とびら 第四章 6 - 10
(6)
気付いたら和谷が自分の中を指で弄っていた。正確には何かを掻きだしているようだ。
「な……に」
悔しいが声がかすれてしまっている。
「中で出したから。下痢すんのやだろ。まあ俺にさわられるより下痢のほうがいいなら
とめないけどな」
「見かけによらず律儀なんだな」
和谷はそっぽを向き、ぼそりと言った。
「自分の後始末はしなきゃな」
それは違うことを言い聞かせているようにも思えた。
トイレの床に座り込むのは不本意だが、だるくて起き上がれない。
アキラもヒカルの中に放ってしまったことがある。ゴムをしてくれと言われてたのだが、
何回もするうちに無くなってしまい、別にいいかと思ってやってしまったのだ。
その時は生きた心地がしなかった。
ヒカルは何度も何度もトイレを往復した。そして水をこれでもかというほど飲んだ。
汗が出て、微熱が出て、下痢も止まらず今にも死ぬかもしれないとさえ思われた。
そしてアキラは肝に命じた。二度とこんなふうにヒカルを苦しませないと。
和谷は立ち上がり、流れたままの水で手をすすいだ。
「できるか?」
アキラの顔を見ずに和谷は言う。アキラは身体を起こした。あちこち痛むが大丈夫そうだ。
大丈夫でなくても気力でカバーするつもりだが。
「ああ」
「そうか」
和谷は洗面台のふちをつかんだ。
アキラは立ち上がると、流れたままの水に手をやった。
あまりにも水が冷たくて、思わず手を引っ込めそうになった。
だが鏡越しに和谷と目があって、アキラはたっぷりと水を手のひらにたたえた。
そして何も言わず、アキラは尻の谷間へと手を忍ばせた。
(7)
はっきり言ってものすごく抵抗があった。
ヒカルのときは舌で舐めることができたのに、今は指を這わせることさえがすごく嫌だ。
アキラは義務と言った感じで和谷の中を探る。
そんなことが分かっているのか、和谷が嘲るように言う。
「嫌でもやめんなよ。俺だっておまえの中に突っ込むの、死ぬほど嫌だったんだからな」
アキラはその言葉を無視した。
そもそも挿入する以前に、アキラのペニスは萎えたままだった。
先ほどはほとんど反動で勃起し達したが、今度はそうはいかない。
(和谷を抱くと思うからいけないんだ)
目を閉じ、脳裏にヒカルを思い浮かべる。
若木のように健康的にのびた手足。くもりのない端正な身体。
そのしなやかな肢体を組み敷くのは和谷だった。
自分の知っているヒカルはすでに経験者で、内心では分からずに焦っていたアキラを
それとなくリードした。
だが初めてのときのヒカルはどうだったのだろう。
たぶん和谷が抱いたのだろう。そのときヒカルはどう反応したのか。
どちらが誘ったのか。何となく和谷が不意打ちのように抱いたのではという気がする。
ヒカルは泣いただろうか。助けを呼んだだろうか――――喘いだだろうか。
「……きみが進藤を抱いたのはいつだ」
「去年の12月の初めごろ、だったかな」
隠すでもなく自慢するでもなく和谷は答える。
アキラがヒカルを抱いたのは学校が冬休みに入る少し前だった。
時間的には二人にそれほど差はない。
もっと早くにこの想いに気付いていれば、ヒカルを自分のものだけにできたかもしれない。
そう考えるとやりきれない。
「いつまでそうしてるつもりだ。とっととぶち込め」
「品がない言葉遣いだね」
こんなやつをヒカルは必要としている。
闘争心のようなものが芽生える。それを表すように、ペニスが硬く勃ちあがってきた。
(8)
和谷の中はよくならしていないせいか、とてもきつかった。
締め付けるというより、アキラのペニスを引きちぎろうとしているように感じる。
それは和谷の意思のようにも思われた。
もうほとんど自棄のようにアキラは動いた。和谷の腕に血管の筋が浮かび上がる。
がっしりとした体格。それがうらやましい。自分の身体は少し細い。
もっと食べて頑丈になりなさいと母親にも言われた。
自分が抱いているヒカルでさえ、実は筋肉は自分よりもついている気がしていた。
「いつまで居座る気だっ」
和谷が首をひねり叫んだ。アキラは動きを早めた。だがどうして達せない。
肛門が痛いし、何よりも自分が抱いているのが和谷だというのが大きな原因だった。
それに気付いたように和谷は薄笑いを浮かべた。
「根性なし。俺はおまえでもイッてやったぞ」
頭にきてアキラは和谷の尻に爪をめりこませた。和谷の身体がびくんと揺れる。
アキラはもう一度、目を閉じた。すぐにヒカルの姿が見えてきた。
今度のヒカルは自分の腕の中にいた。
背中に腕をまわし、目をつぶって全身でアキラを感じている。
そんなヒカルにアキラは呼びかける。
するとおずおずとその澄んだ瞳が開かれる。
そこに一瞬よぎる表情。
自分ではない、と言いたげな――――
「……あ……っ」
心臓をわしづかみにされたような衝撃がはしった。動悸がする。
ヒカルの言葉が鮮明に耳に聞こえてきた。
――――オレにはどっちも必要なんだ。
その言葉は嘘だ。偽りに満ちている。ヒカルは和谷と自分を必要としてなどいない。
その考えは唐突に浮かび、明確な根拠はなかった。
だがそれは真実であるとアキラは確信した。
(進藤は僕たちのどちらも見ていない……)
アキラは目を開いた。現実がくっきりと見えた気がした。
昂ぶりが一点に収束されていく。「ごめん」という声が頭の中に響いた。
ヒカルは自分でわかっているのだ。そう悟った瞬間、アキラは達していた。
(9)
射精の瞬間、無意識のうちにアキラは自分のペニスを引き抜いていたらしい。
精液が和谷のふとももを濡らしていた。
和谷は手を洗面台から離し、足へと触れた。その指にぬめったものがからみつく。
「汚ねえなあ」
これが和谷の第一声であった。アキラはロールのままのトイレットペーパーを放った。
和谷は大儀そうに座り、拭いていく。アキラはそれを見ていた。
不意に和谷は唇を歪めた。抑揚のない声で言う。
「身に沁みた。やっとわかった」
「何がだ」
アキラは緊張した。和谷も自分と同じことに気付いたのかと思った。だが違った。
「俺がおととい、あいつとセックスをしたわけじゃないってことがだ。俺のしたのは……」
吐き出すように和谷は言った。
「暴力だ。なぐりつけるのと同じことをしたんだ、俺は」
「実際なぐったんだろう」
和谷はアキラを見た。それからうつむき、その通りだ、と小さな声で言った。
アキラは立ち上がり、石鹸をつけて丹念に手を洗った。
なぜ和谷とセックスをしたのか今さらながらに考えてみる。
和谷に抱かれ、同じように和谷を抱いて。こんなことをして何になるというのだ。
和谷を欲しいなどとは少しも思わなかった。それは和谷だって同じだろう。
何か言い表すとすれば、それは“罰”というのが一番しっくりくるかもしれない。
自分たちがヒカルにしたことに対する、罪の意識から生じたもの。
だが例えそうであっても、この行為は単なる自己満足としかならない。
それでは“罰”という言葉も正しくない。
(……進藤をわかりたいと思ったからかもしれない)
それにはヒカルを抱く、もう一人の人物である和谷と交渉するのが手っ取り早い。
そして目的を果たした今、アキラの胸の中に残るのは消えることのない苦さだけだ。
石鹸の香りが立ちのぼってくる。手が冷たさで痺れてきた。
しかしアキラは手をこすりつづけた。指先に残る感触を洗い流してしまいたかった。
(10)
ようやく見切りをつけてアキラは水をとめた。こわばった手をさすり、服を拾い集める。
和谷は動かずに視線をさまよわせている。
「……服を着たらどうだ。見つかったらどうする」
「その時は服を全部脱がなきゃ用が足せないんです、って言うさ。第一、そんなこと
おまえなんかに心配されたくない」
「心配なんてしていない」
何だか軽口を叩き合っているようだが、別に馴れ合っているわけではない。
ただ自分たちは一月以上、無言でにらみ合ってきた。相手の存在に耐えてきた。
その重圧のようなものが無くなった気がするのは確かだ。
ふとアキラは思った。ヒカルが誰かを想っていることに、和谷も気付くだろうか。
その時どうするだろう。また切れてヒカルを傷めつけなければいいが。
ほとんどアキラは服を身に着けた。和谷の足元に転がっている靴を引き寄せる。
「俺、もう一つわかったことがある」
少しその声の調子が明るくなっていた。
「抱くのは進藤がいい。抱かれるとしても、進藤がいい。そのことがよくわかった」
「同感だ」
靴をはきおえ、鏡で服装をチェックするアキラを和谷は見上げ、言った。
「おまえ、時間はいいのか」
アキラは慌てて時計を見た。約束の時刻より30分も過ぎていた。
血相を変えてアキラはトイレから飛び出した。その背中を声が追ってくる。
「あいつ、けっこう気が短いからな。いないかもしれないぜ。ざまあみろ」
アキラは駅へと走った。身体が痛むがそんなことにかまってはいられない。
閉まりかけの電車に飛び込んだ。気が急いて、車内を走りたくなる。
代々木で乗り換え、原宿に着いたときはもう待ち合わせより一時間近く経っていた。
大きい改札口で、とヒカルは言っていた。だがもういないかもしれない。
階段を駆け上る。心臓の音が頭にがんがん響く。
改札口は人でごった返していた。一人一人が埋もれている。
探すのに苦労しそうだと思った。だがその考えは外れた。
壁に背をあずけ、人待ち顔のヒカルがすぐに目に飛び込んできたからだ。
アキラは思わず足をとめた。泣きたくなった。
こんなに人がいても、自分の目はすぐにヒカルを見つけ出してしまう。
ヒカルは特別だ。ヒカルが自分を必要としていなくても、自分はヒカルが必要なのだ。
アキラはヒカルのもとへ駆け寄った。
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