裏階段 アキラ編 65 - 66
(65)
「彼は、一度も誰かと碁を打った事がないと言っていたんです。それで…」
「…ふむ。」
聞けば聞く程、その少年の正体に興味が湧く。
本を読んだだけの独学でいきなりそこに辿り着くとはどうしても思えない。
背後に指導者、それもかなりの高段者クラスの存在があると考えるのが自然だ。
「だとすれば、“打倒塔矢アキラ”と念じ、人知れずどこか山奥で仙人でも相手に
特訓したといったところか。」
アキラは少し可笑しそうに笑ったが、じきに真顔になった。
「…不思議な感触でした。」
「どんなふうに?」
「もしそうであれば、打っている間の彼から何らかの気負いを感じるはずなんです。
…それがまるでなかった。彼は、ボクがどう打っても、まるで自分は関係ないみたいな…
とにかく、他人事みたいに淡々と打つんです。」
「他人事…ね。それで、やはりその時のものをオレにやって見せてはくれないんだね。」
「…すみません。」
「やはり負けた碁を人に見せるのは恥ずかしいかい?」
「そうじゃありません!」
(66)
ふいにアキラが声を大にし顔を上げた。思わずこちらも煙草を銜えて火を点けるという
一連の動きを止め、そんなアキラの顔を見つめた。
「あ、…いえ。恥ずかしいのは確かです。でも、それは負けた事がではありません。
彼の一手一手は素晴らしいものでした。対局の後できちんと検討をしていれば
得られるものが大きかったはずなんです。それなのに、ボクは…」
アキラは両膝の上の手を固く握りしめた。
「ボクは、負けた事ですっかり余裕をなくして、彼が何かをボクに話し掛けてくれていたのに
それに応えられなかった。心の中でボクは叫んでいたんです。早くどっかに行ってしまってくれと。
君の言葉は聞きたくないと。…そんな自分の姿が思い出されて、嫌なんです。」
「…それだけかな?」
「えっ?」
「…いや、何でもない。」
銜えた煙草に火を点けて一息吸い、吐き出す。
彼の頑固さは良く分かっている。彼がそうと決めたものは、誰にも変えさせる事は出来ない。
「…打とうか。」
「お願いします。」
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