失着点・展界編 65
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ヒカルは伊角と共にある碁会所で打っていた。指導碁ではなく、相手に
4子、5子置かせてのやはり3面打ちであったが、一応対局であった。
最初の内はあまり気持ちが入らず時間ばかり気になっていたが、何局か
こなすうちに真剣になっていった。今度の手合いは自分にとっても大切な
ものだった。アキラに追い付かなくてはならない。
心が揺れるのは、弱いからだ。精神的にも、碁においても。黙々と対局に
没頭し始めたヒカルを見て、伊角も少し安心したような顔になった。
その時、ヒカルが背を向けている碁会所のドアが開く音がした。
伊角が、その方向を見て驚いた顔になり、ヒカルの相手も顔を上げて
「あっ」という表情になった。ドアを開けて入って来た人物が、真直ぐ
自分に向かって歩いて来る気配にヒカルの石を持つ手が止まった。
「…進藤…。」
ヒカルの全身の血が、その声がする方向に向かう。
ヒカルは先に伊角の方を見た。伊角は何も言わなかったが、フッと小さく
笑うと、「和谷には黙っていてあげる」、そう受け取れるように頷いた。
ヒカルはゆっくり立ち上がって振り返った。
肩で息をし、汗で頬に張り付いた黒髪を払いながら笑顔で立つアキラがいた。
…そうだった。こいつは、そういう奴だった。自分が感じるつまらない
隔たりや距離感など、あっという間に飛び越えて来る。
「…探したよ、進藤。」
「…ごめん…。」
二人で碁会所のドアを出て、そのビルの屋上に上がる。隣のビルの壁際で
周囲の建物からの死角になった場所で、どちらからともなく唇を重ね合った。
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