Happy Little Wedding 6 - 9
(6)
宿の亭主が運転する数人掛けの小さな送迎バスで到着したのは
周囲の緑によく調和する、白い壁に黒い枠木の建物だった。
小ざっぱりと明るい廊下を抜けて、各自の部屋に荷物を置いてから食堂へ向かうと、
食卓には白いレースのクロスが掛けられ、色とりどりの花をまるく活けたバスケットが
置かれていた。
「およめさん・・・」
アキラがぽそりと呟いた。
「お嫁さん?何言ってんだアキラ」
「けっこん式のおよめさんだよぉ」
先ほどの緒方との不器用な遣り取りの成果か、単に目が覚めてきただけなのか、
アキラはもうほとんど普段の元気を取り戻していた。
「この間、親戚のお姉さんの結婚式に行ったのよね。アキラさん」
「ン・・・そう」
席についても相変わらず膝の上からクマを離そうとはしないアキラだったが、
母親のフォローに嬉しそうにコクンと頷いてレースのクロスの端を持ち上げ、
パタパタしてみせる。
「あのね、これが、およめさんみたいでしょ?それからお花も」
花嫁のベールとブーケのことを言っているのだろう。
「へぇ、アキラ結婚式に行ったんだ!オレまだ行ったことないよ。何かご馳走出たか?」
「うんっ。聞きたい?あのねぇ、ケーキでしょ、キャラメルのアイスでしょ、ねえぶるでしょ、
メロンでしょ、それから・・・」
「おいっ、それ、全部デザートじゃん!」
「ほんと、アキラさんったらお菓子と果物ばっかり好きで困るわ。
結婚式でもご馳走はほとんど食べないし、おうちでだって、
お母さん毎日一生懸命お料理してるのにちっとも食べてくれないんだもの」
明子夫人が拗ねたように横目になって柔らかな頬を横からふにふに指で押すと、
アキラはくすぐったそうに首を捻りながら子供特有の、
人間の声帯から出ているとは俄かに信じがたい超音波のような声を出した。
(7)
「でもね、アキラさん。今日はうんと美味しいご飯が出るから、たくさん食べないとダメよ?
お菓子ばっかり食べてたら、大きくなれませんからね」
「ごはんのあとで、いちごのアイスお代わりしてもいい・・・?」
「あんまり食べ過ぎると、ぽんぽんが冷えちゃうわよ?」
「まぁいいじゃないか、食べたがっているんだから。アキラ、お父さんのを半分やろう」
「ほんと〜!」
「もう、あなたったらまたアキラさんにいい顔をして。この間も私の留守中にその調子で
アイスを二つも食べさせて、アキラさんがお腹を壊したばかりじゃありませんか。
アキラさん、アイスのお代わりは一口までよ、いーい?お母さんのを分けてあげますからね」
「え、ひとくちだけ〜・・・」
眉を八の字にして助けを求めるようにアキラが父親を見る。
だが行洋はエヘンと咳払いをし、話題を変えた。
「け、結婚式と言えば、緒方くんはどうなんだ。そろそろちゃんと、いい人はいるのかね」
「は・・・」
芦原はわくわく目を輝かせて緒方のほうを向き、
明子夫人は困った人ねという顔で夫の顔を見ている。
アキラは「ねぇ、ふたくちお代わりしちゃだめ〜?」と小声で母親の袖を引っ張っている。
実を言うと最近、付き合っている女性が居ないでもなかった。
以前から面識はあった相手だ。去年の十一月か十二月に偶然再会して、緒方から食事に誘った。
初めは何だかんだと勿体ぶっていた相手だったが、緒方が若手プロ棋士の中ではかなりの
有望株として名を揚げつつあることを知ると向こうから連絡を取って来た。
そんな女の態度を現金だと思いながら、誘いを断ることが出来なかった。
むしろ縋るように彼女との関係を深めることを望んだ。
顔立ちもプロポーションも好みだが、特に心惹かれる何かがあったわけではなかった。
にも関わらず性急なほどに関係を急いでしまったのは、彼女の温かな懐に飛び込めば
それによって何かから逃れ、庇護してもらえるという薄い期待があったせいかもしれない。
(8)
だが、緒方は静かに答えた。
「・・・決まった女性は、特には居ません」
芦原ががっかりした顔をする。
この数ヶ月間彼女と交際を続けてきたのは事実だが、かと言って他の異性に比べ彼女一人が
自分にとって特別であるというような気持ちは、いつまで待っても起こらなかった。
もっとももしそんな事を彼女に言ったら、それはこっちの台詞だと返されるかもしれないが。
「ほう、そうなのか。緒方くんなら女性のほうから寄って来そうなのに意外だな、なぁ明子」
「あなた、最近はそういう話題もセクハラになるんですってよ。
緒方さんまだまだ若いんだもの、これからよねぇ」
「はは・・・」
全く女っ気が無いと思われるのも少々不本意だったが、取りあえず笑っておいた。
会話の内容をどこまで理解しているのか、アキラはクマのぬいぐるみの腹の辺りを
小さな手で撫でながら、不思議そうな顔で大人たちの顔を交互に眺めている。
そんなアキラの横で芦原がやけに真面目な顔をして呟いた。
「結婚かあ・・・オレもいつか、誰かとするのかなぁ・・・」
「芦原くんは同級生や院生の中に、好きな子でもいるのかね?」
「いや、・・・同級生とかそういうのは・・・いませんけど・・・結婚か〜・・・はぁ〜・・・」
まだ小学生なりに「結婚」という言葉が心の琴線に触れたらしく、
芦原はあ〜、うー、と混乱した溜め息を繰り返しながら隣に座るアキラのほうに手を泳がせ、
一瞬置いてからクマの頭をちょっと撫でた。
アキラが嬉しそうにクマの体をぴょんと躍らせ、芦原に向かってバンザイのポーズをさせる。
芦原がもう一度大きく溜め息をついた。
「オマエはいいよな〜。気楽で」
「きらく・・・じゃないよぉ」
言葉の意味が分かっているのかどうか甚だ怪しいアキラが唇を尖らせた時、
白い湯気をたなびかせてスープが運ばれてきた。
(9)
「アキラさん、ご飯の間はクマさんに、別の所に座っていてもらいましょうね」
「ン・・・」
アキラは渋々クマのぬいぐるみを母親に渡し、明子夫人がそれを夫に渡した。
「あなた、そちらの空いている席にこの子座らせてくださる?」
「うむ」
アキラは一人で器用にナプキンを広げ、端を襟元にわしわしとつめ込んだ。
細い肩から胸にかけてを全部ナプキンで覆い終えるとスープ皿をじっと見つめて、
あまりに肌理が細かいため光っているように見える、その小さな鼻をひくつかせている。
何となく照る照る坊主を連想しながらその姿を見守っていると、アキラが不意に顔を上げた。
「緒方さんは、これしないの・・・?」
「えっ?」
「白いおようふくは、お洗たくがたいへんなんだよぉ?」
「ああ」
緒方は自分の体を見た。普段は自己主張の少ない中間色を着ることが多い緒方だが、
この旅行では珍しく白いカーディガンを着て来ていた。
柔らかな肌触りと形が気に入って二、三年前に買ったはいいが、
普段着慣れない白は目立ち過ぎる気がして結局一度も袖を通さずにいたものだ。
今回は高原への旅行で昼夜の寒暖差が大きいというので、
脱いでもあまり荷物にならない薄手のそれを着てきたのだが――
「・・・それじゃあ、脱いでおこうかな」
アキラの目を見つめながら緒方がカーディガンのボタンに指をかけ始めると、
アキラは満足そうに「でしょぉ〜?」と笑った。
|