる。
「いや、だけどさ・・・」
「これから見舞の客も増えるだろうから、こんなとこに子供が二人立っ
てたら、目立つだけだよ。僕はかまわないけどね」
 困るのは君だよ。そう言われたような気がして、ヒカルは助けを求め
るように視線を斜め後ろに流した。今度は佐為もこちらを見ており、痛
ましそうな表情で口元を押さえている。
『佐為、どうしよう・・・』
『塔矢の、家には行かない方がいいと思います』
『だよな。でも、ここにいて、また緒方先生に見つかったら』
 ちらりと視線を投げた先には、目立つ真っ赤なRX−7が陽光に輝い
てる。いつ用を済ませた緒方がここにやって来るか分からない。
 さすがに二対一で問い詰められたら、ヒカルのついた嘘など理詰めで
看破されてしまうかも知れない。
「分かった。お前のうちに行くよ」


(7)
 初めて敷居を跨いだ塔矢アキラの家は、予想通りの壮麗な日本家屋で、
そして予想以上に広かった。こんなところにたった三人で住んでるなん
て詐欺じゃないかと、ヒカルでなくても思ってしまうだろう。
 ここへ来るまでの間、アキラは取り立ててヒカルに探りを入れるよう
なこともせず、思い出したようにたわいもない話を振って来た。それは
ほとんどが囲碁のことばかりだったが、アキラに連れられて電車に乗る
という、二度目の対局と同じシチュエーションに背中に嫌な汗をかき始
めていたヒカルはややほっとし、あーあの手はおもしろいよなーと唯一
と言ってもいい共通の話題に応じた。
 そして、佐為はといえば、ここに着くまではじっと押し黙っていたが、
あの塔矢名人の住む家に興味を引かれたのか、何かを探すように視線を
彷徨わせている。
『佐為、少しはじっとしてろよな。きょろきょろされたら気になるだろ』
『すみません、ヒカル。何だか落ち着かなくて』
『オレだって落ち着かねぇよ。こんなでかい家でさぁ』
 囲碁を始めるまではまともに正座をしたことがなかったのだ。アキラ
がお茶を入れて戻って来るまでの間、一人ぽつんと広い和室に残され、
あまりに場違いな自分に座った尻がむずむずして来る。アキラの追求を
かわす作戦を練るよりも、こっそり帰ってしまおうかとすっかり弱気に
なって来たところに、やっとアキラが戻って来た。
「待たせてすまない。和菓子は嫌いじゃないよね」
「あっ、オレ。基本的に好き嫌いはないからさ」
「あぁ、そんな感じだね」
 くすっと笑ったアキラに少しだけヒカルの気分も浮上した。


(8)
 悪いヤツじゃないんだよなとヒカルは思う。いつもこうやって笑って
くれればいいのに。オレなんて愛想良くして貰えたのは、最初に対局す
るまでの話で、その後はいつも怒ってるか無視されるかだもんな。
「遠慮しないでお茶をどうぞ。もしかして、猫舌なの?」
「あっ、そうじゃなくってさ。どうせならお前の部屋に行かないか。何
だかここじゃ落ち着かないんだよな」
「いいよ」
 急須と茶碗、お茶受けを盆に戻したアキラに奥の部屋へと通される。
畳敷きの部屋に勉強机と本棚、箪笥。ごちゃごちゃともので溢れ返った
自分の部屋と違い、余計なものが全然置いていないように見える。それ
はいっそ潔いほどで、さすが塔矢だよなぁと、ヒカルは変なところで
感心してしまった。
 ただ一つ目を引いたのは、机の上のパソコン。ヒカルの視線を追った
アキラがあぁと頷いた。
「二年前、それでsaiと打った」
 ヒカルははっとしてアキラを振り返る。
「べ、別にそういうつもりで見てたわけじゃねぇよ。パソコン、持って
るんだなって・・・」
「君は、持ってないんだ」
「あ、うん」
「だから、ネットカフェ?」
「わ、悪いかよ!」
「あの夏休み中、ずっと?」
「ずっとってわけじゃ。あの日だってたまたまお前と会っただけだし」
「ふーん、本当にそうかな」


(9)
「な、何が言いたいんだよ?」
 思わず身構えたヒカルに、アキラはふっと表情を和らげた。まるで出
来の悪い子供に向けるようなしょうがないなという眼差しが、ヒカルは
居心地が悪くて仕方がない。
「あのときボクは、saiのことはもういいと思って、あれ以上調べる
ことはしなかったけど。今からでも遅くはないよ」
「調べるって、何を?」
「そうだな。最初はやっぱりあのネットカフェからかな。君があそこを
利用した日にちと時間、saiがネット上に現れた時間を照らし合わせ
てみたら、おもしろいことが分かるかも知れないね。それに、従業員や
客の誰かが君がネット碁をやってるところを見ていた可能性もあるね」
 言われてすぐに思い浮かんだのは、三谷の姉だった。彼女がまだあの
インターネットカフェでアルバイトをしているかどうかは分からないが、
パソコンの使えないヒカルに代わって、二度チャットに書き込みをした
のは他ならぬ彼女だ。一見の客ならともかく、足繁く通ってきた弟の友
達を覚えてる可能性が高い。
 当時の葉瀬中囲碁部のメンバー。筒井と三谷、そしてあかりもヒカル
がネット碁に嵌まっていたことを知っている。おまけにヒカルはそのこ
とを口止めも何もしていないのだから、彼が本気で調べる気になったら、
saiと自分の接点を簡単に見つけられてしまうかも知れない。
 ヒカルは身体の脇に垂らした両手をぎゅっと握り締めた。
「例え、俺がネット碁をやってたとしても、そんなこと。塔矢には関係
ないだろ!」


(10)
「関係がない?」
「そうだよ。塔矢はいつもそうやって、オレの先回りをして勝手に決め
つけたり、追いかけ回したりしてるけどな。そんなことする権利なんて、
塔矢にはないだろ!」
 自分はsaiではないと何度言っても信じてくれないアキラに本気で
腹が立って来る。確かに自分は佐為の代わりにネットで碁を打ったが、
イコールsaiではない。嘘はついていない。勝手にそう思い込んでる
アキラが悪いんだ。
「調べたかったら勝手にしろよ。オレ、帰るからな!」
「待て、進藤!」
「離せよ!」
 引き止めようと腕を掴むアキラと、それを振り払って部屋から出て行
こうとするヒカル。一進一退の攻防は、それでも僅かに体格と力に優る
アキラに軍配が上がった。
 細い両肩を引き寄せられ、そのまま力任せに畳の上へと押し倒される。
どすんと鈍い音。ヒカルは後頭部と背中に痛みを感じて、低く呻いた。
 今まで散々「ふざけるな!」と怒鳴られることはあっても、あの塔矢
アキラが腕力に訴えて来るなんて思わなかった。
「痛ぇなぁ、もう」
 まだずきずきと痛む頭に眉を寄せながら振り仰いだアキラの表情に、
ヒカルはぎょっとした。乱れた黒髪の間から覗くアキラの眼が、まるで
狩りをしている肉食動物のように鋭くこちらを見据えている。ヒカルは
自分がその爪にかかった小動物に思えて、知らず知らずのうちに身震い
をしていた。
「怖い?進藤」
「こ、怖かねぇよ!」
「じゃあ、何で震えてるの?」
「これは、た、ただの武者震いだって」
 精一杯の虚勢を張って身を捩ろうとするが、うまく肩に体重を乗せら
れて、まったく身体が動かない。
「お前、いったい、どういうつもりなんだよ?」



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