灑涙雨 (さいるいう) 6 - 10


(6)
そうだ。あれは彼の言葉だったのだ。
「君は在るべき所に在り、為すべきことを為さねばならない。」
その言葉を聞いたとき、一緒にはいられないと突き放されたようでとても哀しかったのだけれど、それでも
彼の言葉は正しかったのだと後から思った。
あの時、彼はどのような思いで自分を送り出したのだろう。
己の感情を滅多に表に出す事の無い彼が、けれどその表層に反して誰よりも熱く激しいこころを持って
いる事を、知っている。その熱い眼差しが、誰か他のひとのものだと思っていた熱い身体が、こうして今、
己のためにある事が、今でも時折、信じられないように思う。
初めて彼が想い人を語った時、胸に感じた痛みが、その後何度も自分を襲った苦しさが、あの焼け付く
ような思いが、嫉妬と名付けられるものであったと、今では知っている。

彼の袖を引き、振り返った彼の瞳を見つめると、彼の瞳の奥に炎が揺らぐのが見えた。自らの瞳に映る
その炎に、燃え上がるような喜びを感じながらヒカルが目を閉じると、彼はヒカルが望む通りの熱い抱擁
とくちづけを、惜しみも無くヒカルの上に注いだ。嬉しくて、同じように熱い抱擁とくちづけを彼に返した。
「そう言えば、今日俺が帰ってくるの、どうして知ってたんだ。
ここに来た時にはもう門に迎えが出ていて、」
「僕を誰だと思っている。」
ヒカルの目を見つめ返しながら、彼は薄い笑みを浮かべた。
「僕自身の身体はここに在ったとしても僕の目は至る所にある。それが君を見逃すとでも?」
深い色の瞳に覗き込まれるように見つめられると、背がぞくりと震える。
この瞳がずっと欲しかった。
この熱さに、ずっと焦がれていた。
いつからこんなにも彼に恋してしまっていたのか、わからない。
「支庁の生垣に咲いている夕顔の花が、教えてくれた。
君が帰ってきたことを。君が僕を訪ねてきてくれることを。」
耳元で囁く彼の声をうっとりと聞きながら、彼の身体を引き倒した。


(7)

誰よりも熱い、けれど誰よりも厳しく己を律する彼が、その枷を外して情熱のままに自分を求めてくれる
時、全身が震えるほどの喜びを感じる。
折り重なった身体の間で、彼が既に熱く昂ぶっていることを感じる。その熱をもっと感じたくて、同じよう
に昂ぶっている自分自身を擦り付けるように腰を動かす。一瞬、逃げるように動いた肩を掴んで押しと
どめ、非難するように齧り付くと、彼の口から鋭い息が漏れた。
お返しのように彼が身体の重みごと、彼自身を押し付けてくる。熱く火照る二つの身体の間でさらに熱い
熱が擦られあって粘液質の音をたてる。脳髄を焼くような快感に耐えられずに身体を捩じらせ胸を逸ら
せて熱い吐息を漏らした。

目の前に見せ付けるように押し出された淡紅色の飾りに、アキラは請われるままに舌を這わせる。刺激
を受けて明瞭な形を成してきた突起を舌で舐り、口に含み、軽く歯を立てると、ヒカルの身体がまたびくん
と仰け反る。腕を背に回しいれ、抱きすくめるようにしながらもう片方の胸にも同じような愛撫を与えてやる
と、もはや彼はすすり泣くような喘ぎを漏らさずにはいられない。
彼の下肢を割り開き、内腿を撫で擦りながら尚も執拗に胸部への愛撫を続けると、彼は抗議するように
頭を振り、彼自身をこちらの腹に擦り付けるように動く。そんな彼に小さく笑って、軽い音を立てて小さな
突起を解放してやり、そのまま間髪入れずに頭を下げ、熱い涙を溢している彼自身を口に含んだ。
頭上で制止する声が響き頭を引き離そうとする手を感じるけれど、構わずに熱く猛る彼自身を口内で弄
る。抗議の声が鳴き声に変わったのを見計らって強く吸い上げてやると、そのまま彼は口の中で弾けた。


(8)
裸の胸を上下させ、荒い息をついている彼の、額にかかる前髪をそっと払い、優しくくちづけを落とすと、
彼の腕が伸び、ぎゅっと抱きしめられた。汗に濡れた熱い身体と激しく脈打つ鼓動が愛おしい。
そのまま唇を重ね、軽く触れ合わせては離し、また触れ、舌先で彼の形よい唇の輪郭をなぞる。そんな
事を繰り返していると、いつの間にか下半身に降りていた彼の手に自身をぐっと握りこまれた。
「…アキラ、もう、」
熱く濡れた瞳が懇願するように見上げている。その瞳の色に心臓が跳ね上がる。彼の手に包まれた自分
自身が更に張り詰め、硬度を増したのを感じる。それでもまだ焦らすように、彼の手の上から自身と彼自
身を添えるように握りこんで腰を揺らす。
「ああ…ッ!」
身を捩らせる彼の片足を空いた手で掴んで大きく脚を開かせ、早く来て欲しいと待ち望んでいるそこに
自分自身を一気に捩じ込んだ。悲鳴のような鳴き声と同時に彼の背が大きくしなる。その背をそのまま
ぐっと抱き寄せると、首に回された彼の腕に、それ以上の力でしがみ付かれた。
自分のものなのか、彼のものなのかもわからない熱い脈動を全身で感じる。滴り落ちる汗が混じりあう。
荒い息遣いと、汗が飛び散る音と、身体と身体がぶつかり合う音が響く。もはや二頭の獣のように、彼ら
は絡まりあいながら互いに互いを感じ取り、受け止め、更に貪欲に貪りつくす事に没頭していった。


(9)
熱く火照った肌を涼風がさらりと撫でていく。
ふと、ヒカルは外の雨音が止んでいるのに気付いた。
アキラの腕をすり抜けて単を羽織り、庭に降り立って空を見上げると、いつの間にか雨は上がり、雲の
切れ間から星々が見えはじめていた。
雨に濡れた草の匂いが、枝を揺らしながら肌を撫でていく涼しい風が、心地良い。
見上げるうちにも、見る見る雲は晴れてゆく。西の空には弓形の七日月が傾きかけていた。雨で洗わ
れた空は常よりも更に鮮やかで、黒く深く透きとおるように広がる夜空に、星々は大河の流れのように
煌めいていた。

ヒカルの後を追うようにアキラも庭に下りて、同じように空を見上げた。
降る程の星々のきらめきが、なぜだか心にしみるような気がした。
星を見上げて無口になってしまったヒカルを見ていると、不意に悲しみがこみ上げて星空を見上げる
彼を背中から抱いた。
「ヒカル、」
星を見上げる彼は、二度と逢えない人を想っているのではないだろうか。
自分はまだ、こうして時折あのひとの事を思い出してしまう。こだわっているのは自分ばかりのようにも
思うのに、それでもまだ彼へのこだわりを捨てきれない自分は、何て器の狭い男なのだろうと自嘲する。
「おまえ、俺が佐為の事考えてると思ったろう。」
見透かしたようにヒカルが言う。
「そりゃ、考えなかったって言ったら嘘だけど。」
ヒカルはそっと胸に回された腕に自分の手を重ねた。
そして星を見上げ、遠く儚い人に想いを馳せる。
「佐為とだってさ、しょっちゅう逢えてた訳じゃない。
あいつの警護役を離れてしまったら、本当に全然逢えなくなった。
だから久しぶりに逢えたりしたらすごく嬉しくて、」
彼の手をきゅっと握り締めてヒカルは微笑んだ。
「最後にあいつに逢ったときも、それが最後だなんて思わなかった。
逢えて嬉しくて、別れた後は今度はいつ逢えるだろうって、楽しみにしてた。」
昔を懐かしむように薄っすらと微笑みを浮かべたヒカルを、アキラは辛そうな顔をして見ていた。
彼の腕に包まれたままヒカルは振り返り、彼の頬にそっと触れて彼の顔を覗きこんで、優しく微笑んだ。


(10)
おまえが辛く思う必要は無い。
佐為を思い出すことは、悲しみだけじゃないんだよ。
俺は幸せだった。
俺はあの美しい魂と出会えた事を誇りに思う。出会わなければ良かったなんて思わない。忘れてしまい
たいなんて、もう、言わない。
俺が佐為を大事に思っていたのと同じように、佐為も俺を大事に思ってくれたという事はわかっている。
佐為と過ごした幸せな日々は思い出すだけで俺を幸福にしてくれる。遺された哀しみは決して消えはしな
いけれども、出会えた喜びは、共に日々を過ごした幸福は、その思い出は更にそれを凌駕するのだと、
やっと思えるようになった。彼の姿も、彼と見た光景も、時がたつに連れ細部の輪郭はおぼろになってくる
けれど、その時の空気の温度や色や匂いは、そういったものはいつまでも失われずに心に残る。その時
彼が何と言ったのか、言葉の仔細は忘れてしまっても、彼の話した内容は覚えている。そしていつかその
意味さえすっかり薄れてしまっても、声の響きはいつまでも耳に残るだろう。
彼と出会えて幸せだった。
彼を愛して、彼に愛されて、俺はとても幸せだった。

でも、わかるか?
俺がそう思えるようになったのも、こうして今俺がおまえを愛していて、そしておまえに愛されている事を
深く感じているからだという事を。
だから俺はあいつに会えたことと同じように、おまえと出会えた事を、今ここにおまえと二人でいる事を、
とても幸せに思う。だからこの時を大事にしたいと思う。
「…だから今、おまえといるときを大事にしたい。」
さらさらと滑る彼の黒髪を梳きながら、白い頬にそっとくちづけした。
「大好きだよ、おまえが。」



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