浴衣 7 - 9
(7)
「進藤――……」
「うん?」
僕の呼びかけに、進藤は優しい声を聞かせてくれた。
それは本当に短いものだったけれど、そこに滲む響きは強く心に残った。
不思議だなと思いながら、僕は口を開いた。
「好きだ」
言いたくてたまらなかった。
言われたから返すのではなく、聞かれたから答えるのではなく、自分の気持ちを自分の意思で伝えたかった。
「僕は君が好きだ」
僕の言葉に弾かれたように、進藤が大きく一歩後ろに退いた。
わずかな距離が、かえってお互いの表情を、はっきりさせる。
進藤は大きな瞳をこぼれんばかりに瞠いてた。
「塔矢……」
進藤が膝を折る。僕の足元とにしゃがみこみ、下から覗き込んでくる。
あんまり見て欲しくなかったが、ここで目を逸らすのも本意ではなかった。
見上げてくる進藤の瞳に、自分が映っているような気がした。
こんな暗がりでそれを確認できるはずもなく……。
進藤の暖かい手が、僕の膝に置かれた。
「ごめん」
突然、進藤が謝罪を口にする。
僕は……、思いがけない謝罪に、初めて羞恥を覚えた。
なぜ謝るんだ? 僕は、なにか間違えていたのだろうか。
さすがにそれ以上、見つめていられなくて、目を瞑り、俯いた。
「ごめん……、俺……まだちゃんと言ってなかった」
一瞬、指先まで凍ったように感じたのに、いまは全身に火が灯ったようだ。
「塔矢」
胸が苦しい。耳にも心臓があるみたいだ。
「好きだ」
(8)
ああ、もう取り返しがつかない……と、凪いだ気持ちで僕は思った。
僕も進藤も、言葉にしてしまった。
認めてしまった。
お互いの気持ちを―――――。
取り返しがつかないと思う一方で、歓喜が血管を流れ、体中をめぐる。
徐々に火照っていく体に、文字通り水が刺したのはその時だった。
パシャっというどこか可愛いらしい破裂音がした。と、同時に右足に水がかかった。
「ヨーヨー……」
進藤が呟いた。
ヨーヨーだった赤い風船が、地面に無残な形となって落ちていた。
「割れたんだ……」
「塔矢の足、濡れてる」
進藤は、口のなかで呟くと、僕の右足から下駄を奪う。そして、しゃがんでいる自分の膝に僕の右足をおくと、乾いているシャツの裾を手にした。
拭いてくれようとしていることがわかった瞬間、すまなく思えて足を取り返そうとした。が、進藤はそれを許してくれなかった。
彼が両手で僕の足を挟んだ。
濡れた足に、熱く湿った柔らかい感触が走った。
「あ……しん……!」
ぴちゃりと音がした。
肌に残った水を求め、進藤の舌が動く。
進藤に掲げられ、すべる水滴を進藤の唇が捕らえる。
分岐点 「このまま」 「分岐 青」
(9)
「しんど……やめ………」
僕は動転していた。
進藤のくれる感覚は、一ヶ月前僕を支配した感情を呼び覚ます。
「いやだ、…進藤」
口では抗えのに、体は動かない。
進藤のなすがまま、すべてを受け入れている。
感じている。
許している。
「ふぁ……っ、………」
進藤が僕の足の親指をしゃぶっている。
やめて欲しい。
でも、間違いなく僕はこのふれあいを悦んでいた。
体も心も歓んでいた。
「ん……」
進藤の舌が、指の股を舐め上げたとき、僕は甘い声を漏らしていた。
それに励まされたのだろうか、進藤の左手が、浴衣の裾からしのびこみ、這いあがっていく。
「進藤―――!」
彼の指が、僕の肌に消えない熱を残していく。
ぞくりと背筋に快感が走った。
進藤は、僕の足指を咥え、舌を絡めながら、なんとも言えない瞳で僕を見つめている。
彼が欲しているものを、僕は理解した。
それは、僕も欲しているものだった。
僕は手を伸ばし、進藤の髪に指を忍ばせた。
彼の唇が、指を追い、滑っていく。
足の甲の水滴を舐め取り、舐めあげる。
かりっと踝に痛みが走った。
進藤が歯を立てたのだ。
僕の下腹部に熱が集まる。
僕は、少し強引に足を引くと、地面におろし、立ち上がった。
「進藤……、帰ろう」
僕は深い酩酊のなかをさまよう心地でそう告げていた。
手を繋ぐ代わりに、肩を触れ合わせるようにして、僕と進藤は歩き出した。
その間、交わす言葉はなかった。
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