番外編2 冷静と狂気の間 7


(7)
ほてりが冷め、呼吸が落ち着いてくるとともに、俊彦は自分を取り戻して
いった。俊彦は桑原に問わずにはいられなかった。
「なぜ…なぜだ。なぜあんたはこんなことをするんだ。そんなに男が好き
なのか。若い男なら誰でもいいのか。」
頻回に訪れる苦痛の狭間から、かすれた声で訊ねた。
「ふん、…そうじゃな、若い男なら誰でもいいのじゃろう。お前のように
活きがよければ特にいいがな。」
疲労を隠せぬ乾いた声にはどこか自嘲する響きがあった。桑原は体を起こ
し、脱ぎ捨てた服から煙草を探り出すと、肘をついて火を点けた。強い煙
草が半分になるまでの間、部屋には沈黙が流れた。
「この間の男に聞かなかったのか。…本因坊戦じゃよ。その前には若い男
の精で力をつけるのじゃ。」
再び口を開いた声は平静に戻っていた。
「…わからない。……。実力で戦うもんじゃないのか。」
「ふん。」
再び俊彦の問いを鼻で笑うと、桑原は続けた。
「トップ棋士になればもはや実力に違いなぞない。どちらがより勝ちたい
か。その執念だけが勝敗を分けるのよ。」
その目に一種の熱が宿り始めた。
「このタイトルを守るにはとてつもないエネルギーがいる。血をたぎらせ、
相手を食い殺す気で立ち向かわねば、本因坊の座などとうてい守り切れる
ものではない。若い男の精はそのエネルギーを与えてくれる。それゆえ若
い男を貪るのじゃよ。」
虚空に浮かぶ敵を見据えるように桑原は言い放った。その横顔には、棋界
の頂点に立つ男の執念と狂気が漂っていた。
――なにかに取り憑かれている。俺には理解できない熱がこの老人を突き
動かしている。
結果だけがすべて。強者だけが善。別の倫理が支配する世界。俊彦は、隣
にいる老人が自分とは隔絶した世界に住む人間であることを、ハッキリと
理解した。
「すまなかったな。もう休むがよい。小遣いがほしければもっていけ。」
煙草を吸い終わると老人は起こした体を横たえた。
翌朝早く、俊彦はホテルを飛び出した。
 
――何のためにオレはここまできたんだろう。アイツのためになにもして
  やれなかった。帰ったら真っ直ぐ嘉威に会いに行こう。今ならアイツ
  の気持ちがわかる。
明かりが流れていく夜行列車の車窓を眺めながら、俊彦はぼんやりと考え
ていた。
――こうやってあのジジイはまた対局に勝つのかな。
  あのガキもいつか狂気に取り憑かれて、勝負のためならなにをしても
  構わないヤツになるのかな。いや、アイツはそうはならないだろう。
  そういえば名前、聞かなかった。強くなるといいな。
俊彦は、キラキラと目を輝かせて囲碁の魅力を語る少年の顔を思い出して
いた。



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