平安幻想異聞録-異聞-<外伝> 6 - 10


(6)
それらの世話がきちんと終わっているか確認してから、母屋に行くと、祖父と母が
朝餉をとっていた。
「おう、ヒカル、朝はもう食ったのか?」
「うん、検非違使庁で食べてきた」
「そうそう、ヒカル、あかりちゃんが帰って来てるって知ってた?」
「え、そうなの?」
「穢れ払いの物忌みって聞いたけど、あちらのお家じゃ、久しぶりに家の中が華やい
 だって大喜びよ。もっとも表向きがそういう理由だから、あんまり大騒ぎはでき
 ないけどね。あなたも、顔を出してきてあげたら?」
物忌みの時は、普通はもっとしんみりと家を閉ざし、静かにしているものなのだけど、
いいんだろうか?(それに、あれ? あかりの時期ってこんなもんだっけ?)
ヒカルは首をひねった。内裏の中では血はもっとも忌むべき穢れだから、女性は
月の物がくれば、いったん里へ下がる。ヒカルは内裏であかりと顔を合わせることが
多かった分、彼女が里に下がればわかるから、その気はなくとも、なんとなくあかりの
それの周期を知っていたりするのだ。
まぁ、一眠りしたら顔を見に行って来るか、とヒカルは自室で床につく。
そういえば、あかりもこの間まで佐為佐為って騒いでたけど、今はどうなんだろう?
他の女房達のように手の平を返し、その名を忌み避けるのだろうか?
内裏でヒカルをこづいては笑う、幼なじみの顔が浮かんだ。しかし、そのこづかれて
いるヒカルが時々ドキリとするほどに、あかりは、この一年ほどで綺麗になった。
(あいつ、通ってくる男とかいんのかなぁ)
ヒカルは目を閉じ、ぼんやり思いを巡らせる。
彼女だってもうそろそろ誰かと結婚したっておかしくない年頃だ。
もしかしたら今回の里帰りも物忌みとは表向きで、実はどこかにいい人でもいて、
その婚姻の準備のためなのかも知れないと思い当たった。
あのあかりに恋人がいるなんて、まったく想像もつかないけれど。
恋人か、と考えて、ヒカルの思考はその言葉につまづいた。
自分と佐為とは、結局どういう関係だったのだろう。


(7)
恋人というのとは違うのではないかと、ヒカルは常々思っていた。
恋人と言う言葉で思い浮かぶのは、宮中でよくみかける、男が女に御簾越しに
出会って、歌を送り、闇に紛れて逢瀬をかさね、またそれについて歌を交わす…
…そんな関係だ。
だけど、佐為とヒカルがそんなことをしたことは一度もない。
あいつとは、どちらかというと、体の関係のある仲の良い友達。
そう、そんな言い方が似合う気がする。
体をつなげるのもそれは、楽しかったけど、一緒に話したり並んで歩くだけでも
嬉しかった。
たわいない世間話をして、碁を打って。
でも、だとしたら。
あの端正な面影が心をよぎるたび、胸に逆巻くこの感情を何と呼べばいいのだろう。
(そう言えば、俺、佐為にはそんなにいっぱい「好き」って言ってやった事、
 なかったな)
淡い後悔が胸を濡らした。
褥の中で、どんな格好をすることも平気だったくせに、その言葉は妙に気恥ずかし
くて、そう何度も口にしたことはない。
(こんなことなら、もっと「大好きだ」っていっぱい言ってやればよかった)

その夜、ヒカルは佐為に抱かれる夢を見た。幸せな夢だった。
幸せすぎて、そのまま目が覚めずに死んでしまえたらいいと思った。


(8)
伊角信輔は夢魔に取り憑かれていた。
なんとはなしにその事を口走ったら、周りの者がおおいに心配して、陰陽師、
あるいはどこぞの高名な僧でも呼ぼうかと言い出したのだが、断った。取り憑かれ
ることを望んでいるのは自分だ。
夢魔に責められて眠れぬ夜が続いた時は、せめて気を紛らわそうと、少し好みの
女の元へ通ったりもしてみるのだが、その体を暗闇の中で抱きしめれば、顔がよく
見えないのをいい事に頭の中で、その女に、近衛ヒカルの面影を重ねている自分に
気付く。
とんだ悪夢だ。
これが、女の顔を思い浮かべるのだったらまだしも、よりにもよって男の面影と
重ねられたのでは、自分と床を共にする女もたまったものではないだろう。
そう思ったら相手の女に申し訳なくなって、いつのまにか夜に通う場所もなくなり、
独り寝の夜が続く。
しかし、そうなるとまぶたの裏に思い浮かぶのは、あのたった一夜、悪意ある偶然の
成り行きで近衛ヒカルを抱いた時のことで、伊角の右手は自然に自分の下肢の間で
いきりたつ一物に伸びた。あまりに虚しいので、また女を見つけて通ってみたり
するのだが、やはり同じことの繰り返しだ。
いっそあの夜のことを忘れてしまえたらと思っても、どうしても切り捨てる事が
できない。
ふさぎ込む事の多くなった伊角に、家族が心配して声をかけ、時には結婚を勧める。
だが、内裏での評議ではすぱりすぱりとした物言いが小気味いい伊角が、この件に
関してだけは、昔にもどったようにのらりくらりと言葉を躱して逃げてしまう。
そうしてダラダラと二年が過ぎてしまった。
忘れえることの出来ないあの一夜の出来事が、夢魔となって長く伊角を縛っていた。
普段、内裏で武官として務めている姿からは想像もできなかった、あの夜の
近衛ヒカルの声が、中の熱さが、記憶に焼き付いて離れないのだ。


(9)
内裏で、藤原佐為と一緒にいるその姿をみると、心が躍った。
そして、同時に近衛ヒカルと藤原佐為の関係にも薄々気付いてしまった。
ひどく落ち込んだ。
でも、男心とは単純なもので、渡り廊下などですれ違った時にヒカルが自分に
笑いかけてくれれば、やはり嬉しいし、その日一日は、やけに機嫌よく過ごせたり
するのだ。
藤原佐為の訃報を知った時には、申し訳ないことだが、かの碁打ちの人の死を嘆く
より先に、近衛ヒカルの心情の方に考えが及んでしまい、何日もの間、悔やみの
文を近衛の家に送るか送るまいか悩んだりもした。建前上、自分はあの二人の関係を
知らないことになっているのだからと、結局は送らなかったが。
そうこうするうちに、内裏で近衛ヒカルの姿を見なくなってしまった。
そうなってから、いかに自分が、内裏の中で無意識に彼の姿を追っていたかを
思い知らされた。
近衛ヒカルは、今頃どうしているのだろう?
伊角信輔は憂うつに目を覚ました。桧で作られた天井の梁が目に入る。
今日の御前会議は夕刻から。おそらく帰ってこられるのは夜半過ぎだろう。
ゆっくりと起き上がって、侍女を呼んだ。
軽く食事をとってから、着替えて出掛けよう。


墨染めの束帯に身を包み、もう一度、帝に奏上申し上げる議事提案を口の中で
暗唱してから、伊角は牛車に乗り込む。
牛飼童が飴色の角の牛をせかすと、車輪がきしむ音がして、牛車がゆっくりと
進み始めた。
前に後ろに数人の随身、雑色が付き従う。
参内の途中、伊角が牛車の中から外を覗き見たのは、まったくの偶然だった。
「近衛!」
久しぶりに見る顔が跳ねるように振り返って、自分を見た。


(10)
牛を止めさせて、車の中から身を乗り出す。
「どこへ行くんだ」
「検非違使庁だよ」
近衛ヒカルは、心なしか疲れているようでもあった。
「そうか。俺も参内の途中だよ。乗ってかないか?」
「え……いいよ」
「俺がお前を乗せたいんだよ」
随身に命じて、半ば強引にその検非違使を牛車に連れ込ませる。
「なんか、無理矢理だなぁ」
狭い牛車の中で、伊角はヒカルを目の前に座らせて、ニコニコと上機嫌だ。
「それにしても、妙な所で会ったな。お前の家、ひとつ通りの向こうだろ?」
「あかりの……藤崎の家に寄ってたからさ」
「あぁ、女房務めをしている幼なじみがいるって言ってたな」
「うん。なんか、実家に帰って来てるって聞いて会いに行ったんだけど、今日は
 先客がいるからって追い返された」
不服そうに言うヒカルの顔は、可愛く、それでいてどこか儚げで、伊角はそれに
見惚れながら、今日、ヒカルを門前払いしてくれた藤崎あかりに感謝した。それが
なければ、こうして自分が近衛ヒカルに出会う偶然はなかったのだ。
本当に久しぶりな気がする。
近衛ヒカルのいない内裏など、桜の咲かない春のようなものだ。



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