邂逅 6 - 10


(6)
 そんな風に始まった二人の関係だが、アキラが訪ねて来ることは滅多になかった。月に一度
来ればいい方だ。彼は訪ねてくる前に必ず電話を入れてくる。渡した合い鍵は、その意義を
持たせてもらえなかった。
 それが、二週に一度になり、いつの間にか週に一度になっていた。そのころには、アキラの口から
ヒカルの名前が再び熱く語られるようになっていた。

 そして………気付かなくても良いことに気付いてしまった。彼がここを訪ねるときは、
何時もヒカルに会った後だということに………

嫌な予感がした―――

 だけど、緒方はその予感を勘違いだと頭から振り払った。 
 アキラは、ただ、ライバルを手に入れたことに舞い上がっているのだと……そうでなければ、
初めて出来た同い年の友人に浮かれているのだと……… 無理矢理そう思いこもうとした。

 そして、何故、そんな風に考えるのかと訝しむ自分の心にも蓋をした。


(7)
 「聞いてるんですか?」
むくれたような声に、ハッと顔を上げた。いつの間にか自分の中に篭もっていたらしい。
「ああ、聞いてるよ。それで、進藤と北村さんがどうしたって?」
アキラはニコリと笑って、先を続ける。
「また、ケンカ始めてしまって…間に挟まれた広瀬さんがオロオロしちゃって…」
「へえ…」
適当に相づちを打つ。興味がないことをアピールしたつもりだったが、アキラには通じなかった。
「どちらかが折れればいいのに…本当に、子供なんだから…」
そう言って、クスクス笑うアキラの顔も子供のそれだった。
 以前のアキラとは明らかに違う。以前はヒカルのことを話すにしても、そこにはどこか
畏敬の念が含まれていた。ずっと遠くの――どこか別の次元の――簡単には辿り着けない
遙かに高い場所にいるような者のように語っていた。恐れと尊敬と憧れとが、熱っぽいその言葉の
一つ一つに込められていた。
 それが今は――同じ唇から語られる同じ人間のこととは思えないほど――親しげで遠慮がない。
 彼はすっかりあの少年に夢中になっている。大きな瞳に無邪気な笑顔。そして、天賦の才能。
 彼の瞳が煌めいているのも、頬がバラ色に染まっているのも全部あの少年のためなのだ。
それなのに、そんな風に強く輝く彼を見ているのが、ヒカルではなく自分だとは皮肉なことだ。


(8)
 今にも踊り出しそうな軽い足取りで、ヒカルが歩いていた。口元には笑みが浮かび、歩道脇の
植樹やショーウィンドウのディスプレイ、目に入る全てのものに愛嬌を振りまいていた。
よほどうれしいことがあったのだろう。見ているこちらまで、つられて浮かれてしまうような
そんな笑顔だった。

 確かアキラと同い年だったはずだが………

 ここ数ヶ月の間にヒカルはずいぶん大人っぽくなった。棋院に現れなかった間に何が
あったのか…誰も知らない。アキラも聞いてはいないようだった。
 ただ、その後再び現れた彼の変化は誰の目にも明らかで、彼が無邪気で明るいだけの人間ではないのだと初めて知った気がする。
 ヒカルにはsaiに絡んでいろいろと秘密があるらしいことは、もちろん知っていた。
そのことに、アキラも自分も名人でさえすっかり振り回されてしまっていた。奇妙な少年だ。
 しかし、そんなミステリアスな部分をすっぽり覆い隠してしまうくらい彼の無邪気な明るさは
人の目を引いた。元気で明るく傍若無人。不敵といっても良いくらいだった。
 その彼が、ほんの短い期間に見違えるほど大人になっていた。静かで落ち着いた雰囲気を纏わせ
碁を打つ姿は、今までとは違う意味で人目を奪った。他人を容易に踏み込ませない頑なさが
どうにも心を落ち着かせない。寂しげな横顔が妙に気になった。


(9)
 だが、それも対局しているときのみで、普段の彼はそれまで以上に子供っぽかった。棋院でも
年上の友人達に甘えている姿をよく見かけた。
――――寂しがっている?
ただの勘だったが、あながち間違ってはいなかったらしい。寝物語に聞いたアキラの話からも
そのことは伺えた。


 シャワーを浴びて戻ってくると、アキラはもう眠っていた。いつものことだが、彼は自分と
眠るときいつも背中を向けている。華奢な身体を抱きしめて眠りたいと思ったこともあるが、
彼は決してそれを許さなかった。染み一つない白い背中を…美しい黒髪がかかる細い首筋を
緒方に惜しげもなく晒しながらも、その向こう側にある表情を見せてはくれない。
 だから緒方はアキラの寝顔を知らない。一番無防備で彼の真実を映し出すその表情を
一度も見たことがなかった。


 「“いつか”って、いつなんだろう…」
アキラが裸の背中を向けたまま、ポツリと呟いた。眠っているとばかり思っていた。人形のように
身動ぎひとつせず、その上、顔も見えないのだからそう思っても仕方ないだろう。
 それでも、アキラはこちらを振り向かない。
「いつか話すって進藤が…でも……」
話すとは彼の秘密のことだろうか?それをアキラに話すとヒカルは言ったのか?それを
信じてアキラはずっと待っているのだろうか…
「一緒にいるとすごく楽しそうだし、屈託なく甘えてくるのに…いつも寂しそうで…」
小さな溜息が耳に届いた。
「“いつか”って、いつ来るんだろう…」
 胸の奥がチリチリと痛んだ。

 「や…なに!?緒方さん…!」
薄い肩に手をかけ、強引にこちらを向かせた。彼の顔はいつも通り………冷めた瞳が緒方を
見返した。緒方は、そのまま彼を自分の下に組み敷いた。
 この二年の間にお互いの愛撫にすっかり馴染んでいた。薄い胸や滑らかな腿に手を這わせる。
「ん………だめ…緒方さん…」
アキラの拒絶の声は、すぐに甘い吐息に変わった。
 ほんの一時間ほど前まで、自分を受け入れていた場所に手を這わせ、中を掻き回す。
そこはまだ柔らかく、時間をかけなくとも簡単に入ることが出来そうだった。緒方はそこに
自分自身をあてがうと、一気に突き入れた。
「あ、あぁ…!い…痛い…」
「ウソつけ…」
 緒方は手酷く彼をいたぶり続けた。嬌声が暗い薄暗い室内に響き渡った。


(10)

 ヒカルは本当に楽しそうに前を歩く。その後ろを緒方が歩いているのにも気が付かない。
緒方はヒカルの華奢な後ろ姿をじっくりと観察した。
 初めてあったときより、身長もずっと伸びた。頭が小さく手足が長い。丸みを帯びていた頬も
小さな手も大人のそれに変わりつつある。それでも彼の仕草も表情も子供のように、無邪気で
愛らしかった。
 緒方は暫く楽しげなヒカルの姿を眺めていた。彼は本当に幸せそうだった。その幸せな気持ちを
ほんの少し自分も味わいたかった…そう思って声をかけた。

 ヒカルがビクンと振り返る。そんなに驚かせるつもりはなかったが、彼は大きな目をまん丸にして、
緒方を見つめている。
 こうやって見ているとヒカルは本当に可愛らしい顔立ちをしている。アキラとは違うタイプの
少女めいた美しさを持っていた。
『男を見て、女の子を連想するのもヘンな話だ………』と、苦笑した。

 「先生 どうしてこんな所にいるの?」
頬を赤らめて、ヒカルが訊ねてきた。浮かれている自分を見られたのが恥ずかしかったのだろう。
「仕事で棋院に来ていたんだが、出たところでお前を見かけてな…」
「じゃあ 先生ずっとみてたんだ。」
人が悪いとふくれるヒカルを慌てて宥めた。こういう会話はキライではない。特に好ましいと
思っている相手となら、駆け引きも楽しい。
「悪かったな。お詫びにメシでもおごろうか?」
緒方が切り出すと、ヒカルは酷く狼狽えた。何かを警戒しているようにも見える。
『ははぁ…“sai”のことだな…』
緒方はヒカルの答えを急かさず待った。



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