黎明 63 - 65
(63)
けれどアキラはヒカルのその言葉に激しく反応し、上にいたヒカルを乱暴に追い落とすように身体
を起こし、逆にヒカルの身体を自分の下に組み敷いた。訳がわからずにヒカルがアキラを見上げ
ると、黒い炎のように燃える瞳がヒカルの瞳を貫いた。燃え上がる炎の激しさが、熱情なのか、情
欲のためなのか、それとも怒りなのか、区別がつかなくて、けれど恐ろしくて、ヒカルは心臓が激し
く脈打つのを感じた。
黒く燃える瞳が真っ直ぐにヒカルを見据えたまま、近づいてくる。
その熱に耐え切れずにヒカルは目を瞑った。
まるで長いこと餓えていた人間が、目の前に差し出された果汁の滴る新鮮な果物にかぶりつくよう
に、アキラは無我夢中でヒカルを貪った。そうされて、もう、ヒカルはただ彼の身体にしがみつくしか
できなかった。
アキラがヒカルの肩口に齧りつき、ヒカルは鋭い痛みを感じた。そしてアキラの舌がその痛みを吸
い取り、舐め上げるのを感じ、アキラが傷口から溢れ出る赤い血潮を舐めとり、吸い上げているの
だとわかった。執拗に血液を吸い上げるようなアキラの舌使いに、ヒカルはアキラに生きたまま食
べられてしまうのかもしれないと思った。けれどそれでも構わないと思った。肩の傷口から唇を離さ
ないまま、アキラの手がヒカルの胸元を探り、突起を探り上げるとそれを指ではさみ、それから引き
ちぎれるほどに強く、摘み上げた。その痛みに、ヒカルは悲鳴を上げた。今度はアキラが、ヒカルの
悲鳴を漏らさぬよう、ヒカルの唇を塞いだ。
アキラの唇が、手が、ヒカルの身体を探り、触れる箇所からその度にヒカルの皮膚に新たな火が
ともる。燃えるように熱い腕が、脚が、強引にヒカルの身体を割り開き、ヒカルの中に侵入してきた
灼熱の楔は激しい勢いでヒカルを蹂躙する。
熱い。
何もかもが熔けてしまいそうに、熱い。
燃え上がる炎の渦に飲み込まれ、熱い坩堝の中で身体も、意思も、思考も、感覚も、記憶も、快楽
さえもドロドロに溶けて混ざり合い、この熱が自分の皮膚の熱なのか、彼の皮膚の熱さなのか、自
らの内から生ぜる熱なのか、彼の中に燃える炎なのか、全ては区別もつかず、ただ、「熱い」という
感覚だけがヒカルを焼き尽くし、燃える灼熱の炎の中でヒカルは今まで到達した事もない高みへと
昇って行き、そこで全てを手放した。
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取り戻した意識の中で、ヒカルはアキラの腕が自分の身体を抱きしめるのを感じていた。力強く、
けれど優しい腕の力が嬉しくて、背中に回した手に力をこめた。
ゆっくりと熱が退いてゆくのと同時に、心地良い疲労感がヒカルを襲い、ヒカルの瞼は落ち、荒い
息は規則正しい安らかな寝息に変わりつつあった。
夢の世界へ近づきながらも、ヒカルはアキラの手が額に触れるのを感じた。その手はヒカルの眠
りを妨げぬよう、そうっと前髪をはらい、額に優しくくちづけした。その暖かく優しい感触が、心地良
かった。唇は額から瞼へ、そして頬へ、顎へと落ち、唇にそっと触れ、それから耳元で低く優しく、
甘い囁き声を落とした。
「君が…好きだ。僕が想うのは君だ。君だけだ。ヒカル。愛してる…」
薄れてゆく意識の中で、アキラがそう囁くのを、確かに聞いたような気がした。
その一方でヒカルの頭は、その言葉はそれを望んだ自分が作り出した夢に過ぎないのかもしれ
ないと、感じた。けれど同時に、夢でも構わないと、思った。
その言葉が自分の作り出した幻でも、現実でなくても構わない。彼が熱く激しく自分を求めた事は、
それだけは本当にあった事だから。今、自分の上に覆いかぶさる熱い身体は確かに現実だから。
ヒカルはその熱と重みを心地良く感じながら、穏やかな眠りに落ちていった。
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目覚めると傍らに彼の姿はなかった。
見計らったように童が部屋に入り、熱い湯を湛えた盥と清潔な上布を差し出す。差し出された布を
受け取り、湯に浸して絞ったその布で身体を拭き清め、傍らに綺麗に畳まれていた衣を身につけた。
と、外から水音が聞こえた。
衣服をつけながらヒカルは水音のするほうへ向かった。
屋敷の外から聞こえるその音へと戸を開くと、ピリピリと冷たい空気がヒカルの頬を刺した。
暁は山の端にまだその気配さえ見せておらず、外は夜と変わらぬほどに暗い。
その暁の闇の中、自らの吐く白い息の向こうに、白い人影が見えた。
井戸から汲み上げたばかりの、さぞかし冷たいであろう水を、何度も、頭からかけて身を清めてい
るアキラの姿を、ヒカルはそこに見た。
彼は水桶を脇に置き、目を閉じたまま頭を振った。切りそろえられた髪から滴が散り、微かに煌くの
が見えた。濡れて顔にかかる髪を手でかき上げながらアキラは立ち上がり、顔を上げて目を見開き、
ヒカルを認めた。
薄明けの闇の中に仄かに浮かび上がる白い裸身を晒したまま、アキラは静かにヒカルと対峙した。
眼差しは凪いだ湖の水面のように静かなのに、その身体はいまだ燃えるように熱く、冷たい井戸水
さえ、その熱のために皮膚の上で揺らめくのが見えるような気がした。
しかし彼は、つと視線を断ち切り、井戸の横にかけてあった白い布をとり、軽く身体を拭い、ヒカルの
横を通り過ぎて、そのまま室内へと入っていった。
暁光の気配が、東の空から次第に夜の闇を追い落とし始めていた。西の空に沈みかけている白い
大きな月は、山々の頂に姿を隠すのが早いのか、朝の光に溶けて消えるのが早いのか。
冬の早朝の重く冷たい、だが清浄な空気の中にヒカルは足を踏み出し、先程アキラがいた井戸へ
と歩を進めた。滑らかな石の上に残されていた水は早や薄氷となり、ヒカルの足の下で幽かな音を
たてて崩れた。井戸から一杯の水を汲み上げて手を清めると、水は痺れるほど冷たかった。
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