パッチワーク 7 - 10


(7)

和谷は東京へ帰る電車の中で自分と進藤を比較して落ち込んでいた。

自分たちが検討でも思いつかなかった手を進藤も塔矢も気が付いていたという棋
力の差。
一番下の子が3歳になる来年まで育休を取っているという進藤の妻と生活のため産
休をとるのもままならなかった自分の妻。
今回の会場となった箱根のホテルにしてもそうだ。進藤の家では毎年夏に家族で
あのホテルに一週間滞在していると言っていた。一方自分たちは数年前駅ビルの
福引きで旅行券があたってあのホテルに一泊したのが最後の家族旅行だ。
たしかアイツもできちゃった結婚だったがこっちは古いアパートだったが向こう
はじいさんが住んでいたとか言う蔵つきの一戸建て。

新宿で私鉄からJRに乗り換えようとして雑踏の中を足早に歩いていたとき見
知った顔を見たような気がして和谷は振り向いた。それは自分の娘なのか幼い女
の子を父親が抱いた家族連れだったが知人ではなかった。「そうだよな、塔矢は
独身じゃないか」その時思い出したのは数年前の家族旅行の時バスの車窓から見
た風景だった。箱根の坂道を塔矢にそっくりなおかっぱ頭の女の子を抱いた塔矢
が歩いている。その後ろには朴訥な感じの男の子、しんがりは進藤に似た女の子
の手を引いた女性。「なにを思い違いしてるんだか」

和谷は帰宅の足を早めた。

パッチワーク 2026.05 和谷 了


(8)

2026年5月 あかり(38)

火曜日
ヒカルもアキラも不在なのであかりは子どもたちが寝静まった後に仕事上、目を通さ
なければならない新刊をに目を通していた。二人ともいれば二人で部屋にいるので気
にせずにいられるが、どちらかが不在だと二人とも十代の頃から二人で寝る癖が付い
てしまったのか独り寝を嫌がってあかりと一緒の部屋にいたがる。どちらもこちらが
電気をつけて本を読んでいても気にせずに寝入るので気にしなくて良さそうだがやは
り気になって早々に自分もベッドに入ってしまうことになる。


(9)

次男の出産に伴い3年間の育児休暇を取ったが年明けには復帰の予定である。3年間のブランク
は大きい。いろいろな手段で補っては来たがもどかしさが残る。大学卒業後は保育士として働
いていたが働いているうちにどうしてももう一度勉強し直したくなり大学院に入り今は教育関
連の企業の研究所で「子どもの知識の獲得について」と「親子の依存・共依存-子どもの親離
れ、親の子離れ-」を研究している。机の上の端末が電話の着信を知らせている。ヒカルへの十
段位挑戦のため箱根のホテルにいるはずのアキラからだ。ヒカルに何かあったのか、動揺して
いるのが一目でわかる。ヒカルの姿が見えないから自分の部屋からだろう。

 「前夜祭でヒカルの様子がおかしいので問いただしたら右下腹が痛いと言っている。
 母が盲腸炎になったときと同じ症状で母は腹膜炎で一時危篤になった。
 この時間、病院はもう開いていないから救急車を呼ぶと言ったら、
 ヒカルは救急車も病院もいやだ。人に知られたくない。明日対局すると言ってきかない。
 いま、忘れ物したと言って自分の部屋に戻ってきた。
 母のように手遅れになったらどうしよう。」


(10)

 「ケアマンションの山本先生。山本先生にホテルに行っていただけないか訊いてみましょう。前
に暁子をホテルで見ていただいたことがあるわ。連絡は私がするからヒカルのそばについていてあ
げて。」
山本先生は塔矢先生と同じケアマンションに住んでいらっしゃる引退したお医者様で一緒に住んで
いらっしゃる方が体調を崩されてケアマンションに移ってこられた方だ。
先生はまだ起きておられた。「人に知られたくないなら直接部屋にゆくよ。見てみないとわからな
いけど盲腸は初期なら薬で抑えられるから薬を持って行くよ。ひどいようなら明日対局終わったら
すぐ手術できるように手配しておこう。」

あとは本人の説得だけどこれはアキラに任せようと電話をヒカルの部屋につないでもらった。案
の定、ヒカルは薬も明日の対局に影響が出ると嫌がっている。「ヒカル、アキラさんを見なさい。
もう、影響は出ているの。あなたがそのままだとアキラさんの方が参ってしまうでしょ」ヒカル
はアキラの様子を見て薬を飲むことを承知した。まったくこの二人は囲碁のことになると自分の
生死も気にしない。私や子どもたちはブレーキにはならないけれどお互い同士ならブレーキになる。
今のところはそれを頼るしかない。



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