平安幻想異聞録-異聞-<外伝> 67 - 68
(67)
それが、右京を出てすぐ、桂川の支流近くで、生臭い血の匂いをかいだ時に
嫌な胸騒ぎに変わった。
渡りかけた橋の付近に漂う鉄のような血の匂いと、青臭い――精液の匂い。
加賀が橋の下を覗き込むと、弱くなった松明の光りと、そば近くに人の影が
あった。
後は、先の通りの展開だ。
近衛ヒカルに暴行を働いたやつらを許すつもりなどない。だが、彼らは加賀が
知るかぎり、検非違使庁内でも勤務態度はごく真面目で、いっそ目立たない
ほどの者達だった。
彼らをこの暴挙に踏みきらせたのはなんだったのか……加賀は知っていた。
前髪を泥に汚し、半裸の姿で助けを求めるようにこちらを見るヒカルの姿に
胸を突かれた。
だが。だからこそ、加賀は言わなければならなかったのだ。
「しばらく、検非違使庁には出てくるな!」
と。
(68)
遠くで一日の始まりの、大内裏の開門を告げる太鼓を打つ音がする。
だが、空にはまだ夜明けの気配がない。雲が厚いせいだろう。
三谷の狩衣を一枚、たよりなく羽織ったままヒカルは家に帰り着くと、ぐったり
とした体をひきづって寝室に向かった。
あの後、それでも気になって、加賀が盗賊達の大袋を検分するのを見ていたが、
青紅葉はなかった。
あったのはよく似た――おそらく同じ匠の手によって作られたのであろう別の
笛だった。
さすがにそのまま寝るには、あまりな状態だったので、自分で湯を用意して
体を清める。
後腔に手を遣り、盗賊達がそこに放ったものを自分で清めたときには、情けな
さに胸がふさいだ。
母が朝餉に呼ぶ声が聞こえたが、断って床についた。
明り取りの窓から、薄く朝日が差し込んでくる。雲は晴れたらしい。
体より、心が重かった。
こんな時、あの美しい人が生きていたら、どんなふうにヒカルを慰めてくれたの
だろう。
体の熱さは傷の発熱の為だけではない。溶けきらない四肢の奥からくるものだ。
心は沈んでいるのに、体だけが火照って不満を訴えている。
なんという因果な体か――。
どうしようもなく遣り切れない、哀しいような虚しいような、そして悔しいような
気持ちは、言葉で言い現しようもなく、ただヒカルはじっと目を閉じて、眠りが
すべてを飲み込んでくれるのを待った。
傷付いて、草むらに羽根を休める千鳥のように。
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