暗闇 7 - 8


(7)
「伊角さん、どうしたんだよ?」
老人をおぶり、公園の前を横切ろうとした伊角をベンチでコーラを飲んでいた和谷が呼び止めた。
「お爺さん、ぎっくり腰だって。あっちの信号で車に轢かれそうになって。家、すぐ傍だって言うし、家まで送ってあげようと思って」
「へえ。・・あれ?」
「おお、和谷君か!」
「進藤の爺ちゃ・・お爺さんじゃん!」
驚いた和谷に伊角も小さく笑った。
「ジイちゃん!まったくもーっ!年なんだからタクシー拾って来いっての!ホントにごめんな、和谷、伊角さん」
ヒカルは困った顔をして祖父を家に担ごうとしてよろける。
「イイよ、進藤。このまま部屋まで運ぶから」
「ごめん」
ヒカルは伊角を誘導し、和谷に布団をひき寝かせる。
「元気そうじゃん、進藤」
和谷が冷蔵庫を開けてジュースを出そうとするヒカルに言った。
「オレはいつだって元気だよ」
「嘘つけ!いくらお前、早打ち得意だっていっても、昨日の対局何だよ」
「あ・・足、ちょっと捻ったみたいでさ!あんま座ってられなくて」
「足ぃ?」
「もう大丈夫。みんな今日はオフなんだ」
「ああ、・・・そうだ、進藤、伊角さん、今夜オレんちこない?もんじゃ大会しようぜ!ハハ。進藤、伊角さんてもんじゃ食った事ないんだってさ!」
「ええっマジ?」
「そんなに驚く事か?」
「食わせてやろうぜ進藤、スペシャルもんじゃ!ベビースターかってこなきゃ」
「ええ、それお菓子いれるのか?和谷!?」
「スゲー!食ってみてぇ!」
「じゃあ決まりだな、来いよ」
ヒカルがはしゃぐ。
和谷はホッとした。最近元気がなくて、またいつぞやのスランプ再びかと思ったら、どうやら違うみたいだ。
少し足を引きずりながら、ヒカルが鞄を取ってきた。
「本当に、足大丈夫か?転んだのか?お前いつも慌しいからなぁ」
「和谷に言われたくないやい!」
ヒカルは膨れて、また笑った。
伊角は黙って遠慮するヒカルの鞄を持ち、三人は和谷のアパートに向かった。


(8)
「ああ−!食った食った!」
満足げに畳に倒れ込む和谷。ヒカルは伊角の皿に最後のもんじゃを乗っける。
「意外に美味かったね、ベビースター」
ヒカルが言うと、
和谷は目を瞑ったまま笑って
「新しい一手だったろ、進藤。食後に一局打つか?」と言った。
ヒカルは笑った。
夜も更け、何局か打った後、そうだ、銭湯に行こうぜと誘う和谷をヒカルはかたくなに拒んだ。
「オ、オレ、シャワーでいい、足、早く治したいし。碁石片付けとく。二人で行って来てよ」
ヒカルの言葉にじゃあ、と二人は出ていく。閉じるドア。ヒカルは並んだ白と黒の碁石を見つめる。
『進藤、二人で新しい棋譜を作ってみないか。今夜12時、ここで』
あのメモを思い出しヒカルはトイレに駈け込み吐いた。
「・・・チクショウッ!!」
叫ぶと身体の奥に残る痛みが増す気がした。
忘れなければ。――――あれは塔矢じゃなかったのだから。

銭湯の帰り道、伊角がボソッと
「なあ、和谷。進藤、またスランプなのか」
「・・・違うと思うけど、でも」
和谷は口元に手を当てて、考えこむ。伊角は夜空を見上げた。
炬燵布団を布団代わりにし、ヒカルを真ん中に三人は川の字になって寝た。
寝返りを打つヒカルに、「眠れないのか?布団薄いもんな。お前ベッドだっけ」と和谷が声をかけた。
「いや、大丈夫・・うん、ここ何日か眠れないんだ。今日は楽しかったから、きっと眠れる」
「寝てないのか?」
「うん。・・・うん、眠れない時って、二人はどうしてる?」
ヒカルの囁く声に伊角はむくりと起き上がり、
碁石を二つとってきて布団の上に投げ出されていたヒカルの両手に一つずつニギらせた。
「?」
「オレはこれで大事な対局の前の晩、心を落ちつかせる」
「へえ・・伊角さんらしいや。サンキュ」
ヒカルは小さく笑って、目を閉じた。
「・・暗闇が怖いんだ。オレ」
和谷は驚いて、「なら、明かりつけるぜ?ついてても眠れる、なぁ伊角さん」と言った。
ヒカルは笑って、「いいんだ、怖いけどさ、勝たなきゃ。なんだってそうじゃん」と言った。
「・・・」
和谷は自分の片方の手をヒカルが白の碁石を握っている手の上から被せる様に握りしめた。
伊角もヒカルの逆の手を。
途端にヒカルが嗚咽を洩らす。
伊角と和谷は一言もヒカルに声をかけられず、ただヒカルが三日ぶりに眠りにつくその時まで、
ヒカルの手を碁石ごと握り続けた。



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