敗着─交錯─ 6 - 8


(6)
バスは排気ガスを残して発車した。その後ろ姿を見送り、手に持ったメモに視線を落とす。
(この辺りだな…)
いつだったか、進藤が父の経営する碁会所にちょくちょくやって来るようになった時、書いて渡してくれたものだった。
もう随分昔のことのような気がする。
進藤の文字が走るその紙片を大事にしまうと、電信柱に銘記された番地を頼りに日の落ちた住宅街を歩き出した。
――明らかに自分は避けられていた。
何度か電話をかけたが、居留守を使われていることは受話器を通して想像がついた。
――思い当たる節は、ありすぎた。
半ば奪うようにして思いを遂げた自分。そして――

(君の代わり)

緒方の声が頭に響いた。彼のマンションに押しかけたあの日から、頭を離れることはなかった。
「―――」
それは吐き気がして座り込んでしまう程にアキラを苦しめた。
進藤の心を知りたかった。
会って、謝りたかった。自分の非礼を詫び、それから――
自分の代わりだと緒方と関係をもった進藤の優しさが、じくじくとアキラの心を蝕んだ。
進藤──、君はそうやってボクに抱かれたのか?
ボクに抱かれたのは、同情からか?
ようやく、目当ての表札にたどり着いた。


(7)
インターホンに手を伸ばし、躊躇う。
手を引いて小さく握った。
ここまで来て、拒まれるのは辛い。
受話器の向こうで避けられるのと、実際にそこに居るのに拒絶されるのとではわけが違った。
建物の二階に目を向けた。二階の部屋の電気は消えていた。
(帰っていないのか?)
おそらく進藤の部屋は二階だ。
あの日仕事を終え部屋に行くと進藤の姿は無かった。それでも置いていった鍵は受け取ってくれたようだった。
それなのに。
碁会所にも部屋にも来ない。対局場所もすれ違いばかり。
葉瀬中へ行くことも考えたが、二人でゆっくりと話したかった。
思い直してインターホンに指をあてると、恐る恐る力を入れた。
「ハイ」
母親らしき声が返ってきた。
「夜分遅くにすいません。あの、進藤君はご在宅でしょうか」
ガチャガチャと鍵を開ける音がして、玄関の扉が開いた。
「どちら様でしょう…」
エプロンを着けた女性が出てきた。目許が少し進藤に似ている。
出てきた時は訝っていた様子だったが、自分の制服を見るとすぐに柔和な表情になった。
「プロ棋士の塔矢といいます。進藤クンはいらっしゃいますか?」
「ああ、あの子。何でも同期の友達の家に泊まってくるとかで…」
「そうですか…」
気が抜けた。
「何かお伝えすることがあれば、」
「いえ、結構です。ちょうど近くまで来たものですから」
頭を下げ礼を言うと足早に立ち去った。

少しは気分が軽くなった。
いないのなら仕方がない。
それにしても―――同期の友達?
越智の顔が浮かんだが、すぐに消えた。指導碁をした限りでは進藤と親しいとは思えなかった。
もともと人の名前を覚えることを得意としない自分には、思い当たる人物がいなかった。


(8)
冷蔵庫を開け、冷やしてあるミネラルウォーターを取り出すと一気に流し込んだ。
火照った体はシャワーで沈められたが、まだだるさが残っていた。
椅子に深く腰掛け煙草に火を点ける。
紫煙が漂い、いつもの自分に戻る。
煙草を灰皿に押し付けベッドに戻ると、寝息をたてている進藤の枕元に座った。
前髪を指に絡ませ、髪の毛を梳きながら頭を撫でる。
変わらずにスウスウと寝ている進藤の寝顔を見つめ、ずれた毛布を掛け直してやった。


それからというもの、進藤は何時となくやって来るようになった。
ドアの前で座っているか、今日は早めに寝ようと思った矢先に呼び鈴が鳴ったりする。
いつしか自分も進藤を待つように帰宅時間を早めたり、地方へ泊まりで行く時はそれとなく教えるようにしていた。
来たからといって何を話すわけでもなく、ただ服を脱いで行為に及ぶ――。
それだけのことだった。

(アキラとは同級生だったな…)
ヤリたい盛りだ。愛だの恋だのと言う前に、体だけの関係が存在することも知っている頃だろう。
アキラには一度突っかかられたが、その時はアキラが求めているであろう答えを残してその場を去った。
名人の息子に手をつけたことは、さすがに父親には悟られないようにしている。
それ以前に、あのプライドの高いアキラが、名人に気取られるようなヘマをするとも考えられない。
しかし一見すると冷静で、どんな時にも取り乱さないよう躾られているハズの優等生の騒ぎようは、正直なところ煩わしかった。
(フン――)
自分にとっては、アキラとの関係に似たものが、また一つ増えたに過ぎなかった。



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