座敷牢中夢地獄 6 - 7
(6)
目を離している間に、あのくれないの傘は何処かへ消えてしまっていた。
「風に飛ばされでもしたんだろう。代わりにこれを使いたまえ」
先生はアキラの迎え用に持参したものらしい細身の傘を俺に渡しながら、
アキラを自分の傘の中へ手招く仕草をした。
それまで俺の隣にいたアキラが嬉しそうに父親のもとへ駆け寄り、寄り添う。
先生はそんなアキラのほうを見ずに、俺の顔を見、行燈の灯を示して言った。
「キミ。この光を見失わないように、ついて来なさい。道中でキミが迷っても
責任は取れないから」
そう言って背を向け歩き始めた先生の傘を握る手に、
アキラの白い手が少しためらってからそっと添えられた。
行燈の灯がくらりと揺らめく。
そこに大きな影が蠢いたような気がして、俺は一瞬二人の後ろ姿を見ながら立ち尽くした。
が、すぐに我に返り、濡れた砂をさくさく蹴って二人の後を追った。
光を、見失わないように。
雨に包まれた道すがら、先生は自分たち父子の事情をぽつりぽつりと語ってくれた。
自分と息子のアキラは東京で棋士としての生活を送っていた。
だが一年ほど前にアキラが体調を崩し、その療養のため自分たち父子はこの土地で
二人きりで暮らしているのだと。
狐に抓まれたような気持ちでその話を聞いているうちに、俺たちはその家に着いた。
(7)
古風で重厚な日本家屋の造りは、東京にあるはずの先生の邸宅に少し似ている。
ガラガラと引き戸を開けて、先生は玄関の電灯を点け、行燈の灯を消した。
俺はそのまま上がり込むのも何となく気が引けて、声を掛けられるまで外で立っていた。
「そう言えばまだ名前を聞いていなかったな。キミのことは何と呼べばいいのかね」
「・・・緒方です。緒方精次」
「緒方くんか。まあ上がってくれたまえ。・・・どうしたのかね」
釈然としない気分でその場に突っ立っている俺に代わりアキラが答えた。
「お父さん、ボクたち靴の中まで水が入ってびしょびしょなんです。何か、拭く物・・・」
「おお、そうか。とりあえず二人とも、中へ入って待っていなさい。今タオルを取って
くるから」
先生が廊下に消えた後、俺はアキラに促されて玄関に足を踏み入れた。
ずっと暗い所にいたから、電灯の光が眩しい。
目を細める俺の後ろで、クシュンと小さなくしゃみが聞こえた。
「アキラくん、海で身体が冷えたんじゃないのかい。大丈夫か」
「大丈夫です。ボクは自分で入ったんだから、風邪を引いても自業自得です。それより、
緒方さんが・・・」
「俺は大丈夫だ。鍛えているからな、キミみたいな細っこい男の子と一緒にして
もらっちゃ困るぜ。・・・は、・・・・・・っ、・・・くしゅんっ!・・・う~」
言っている端から鼻の奥がむずむずしてきて、堪え切れずにくしゃみが出た。
最後の「う~」は中年臭かったか・・・と悔やみながら視線を上げると、アキラが目を
丸くしてこちらを見ている。
「・・・・・・」
どちらからともなく、ぷっと吹き出した。
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