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(7)
僕たちはしばらくの間、作業に没頭した。
女性誌の興味本位のインタビュー記事を読み下し、あまりに下らない質問と、看過できない捏造に赤でチェックを入れる。
僕は恋人なんて募集していないし、学業と囲碁を両立させようなんて思っちゃいない。
なによりも優先されるべきは囲碁だ。
19路の宇宙が、僕のすべてなんだ。
それに、父が塔矢行洋だったから、僕は碁打ちになったんじゃない。
勿論、父が誘ってくれたことは否定しないし、父の影響が大きいことは否めないが、それだけを取り上げるのは塔矢アキラという個人を否定していることになぜ気づかないのだろう。
囲碁界のサラブレッド?
恵まれた環境にいることは事実だが、血統で強くなれるとでも思っているのだろうか。
それなら、なぜ進藤は強い?
進藤の身内に碁打ちが要るなんて話は聞いたことがない。
お祖父さんが碁を嗜んでらっしゃるという話は聞いたことがあるが、それもあくまで趣味の域を出ない。
だが、進藤は強い。その理由を彼らはどこに求めるのだろう。
僕は、進藤の手元を覗き込んだ。
「写真のチェック?」
僕が尋ねると、進藤はルーペを外して目頭を押さえた。
「ああ、なんとかって雑誌の密着取材。プライベートが特定できる写真は外すようにって、天野さんがアドバイスしてくれて……」


(8)
その説明だけで、どの雑誌か見当がついた。
僕にも一度オファーがきたのだ。
若い世代に焦点を当てた企画物で、参考にして欲しいと渡された既刊では、
B級グルメブームに火付け役と目される20代の飲食店オーナー、
18歳で日本代表に選ばれたサッカー選手、どこかの国のコンクールで奨学金を授与されたバレリーナの卵が、30ページに及ぶ写真とインタビュー記事で紹介されていた。
いま、僕がゲラをチェックしているものとは違い、内容のある魅力的な企画だったが、24時間を写真で見せるというのがどうしても煩わしく思えて断ったのだ。
棋院のほうでは、囲碁の宣伝になるから受けてくれるとありがたいといってきたが、いろいろ考えて断った。
「インタビューは終わったの?」
「うん、ゲラは先週。この写真をチェックしたら、無罪放免」
僕は思わず小さな笑い声を漏らしていた。
「無罪放免」の一言で、進藤もこの手の仕事を決して快く思っていないのがわかったからだ。
「なあ、塔矢」
「うん?」
「今度さ、俺の行き付けの碁会所いかねえ?」
「え…」
「道玄坂って言ってさ、おまえんとこより砕けた雰囲気でさ、
受付も市河さんみてーな綺麗な人じゃなくて、なんかおっかないおばちゃんなんだけどさ」
そこで進藤は一度言葉を切ると、思い出し笑いなんだろう、くすっと笑った。
「おまえのこと歓迎してくれる」
進藤は照れくさそうに頭をかいていた。
「歓迎しすぎて、一局打たせろって身の程知らずなおやじたちが群がってきそうだけどな」
「僕と…打ってくれるのか?」
「やっぱり……、おまえと打つのは特別なことだから……、大切なんだよな」
僕は先ほど感情任せに口にしてしまった言葉を、後悔した。


(9)

――――断るのは手間だろう。それならそうと言ってくれたほうがいい

子供のように拗ねた口を利いてしまった。
そんな僕に進藤はちゃんと答えてくれた。
僕と打つことが、特別だと、大切だと、答えてくれた。
僕は自分が恥ずかしくなる。
僕は思いやることができなかった。
極一部とはいえ、父の碁会所には、進藤の言葉尻を捉え揚げ足を取ろうとする人たちがいる。
そうだ、そういった人たちは進藤を毛嫌いし、顔を見ただけで忌々しげな舌打ちを聞かせたりする。
それでも、進藤は僕と打つために通ってきてくれた。
そんな彼の心中を推し量ることもしないで、ただ恨んでいた僕は………。
「やっぱり…世間知らずのお坊ちゃんだな」
僕がため息混じりに呟くと、進藤は一瞬驚いた表情を見せた後で、慌てて瞳を泳がせた。
僕はようやく穏やかに笑うことができた。
「知ってるよ、自分のことだからね」
そう、口の悪い連中が、僕のことを陰でなんと噂しているのかは、なんとなく知っていた。
「それが耳に入ってるなら、世間知らずじゃないんじゃないの」
進藤も笑った。
「俺、なんて言われてるか知ってる?」
進藤の問いに僕はなんて答えようか、一瞬迷った。
「おい、人の顔色伺うってことは知ってんだろ? どう思う? ヤンキーなんて言葉、もうとっくに死語だとおもわねえ?」
進藤は特徴のある前髪のせいで、ヤンキーとかひよことか呼ばれていた。
僕たちは静かに笑った。
そうやって笑い合えることが嬉しかった。


(10)
ぺラ二枚のゲラチェックは、程なく終わった。
僕が赤いボールペンにふたをすると、進藤もルーペとネガの入った袋を手に立ち上がった。
僕を待っていてくれたんだ。
あえて二人とも言葉にすることはしなかったが、暗黙のうちに了解していた。
忙しい天野さんに、それぞれチェックしていたものを渡すと、僕たちは出版部を後にした。

エレベータのドアが開くと、雨の匂いが噎せ返るようだった。
「凄い降りだな」
静かな雨だった。
まだ4時前だというのに、厚い雲に覆われた空は日没を思わせる。
売店には「傘売り切れ」の張り紙があった。
僕は知らず知らずのうちに重いため息をついていた。
ここからタクシーを使うのは、できれば避けたいところだが、この空模様じゃそんなこともいってられない。
進藤とまだ話したりない気分なのに………。
「塔矢 ――」
エントランスで進藤が僕を呼ぶ。
「なにしてんの?」
僕は慌てて近づいていった。
「傘、売り切れで……」
「じゃ、駅まで入ってけよ」
パンと小気味のいい音を立てて、進藤が傘を開いた。
「でも……」
「遠慮すんなよ。こんなんでもあるとなしとじゃ違うはずだぜ。濡れて行きたいってんなら止めやしないけどさ」
進藤が笑う。僕はその笑顔に誘われ、足を踏み出す。
梅雨の空は重苦しいのに、進藤の笑顔にはそれを跳ね返すような力があるようだ。
「朝は降ってなかったよね」
「ああそうか、塔矢は昼飯くわねえもんな。
昼の休憩んとき降ってきたんだ。凄かったぜ。バケツの底が抜けるってあんな感じなんだろうな」



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