平安幻想異聞録-異聞- 69 - 72


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アキラは、ヒカルを抱きかかえて、別の部屋に連れて行き、寝かしつけてくれた。
もっとも、ヒカルもアキラも体格体重は同じぐらい、おまけに陰陽師修業に明け
暮れた生活のためにアキラは大した腕力もなく、途中何度もよろけては、
ヒカルを落としそうになったけれど。
ヒカルの体を薬湯で清めて、清潔な着物に着替えさせる。
魔物にすっかり精気を抜き取られて、体の動かないヒカルは、人形のように
アキラのなすがままだった。
それが終わると、アキラはどこからともなく、粥を持って来た。
その匂いをかいだだけで、ヒカルは胸が悪くなって、食べたくないと首をふったが、
アキラは「少しでも食べた方がいい。これには薬も入ってるから」とヒカルを
褥の上に抱えおこす。
腕を持ち上げることもできないヒカルのために、アキラはその粥をひとくちひとくち、
ヒカルの口元に運んで食べさせてくれた。
食べてみれば、その薄く塩の味のついた粥は、体に染みるように美味しくて、
ヒカルはスズメのひな鳥よろしく、アキラが口元に運んでくれるそれを
次から次へとねだって食べていた。
ふとヒカルは、アキラの腕にはまだ血がこびりつき、昨夜の惨状を留めたままなのに
気がついた。
「おまえ、オレのことはもういいから、自分の手当てしろよ」
さっきまでは喋るのもおっくうだったのに、今は楽に声が出た。
やはりアキラの言う通り、物を食べたのがよかったんだろう。
「君がこれを全部食べ終わったらね」
そう言って、アキラはまた餌をひな鳥の口に運ぶ。ヒカルは遠慮なくぱくついた。
「すまなかった」
「え?」
「大きな口をたたいておいて、僕は何もできなかった。佐為殿に合わす顔がない。
 こうして君と顔を合わすことさえ恥ずかしい」
恥ずかしいというなら、夕べ、魔物に嬲られてあられもなく乱れる様をお前に
さらした自分はどうなるんだと思ったが、思い出したくもないので黙っていた。
「こんな筈じゃなかった……、いまさら言いわけにしか聞こえないかもしれないが、
 本当に強力な結界だったんだ。あれは」
それはわかる。アキラの陰陽術の腕は、あの妖怪退治の折りにヒカルも見せつけ
られたし、こういう時に手を抜く奴じゃないこともよく知っている。


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「それが、あんな苦しみもせず、暴れもせずに異形が結界を抜けてしまうなんて。
 そんなこと…こちらから呼ばない限りは有り得ない」
「呼ぶ?」
アキラは頷いた。
「こちらから、結界の中に招き入れるか、あるいはその妖魔を招き寄せる何かの『印』が
 結界の中にあるのでないかぎり、考えられないことだ」
ヒカルは黙って聞いていた。
「もちろん、ぼくは奴を呼んだりはしていない。だから、近衛、正直に答えてくれ。
 君は何か『印』を持っているんじゃないか?」
「ば、馬鹿言うな!誰が好き好んで、あんなの呼び寄せるって言うんだよ!」
「もちろん、君はそうだろうさ。でも、君自身気付かない『印』をどこかに持っている
 可能性があるんだ。最近なにか、君の周りで変わったこと、身に付けているもので
 変えたものはないか? 例えば、それは太刀の腰に履くための紐を変えたとかいう
 ささいな事でかまわないんだ」
ヒカルは考えを巡らした。身に付けるものを変えたといえば、自分はあの竹林の夜以来、
ずいぶん身の回りのものを新調している。太刀はなくしてしまったし、狩衣も指貫も、
汚れて破れてもう使い物にならなかったのだから。
それを正直に話すと、アキラは、ヒカルを再び褥の上に横たわらせ、丁寧にヒカルの
太刀を検分したあと、
『仕立屋の中に座間の手の者がいなかったとも限らない。表からわからなくても、
 生地の中側に何かの印が縫い込まれているかもしれない』
と言って、ヒカルの着物も丁寧に縫い目までほどいて調べはじめた。
調べ終わって溜め息をつく。
「ない?」
「ないな」
アキラがゆっくり首を振る。
「おまえ、取りあえず傷の手当てしてこいよ。見てるほうが痛いから」
「うん…。着物、まだ新しいのにほどいてしまって悪かった」
「いいよ、どーせ、もう使いもんにならないだろうし」
「とにかく、今は体を休めてくれ」
「ああ」
ヒカルはまだほとんど動かない体の首だけを巡らせてアキラを見た。
アキラはがっくりとうなだれて、空いた粥の腕を持ち立ち上がる。
部屋を出ていこうとして、不意に振り返った。
「まだ、調べてないものがあった」
「何?」
「君自身だよ」


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アキラは腕をおいて、再びヒカルの側にきて、掛け布団をはいだ。
「『印』はね、物じゃなくてもいいんだ。痣や、火傷の痕の場合もある」
「な、なにすんだよ!」
アキラは動けないまま寝ているヒカルの着物の前をはだけさせた。
昨晩、魔物に吸い付かれた鬱血の痕よりも、10日も前にヒカルが受けた暴行の後の方が、
よほど生々しくその肌には残っていた。細かい切り傷、擦り傷が。
その傷跡を赤く浮き上がらせているヒカルの肌を、アキラはじっくりと検分していく。
アキラの息がわき腹やヘソのあたりに当たって、ヒカルは妙に気恥ずかしい気分に
させられた。
アキラの手が下腹部に伸びた。
「やめろよっ」
「ここもだよ。男同志だ。恥ずかしがる事もないだろう」
「そりゃ、そうだけど」
でも、いくらなんでも明るい朝の光りの差す部屋で、じっくり眺められるなんていうのは
抵抗がある。
その様子にアキラがじれて口を開いた。
「僕を信じてくれ。僕は君を助けたい。君は僕のたったひとりの――!」
そこまで一気にまくし立てて、アキラは何かに気付いたように口を閉ざしてしまった。
『たったひとりの…』何なんだよ、とヒカルは思った。その言葉の後には、
友達とかそういうものではない、思いのほか、大事な言葉が続く気がしたのは気のせい
だろうか。
「なんでもない。とにかく、僕を信用して、体を開いてくれ」
今度はヒカルも、黙ってアキラのしたいようにさせた。
アキラの手が、さらに着物をはだけ、ヒカルのまだ少年らしい色の薄い性器が
外気にさらされる。
アキラはそれとその周りを一通り調べたあと、さらに手を下へと探り入れ、
恥ずかしげに閉じられた両のももを、ゆっくりと開かせた。
アキラの手が太ももの内側を撫でる感触に、ひどくいけない事をしている気がして、
ヒカルは顔をあからめてそっぽを向いた。
「見つけた」
アキラがつぶやいた。
「なぜ、さっき君の体を拭いたときに気付かなかったんだろう」
ヒカルはアキラの手元を見た。
アキラの手の下にあったのは、あの夜に付けられた太もものひと際長く大きい奇妙な傷。
ミミズ腫れのようになって引きつれた幾条かの切り傷だったのだ。


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言われてみれば、その長い傷跡の重なり具合は、何かの文字か文様のようにも思えた。
「それ、なの?」
「うん、これだね」
そう言ったきり、アキラは黙り込んだ。
「なんだよ、見つかったんだろ、よかったじゃん」
「いや、もっとやっかいな事になってしまった」
アキラは苦しげに言った。
「すまない、近衛。僕にはこの『印』の力を解くすべがない。いや、僕でなく誰であっても
 無理だろう、この呪をかけた本人でなければ」
「どういうことだよ」
「これは、近衛。君自身の肌に君自身の血で描かれた、最も強力な呪符なんだよ」
沈黙が流れた。
最初に沈黙を破ったのはヒカルだった。
「駄目なんだ?」
「…………」
「今夜も来るんだろ、あれ」
「おそらくね」
再び少しの静寂。
「いや、まったく手がないわけじゃない、近衛」
「賀茂」
「それが駄目なら、こちらから積極策に出て、元を断ってしまえばいいことだ」
「あの、蛇みたいのをやっつけんのか?」
「いや、もっと元だ。言っただろう? 蠱毒には、蟲やら蛇やらを詰めて埋めた壺を
 使うんだ。それを見つけ出して破壊する」
「そんなこと出来るんだ?」
「できる」
きっぱりと言いきったそのアキラの瞳が、言葉とは裏腹に不安げに揺れていた。
だから、ヒカルは、どうしようかと迷ったけれど、聞いてみることにした。
「その壺ってさ、どこにあるんだ?」
アキラが目を細めて、天井を振り仰いだ。
「――それを見つけ出すのが、僕の腕の見せ所というわけさ」



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