りぼん 6 - 10


(6)
家に入ったとたん、塔矢が襲ってくるのをオレは覚悟してた。
ずっと前だけど、玄関でオレ、塔矢に抱かれたことあるし。イヤだって言ったのにさ。
けど今日はそんなことはしてこなかった。だからって安心したわけじゃないぞ。
まずは塔矢の部屋に案内された。じぃっと見るオレに気付いて、塔矢は苦笑した。
「別にすぐにキミを押し倒す気はないよ」
「でも後でするつもりだろ」
「まあね。それより座ってなよ。ちょっと用意するものがあるから」
用意!? 用意って何のだよ!! 
部屋に残されたオレはぐるぐると塔矢の言葉を思い返す。
アイツはロクなことをしないから、不安になってくる。
それにしても、相変わらず何も置いてない部屋だな。
あ、でもなんか勉強机の真ん中に見たことのない箱が置いてある。
「進藤、待たせてゴメン。居間に……進藤?」
「なあなあ、これ何が入ってんの?」
「ああ、それはお父さんからのプレゼントなんだ」
そう言うと塔矢は大切そうにその箱をあけて、中のものを見せてくれた。
筆と墨と硯に、紙が行儀よく入ってた。書道セットか?
「文房四宝だよ。まさかこんな高価なものをくれるなんて思いもしなかった」
塔矢の声がはずんでいる。こんなのがうれしいのか? オレだったら他のがいい。
ホントによくわかんねえヤツ……。
ちょっと引いてるオレに気付かないで、塔矢は興奮気味に話してくる。
「ほら、見てよこの墨。きっとすごくいい色を出すと思わないか? それにこの筆も紙も、
一級品だ。ボクの持っているのとは全然ちがう。なによりも硯が……」
オレ墨汁しか使ったことないし、筆も紙も硯も、どうでもいいんだけど。
「塔矢は習字するのか?」
「お父さんがね、書道の基本くらいは身につけておくべきだ、って言って小学生のころ少し
習ってたんだ。とりあえず段まではいったよ」
とりあえずで段〜? 囲碁以外、なにもしたことがなさそうなヤツのくせに。
「今からでも遅くないから、進藤も少しやってみたら?」
ちぇっ、どうせオレの字は汚いよ。
そう言えば初めて会ったときの倉田さんにも、「へったくそな字!」って言われたっけ。
佐為も『虎次郎とは大違い』って――――
「進藤、早く居間に行こう」
急にそでをつかむと、塔矢はそのままオレを引っ張って行った。
なんか塔矢、ちょっと怒ってないか? 
本当にわけわかんないうちに機嫌が悪くなるヤツだよな。


(7)
居間の座卓には、すごい豪華な料理が並べられてた。
でも部屋の雰囲気にちっとも合ってない。だってここは和室なのに、料理は洋風だったから。
でっかい鳥の肉、湯気をたててるシチュー、きれいな色のサラダ、数種類のパンにチーズ、
他にもいっぱいある。どれもこれもおいしそうだ。
だけどコレ、どうしたんだ?
「まさかオマエがつくったんじゃないよな?」
「嫌味か、それは」
そうだよな、そんなはずないよな。オマエの料理の腕前はオレが一番よく知ってる。
「レストランに注文したんだ。コースにしようかと思ったけど、それよりもキミの好きそう
なのを選ぶことにした。ちょっと統一性が無いけどいいよね」
いいも何も、オマエ、今日は自分の誕生日だろ? 自分の好きなの頼めよ、まったく。
って言うかさ、塔矢……。
「オマエ、最初からオレを家に連れ込む気だっただろ」
「連れ込むだなんて人聞きの悪いことを言わないでくれ。まあ準備はしてたけど。ハイ」
塔矢はなんか高そうなグラスを差し出してきた。
すらっと細長くて、ガラスも薄くて、力を入れたら簡単に割れちゃいそうでコワイ。
ボトルを取り出すのを見てオレはびっくりした。おいおい、酒を飲む気かよ。
ラベルは横文字でいっぱい埋め尽くされている。英語、苦手なんだよな、オレ。
えーと、ちゃむぱぐね? ぐらんど、くる? でみ、せく? 
わけのわかんない文字の羅列だ。他にも書いてるけど、読む気なくす。
「……なんのお酒だよ」
塔矢がくすくす笑った。ヤなカンジだな。
「シャンパンだよ。ボクはお酒のことはよく知らないけど、甘口だってお店の人が言ってた
から、飲みやすいと思うよ」
「オレたち未成年だぜ」
「固いことを言うなよ、進藤」
ふだんはメチャクチャおかたいヤツがなに言ってんだ。けど、これ高そうだよな。
こいつのお金で買ったんだよな。もしかしたらオレ、塔矢のお金を食べちゃってるのかも。
そうだよ、こいつの対局料、絶対オレの腹ん中に消えてるよ。


(8)
だいたいコイツの金銭感覚、絶対おかしいと思う。
平気でぽんぽん出すんだ。ありがたく受け取ったけどさ、オレへの誕生日プレゼントだって、
万はいってるはずだ。
よくそんなの贈る気になるよな。オレだったらいくら塔矢でも、絶対にできない。
まあ、塔矢はタイトルをいくつも持ってた塔矢先生の息子だからなあ。
なんてことを考えてると、塔矢が呼びかけてきた。
「開けるよ」
塔矢が金色のキャップをはがして、針金を外した。それから真剣な顔して、コルクを押さえ
ながら少しずつずらしていってる。
いきおいよくポンッていうのをオレはわくわくしながら待った。
なのにかすかにシュッと空気が抜ける音がしただけだった。
オレの拍子も抜けた。
「なんでぇ、つまんねーの。どうしてコルクが吹っ飛ばないんだよ」
「そんな開け方をしたら旨味が逃げてしまうから、してはいけないと言われたんだ」
白い布で口の部分を拭くと、オレのグラスにそそいでくれた。
泡がシュワシュワッて後から後から出てくる。キレイだ。
「進藤」
塔矢がオレに期待のまなざしをむけてきた。オレは一つ咳払いをした。
「誕生日おめでとう、塔矢」
「ありがとう」
グラスを軽く当てた。チンッて高くて澄んだ音がした。
飲んでみると、まず甘みを感じた。それから炭酸が舌を刺激してきた。なんか気持ちいい。
シャンパンって飲んだことあるけど、こんなに上品な味だったっけ?
まろやか、って言葉がぴったりだ。本当に飲みやすくて、グイグイいけちゃいそうだ。
けど酔っ払うから、ジシュクしたほうがいいよな。
「塔矢、他に飲みものある?」
「ワインも用意したけど」
「……アルコールの入ってないやつ」
塔矢はちょっと残念そうに肩をすくめた。コイツ、オレを酔わす気だったな。


(9)
とりあえず並んだ料理をはしから口に運んでいった。
サーモンのマリネがうまい。それに肉がとろけるように軟らかいタンシチューも。
「はい、進藤」
塔矢がパンにチーズをぬったやつを渡してくれた。それにかぶりつく。
「うっまい! にんにくの風味がするっ」
「ブルサンというフランスのチーズだ。こっちのサンタンドレもあっさりとしておいしいよ。
あと他にも……」
「チーズの名前なんてどうでもいいよ。味の説明もいらない、食えばわかるんだから」
キミらしい、と塔矢が笑った。え? 今のって笑うところなのか?
オレ、塔矢の笑いの感覚もよくわかんない。
「進藤、それは一緒に食べるんだよ」
メロンの上にのっかってた生ハムをオレがどけようとするのを塔矢がとめた。
「え〜、オレやだ。メロンはメロン、ハムはハムだろ。一緒になんか食えないよ」
「ためしに食べてみなよ。おいしいから」
「どう食おうとオレの勝手だろ。いちいち指図してくんな」
オレは塔矢を無視してハムをかじった。塩気と一緒に、ひっついてたメロンの甘さを感じた。
……たしかに一緒に食っても、うまいかも。
けどなんか悔しくて、オレはけっきょく別々に食べた。
ふと、塔矢があんまり食べてないことに気付いた。オレのほうばかり見てる。
「なあ、食べないのか?」
「キミの食べているところを見ていたいんだ」
「……見るな。食べづらいだろ」
なんとなくオレはまえに塔矢がワケのわかんない理由で、人前でものを食うなと口うるさく
言ってきたことを思い出した。
そうだ、オレの食ってるところはイヤラシイとか、誘ってるように見えるとか、オマエの頭
がおかしいんじゃないかってことを次から次へと……。
忘れてたのに、思い出したらムカついてきた。
今でもコイツはそんなふうに思ってるんだろうか。


(10)
「おまえオレが食ってるところ見るの嫌い?」
そう言うと塔矢は驚いた顔して、まさか、と言った。
「ボクはきみが食べているところが好きだ。あと眠っているところも」
少し意味ありげに塔矢が言う。ニコニコしてるのが何だかブキミだ。
「でも一番好きなのは、碁を打っているところだ」
そりゃどうも、とオレは心のなかでつぶやいた。
こういう浮ついたセリフはだいぶ慣れた。いちいち恥ずかしがってたらキリがないもんな。
……そう思うのに、心臓がドキドキしてる。
いや、これはお酒を飲んだからだ。そうに決まってる!
「そろそろデザートにしようか」
一瞬オレは緊張してしまった。別の意味で聞こえたんだ。でも塔矢は台所のほうに消えた。
そういえばオレ、何にもしてないよな。ぜーんぶ、塔矢まかせだ。
「進藤、そこのお皿をどけてくれる?」
塔矢はいろんな種類のフルーツと、花のかたちをした飴細工がのった大きなケーキを持って
もどってきた。
おいしそうだけど、二人で全部は食べきれないな。多くても二きれくらいがせいぜいだ。
塔矢がていねいに切り分けていく。
「ロウソクとか立てないのか? 歌くらいならうたってやってもいいぜ」
「蝋燭はいらないけど、歌は聴きたいな」
「マリリン・モンロー風にうたってやろうか?」
塔矢はきょとんと首をかしげた。ここでたいていのヤツは笑うんだけどなあ。
「それってどういうのだ? うたってよ、進藤」
「え? えーと……」
なんかマジメな顔して言ってる塔矢を見てたら急に恥ずかしくなってきた。
「ゴメン、今のは冗談だ。食おうぜ、ケーキ」
「歌は?」
「それもなし。オレはロウソクがなくちゃ歌えないんだ」
自分でもヘンないいわけだって思う。だけどやっぱり塔矢はまじめに受け取って、うちには
誕生日用のロウソクはないんだって、残念そうに言った。



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