無題 第2部 66 - 70
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アキラの声が、指を動かす音が、緒方に見せ付けるように、聞かせるように、殊更淫猥に響く。
次第にアキラの喘ぎは激しくなり、その音も更に激しさを増す。
そしてアキラの声が高く響いた。
見たくないと思うのに、思わずそちらに目をやってしまった緒方のその視線を、アキラの瞳が
捕らえた。薄く開けられ、とろけるように濡れた瞳が緒方を見た。
それからゆっくりと視線を動かし、緒方自身が高まりを見せているのを確認すると、満足げに
薄く微笑んだ。
―淫婦め…!
緒方は心の中で罵った。その間も、アキラは自分への指技を止めない。
「んっ…あぁっ…がた…さぁ…ん」
自分で与える刺激にアキラは首を振り、喘ぎ声をあげながら緒方を呼んだ。
そして、哀願するような瞳でもう一度緒方を見た。
「…て、おが…たさ…ん…、」
もう一度、視線が絡み合った。
「きて…ボクの指じゃ…届かない…」
その呼び声に、緒方はあやつり人形のようにふらりと立ち上がる。
初めて見せ付けられたアキラの媚態に、既に緒方は雄々しくそそり立っていた。
無言のまま、アキラの両脚を掴んで開くと、一気にアキラに突き立てた。
アキラの嬌声が室内に響いた。
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激しい交合の果てに、アキラは緒方の腕の中で気を失った。
緒方はアキラの身体をそっと横たえ、下肢にまとわりつく汚れを簡単に拭った。
それから汗で濡れて頬や額に張りつく髪を、そっと手で払って整えてやる。
その手に反応してか、きつく眉を寄せていたアキラの顔が少しだけ和らいだ。
目を閉じるとまだ幾分子供っぽさの残るその顔は、先程彼を誘惑した淫魔と同じ人物とは
とても思えない。
緒方は悲痛な面持ちでその少年を眺めた。
アキラが目を開いて、自分の顔を覗き込んでいる緒方をじっと見詰めた。
だがその目が何を語っているのか、緒方にはわからなかった。
緒方は何かを諦めたように目を閉じて、言った。
「アキラ、シャワーを浴びるんだ。」
その声にアキラは大人しく従い、緒方の首に手を回した。
「ごめんなさい。」
消え入りそうな細い声で、アキラが言った。
「ごめんなさい。
あんな事、言うつもりじゃなかったんだ。
あんな事、思ってた訳じゃなかったんだ。
なのに…」
緒方はアキラの身体を抱き起こしてやり、よろける足元のアキラを支えて浴室へ連れて行った。
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「寒い…」
アキラの身体が小さくカタカタと震えていた。
呼吸が浅く、頬が紅潮し、瞳が潤んでいるのはシャワーを浴びた直後だからでも、激しい行為
のせいでもなかった。
緒方はアキラの顔を覗き込んで言った。
「熱が…あるな」
このまま一人で返す訳には行かない。緒方はそう思った。
だが、彼はここに泊まる事を了承するだろうか?拒否の返答を怖れながら、緒方は尋ねた。
「泊まっていくか…?」
その問いに、アキラは小さく頷いた。
目の前の頼りなく儚げな少年は、さっきベッドの上にいた淫蕩で妖艶な魔物と同じ人物とは
到底信じられない。
情事の跡の乱れたシーツを見て、暗澹たる心持ちで、緒方は大きく息をついて、首を振った。
汚れたシーツを引き剥がし、機械的にベッドメイクを進めた。
これから、オレはどうしたら良いんだ。
いや、オレの事などどうでも良い。アキラを、これからどうしたら良いんだろう。
彼をあんなに風にしてしまったのはオレだ。
あれは、今まで見ないふりをして誤魔化してきたものが、暴露されただけだ。
「言うつもりはなかった」とは言っていたが、だが本心でもあったのだろうと思う。
憎しみも、怒りも、あって当然だ。受けて当然のものを、今になってやっと受けただけだ。
むしろそれは時間の経った分だけ彼の中でゆっくりと醸成され、今になってやっと、より屈折
した形で露わにされた。
それに気付きもせずに、先に彼をなじった自分を、緒方は激しく責めた。
情けないにも程がある。自分は彼に何をした?そして彼に、何を求めていたのだ?
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最初のあの夜、嫌がるアキラを無理矢理抱いたあの時、何も言わずに、何も聞かずに、
彼を一人帰してしまった事を、引き止めなかった事を、今更ながら痛烈に悔やんだ。
あの時、例え彼が聞き入れなくても、それでも、謝罪し、許しを請い、それから自分の想い
を告げるべきではなかったのか?
乱暴をして済まなかったと、それでもお前が欲しかったと、お前を愛していると、どうして
告げなかった?
底の浅い後悔と自分自身を責める言葉に耽溺して、自分の傷だけに酔って、傷付けるだけ
傷付けたまま彼を一人にして。
自分の罪を見せ付けられるのが怖くて、彼の傷から目を逸らして。
拒絶されるのが怖くて、求める事さえしないで。
その結果がこれだ。
ちっぽけなプライドと自分の臆病さが、どれだけ彼を痛めつけたか。
生々しい傷痕をやっと覆ったかさぶたを引き剥いで、傷口を見つめて、より一層深くその傷を
えぐり続けるようなアキラを、オレは止める事さえ出来ないのか?
そもそも自分がつけた傷を、癒そうなどと考えること自体が、傲慢な事なのかもしれない。
だとすればこんな虚しい関係をこれからも続けていく事しか、オレには出来ないのか?
自分に出来るのは、請われる限り、彼の望むものを与え続ける事だけなのか?
それが彼が真に望むものでは無い事を知っているのに。
それとも、そうやって身体は投げ出しておいて心は明け渡そうとはしない事が、おまえの、
オレへの復讐なのか?
おまえを奪ったつもりでいた。だが奪われていたのはオレの方だったのか?
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「寒い…」
頼りない子供のような目で緒方を見上げるアキラを、無言のまま抱きかかえて寝室に運び、
ベッドに横たわらせ、毛布を掛けてやった。
そうして去ろうとする緒方の袖を、アキラが掴まえ、引き止めた。
黒い瞳が彼を見詰めていた。
吸い込まれるような、深い、深い、眼差し。
その瞳を、ずっと前からよく知っていた。
―いっちゃ、やだ。
舌足らずな口調でそう言って、彼の袖口をつまんで、引き止めた。
そうして、幼い彼が眠りにつくまで抱いてやった。
その瞳の色は今でも変わっていないのに。
この瞳に逆らう事は出来ない。それは、もうずっと昔からそうだったのだ。
―オレはいつだって気付くのが遅すぎる。いつも、いつも、今も。
今頃になってやっと気付くなんて、オレは馬鹿だ。
緒方はそんな自嘲を隠して、出来得る限りの優しい笑みで彼に応え、彼の横に潜り込んだ。
その身体にアキラがしがみついてきた。
小さな子供を寝かしつけるように、髪を撫で、優しく背をさすってやった。
寒さに震えていた子供は、やがて静かな寝息をたてて彼の胸の中で眠りについた。
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