裏階段 アキラ編 61 - 62
(61)
「あの時は本当に怖かった。いきなりスーツ着たデカくて目付きのコワイおじさんに
引っ張っていかれたからさ。何されるかと思った。」
碁に関する以外の事に記憶力は自信がないと言っていた進藤だが、その時の事は
印象に残っていたようである。
もっとも棋院会館で再会した時すぐには思い出せなかったらしいが。
髪の色に特徴のある印象的な少年だった。
アキラと同じ年頃だけに、いろんな意味でアキラと対照的だった。
後になって少年と先生と引き合わせた事を後悔する事になる。
そうしてアキラと先生と、そしてオレとがほぼ時を同じくしてそれぞれの
その後の人生を変える事となるその少年と出会ったのだった。
出会ってしまったのだった。
碁会所に顔を出すと奥のいつもの席で、アキラが棋譜並べをしていた。
こちらが傍に近寄るのに気付くと、アキラは盤上の石を崩した。
そんなに石の数は多くなかったように見えた。
その段階で全力で立ち向かって来たアキラを封じ込めたのだとしたら、相当の手練だと
判断するしかない。だがその時点ではまだその相手と、あの少年がオレの中では
どうしても結びつかなかった。
(62)
「何の棋譜を並べていたんだい?」
想像はついたが、意地悪くアキラに問いてみた。
「…いえ。」
言葉少なくアキラは目を伏せた。
アキラの胸の中に複雑な感情が渦巻いたに違いない。
小さな失望と大きな希望だ。
ただその時はプライドを砕かれた傷口が大きすぎて自分が抱えている感情を
持て余しているようだった。
「一局打つかい?」
「ええ、お願いします。…あの、緒方さん、」
「なんだい?」
「置き石なしで、打たせてもらっていいですか?」
「構わないよ。」
そうしてアキラは、何かを思い返すように、一手一手に時間をかけてその対局に
取り組んだ。
意識を研ぎすまし、何かを確認するように石を打った。
オレが打つ手を、強さを、他の誰かとのものと比較するように、
碁盤を挟みながらアキラはオレではない誰かを思い浮かべて打っているようだった。
それはけっして面白いものではなかった。
だが、必死に痛みを堪えて自ら自分の傷口を覗き込み、向き合おうとするアキラを
観察する事は興味深かった。
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