誘惑 第三部 61 - 62
(61)
「…ごめん。」
よくわからないけれど、ヒカルが泣き出したのは自分の言葉のせいらしくて、アキラは途惑いながら、
ヒカルを宥めるように謝った。
けれど、ヒカルは涙をこらえようともせずに俯いて首を振った。
謝るのはおまえじゃない。オレの方だ。
ごめん、塔矢。ごめん、佐為。
おまえが追っかけてた佐為を、乗っ取っちゃったのはオレだ。
ずっと佐為と打ってたこの碁盤でおまえと打つのは、佐為がいたらこんなに嬉しい事はないのに。
塔矢、おまえに追いつくために、佐為、おまえと打ち続けた。
絶対追いついてやる、前だけを真っ直ぐ見てる塔矢の目をオレに向けさせてやるって。
佐為、おまえを追いかけてる塔矢を追いかけて、掴まえて、オレの方を向かせてやるって。
でもオレが碁に夢中になりすぎて、オレがオレの碁と塔矢の碁ばっか追っかけてる内に、佐為は
いっちまった。
オレは生身の塔矢は掴まえたけど、まだ塔矢の碁を掴まえられない。まだ、追いつけてない。
だから、まだ言えない。まだ話せない。
ヒカルは碁盤の表面をそっと撫でながら、心の中で思った。
佐為。いいだろ?おまえと打ち続けたこの碁盤で塔矢と打って。
まだオレはおまえには全然届かない。もしかしたらオレ、おまえには一生辿り着けないのかもしれ
ないけど、でも、オレ、打つから。一生、打ち続けるから。塔矢と一緒に。
だから、見ててくれよ。オレがどこまで塔矢に追いつけたか。
(62)
「泣くな、進藤。」
「…あん時はさ、おまえに泣き顔なんか見られたくねーって、思ったけど、でも、いいんだ、もう。
だってさ、今、おまえに泣き顔見られたって恥ずかしくなんかねえもん。おまえには泣き顔だって、
もっと恥ずかしい顔だって散々見られてるし。」
「し、進藤…」
「それにオレ、塔矢の泣き顔だって、恥ずかしい顔だって、イヤラシイ顔だって、一杯見ちゃってる
もんなっ。」
「進藤っ!」
乱暴に涙を拭いながら、アキラに向かって照れ隠しのように笑った。
「へへっ…」
「キミって奴は…」
それなのに、それでもまだ言えない。
恥ずかしい事なんてない、そう思っててもまだ言えない事もある。
「……ごめん、塔矢。」
「…わかったから……もういい。いいんだよ。ボクは。いつでも、ずっと待ってるから。」
「塔矢……」
「ホラ、打つんだろ。いつまでもべそべそ泣いてるな。」
「うん、」
「ニギるよ?」
そう言ってアキラが一掴みの白石を握る。
ヒカルは鼻を啜りながら、黒石を置いた。
アキラが白石を数えて、ヒカルに告げる。
「キミが先番だ。」
「それじゃあ、お願いします。」
「お願いします。」
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