望月 6 - 7
(6)
月に照らされたヒカルの横顔をアキラはずっと見つめていた。
ヒカルは時々、こんな風に心をどこか遠くに飛ばしていることがある。
碁のことを考えているようでもあり、なにかまったく別のことを想っているようでもある。
衝撃的な出会いからすべてを知る仲となった今になっても、アキラにとってヒカルは謎を
秘めているように思える。開けっ広げで明るい性格なのに、それが不思議でならない。
その体を繋ぎとめているときでさえ、本当にすべてが自分のものなのか、不安に思えてくるのだ。
「進藤、庭に出てみる?」
アキラがそっと声をかけた。
「…あ、うん。」
庭に下りると、ヒカルはススキを振りながら、飛び飛びに置かれた敷石の上を跳ねるようにして
歩いた。まるで着ているシャツのウサギそのままに。アキラはその後ろをゆっくり歩いていった。
昼間はまだ暑さも残っているが、夜になればめっきり涼しくなって、心地がいい。どこからか
松虫の音が聞こえてきた。
先に進んだヒカルは中ほどで立ち止まって、また月を見上げている。
「さっきはなにを考えてたの。」
「うん…。早くお前といい碁が打ちたいなって。…早くタイトル戦の挑戦手合でお前と戦いたい
なって。」
「…いつかな。」
「いつだろうな。」
「…やはり本因坊戦だろう。」
アキラが唐突に言った。ヒカルが不思議そうにアキラを振り返った。
「キミにとって秀策は特別なんだろう。キミは時間があるといつも秀策の棋譜を並べているからね。
本因坊のタイトルはどうしてもとりたいだろうと思って。」
フッと柔らかな顔をしながらヒカルはもう一度月を見上げた。
「うん、特別さ。オレ、秀策のこと、すごく好きなんだ。」
真面目に言ったかと思うと、茶化すように付け加えた。
「どのタイトル戦だってイイんだぜ。でも、オレ、この間、王座戦の2次予選で倉田さんに
やられちゃったばっかだしなー…。名人戦始まるのはまだまだ先だし…。」
「その前にどっちかがタイトルを取らなきゃ挑戦手合にはならないぞ。」
「ホントだ。」
二人は顔を見合わせて笑った。
(7)
そぞろ歩いて庭の東端まできた。そこで立ち止まると、二人はきょう何度目か、目を
見合わせた。
――きょうはヤメよう。
――きょう、ダメになっちゃったな。
だが、それまでとは違って、ふたりの視線は絡みあったままずっと離れなかった。
引き寄せられるように二人の距離が縮まった。
そのまま二人はくちづけを交わした。
ケーキの甘い味がした。
「おめでとう、進藤。」
薄い色の前髪と頬に月の光があたって、大きな瞳はキラキラと輝いていた。
ほほえむヒカルをもう一度その腕に抱きしめると、再びくちびるを重ねた。アキラの頬を
ススキが撫でて滑り落ちていった。
――このままずっと抱きあっていたい。
心が残った。
思いきるようにアキラは腕を開いた。ヒカルのすべてがわかったわけではないけれど、ヒカルは
自分のものだ。それだけは確かだ。今夜は共に過ごせなくなったが、早くまた会える時間を作ろう。
きょうはきょうで別の楽しみを味わうだけだ。
「打とうか。」
穏やかな声でアキラはいった。
(おわり)
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