sai包囲網 7 - 9
(7)
初めて敷居を跨いだ塔矢アキラの家は、予想通りの壮麗な日本家屋で、
そして予想以上に広かった。こんなところにたった三人で住んでるなん
て詐欺じゃないかと、ヒカルでなくても思ってしまうだろう。
ここへ来るまでの間、アキラは取り立ててヒカルに探りを入れるよう
なこともせず、思い出したようにたわいもない話を振って来た。それは
ほとんどが囲碁のことばかりだったが、アキラに連れられて電車に乗る
という、二度目の対局と同じシチュエーションに背中に嫌な汗をかき始
めていたヒカルはややほっとし、あーあの手はおもしろいよなーと唯一
と言ってもいい共通の話題に応じた。
そして、佐為はといえば、ここに着くまではじっと押し黙っていたが、
あの塔矢名人の住む家に興味を引かれたのか、何かを探すように視線を
彷徨わせている。
『佐為、少しはじっとしてろよな。きょろきょろされたら気になるだろ』
『すみません、ヒカル。何だか落ち着かなくて』
『オレだって落ち着かねぇよ。こんなでかい家でさぁ』
囲碁を始めるまではまともに正座をしたことがなかったのだ。アキラ
がお茶を入れて戻って来るまでの間、一人ぽつんと広い和室に残され、
あまりに場違いな自分に座った尻がむずむずして来る。アキラの追求を
かわす作戦を練るよりも、こっそり帰ってしまおうかとすっかり弱気に
なって来たところに、やっとアキラが戻って来た。
「待たせてすまない。和菓子は嫌いじゃないよね」
「あっ、オレ。基本的に好き嫌いはないからさ」
「あぁ、そんな感じだね」
くすっと笑ったアキラに少しだけヒカルの気分も浮上した。
(8)
悪いヤツじゃないんだよなとヒカルは思う。いつもこうやって笑って
くれればいいのに。オレなんて愛想良くして貰えたのは、最初に対局す
るまでの話で、その後はいつも怒ってるか無視されるかだもんな。
「遠慮しないでお茶をどうぞ。もしかして、猫舌なの?」
「あっ、そうじゃなくってさ。どうせならお前の部屋に行かないか。何
だかここじゃ落ち着かないんだよな」
「いいよ」
急須と茶碗、お茶受けを盆に戻したアキラに奥の部屋へと通される。
畳敷きの部屋に勉強机と本棚、箪笥。ごちゃごちゃともので溢れ返った
自分の部屋と違い、余計なものが全然置いていないように見える。それ
はいっそ潔いほどで、さすが塔矢だよなぁと、ヒカルは変なところで
感心してしまった。
ただ一つ目を引いたのは、机の上のパソコン。ヒカルの視線を追った
アキラがあぁと頷いた。
「二年前、それでsaiと打った」
ヒカルははっとしてアキラを振り返る。
「べ、別にそういうつもりで見てたわけじゃねぇよ。パソコン、持って
るんだなって・・・」
「君は、持ってないんだ」
「あ、うん」
「だから、ネットカフェ?」
「わ、悪いかよ!」
「あの夏休み中、ずっと?」
「ずっとってわけじゃ。あの日だってたまたまお前と会っただけだし」
「ふーん、本当にそうかな」
(9)
「な、何が言いたいんだよ?」
思わず身構えたヒカルに、アキラはふっと表情を和らげた。まるで出
来の悪い子供に向けるようなしょうがないなという眼差しが、ヒカルは
居心地が悪くて仕方がない。
「あのときボクは、saiのことはもういいと思って、あれ以上調べる
ことはしなかったけど。今からでも遅くはないよ」
「調べるって、何を?」
「そうだな。最初はやっぱりあのネットカフェからかな。君があそこを
利用した日にちと時間、saiがネット上に現れた時間を照らし合わせ
てみたら、おもしろいことが分かるかも知れないね。それに、従業員や
客の誰かが君がネット碁をやってるところを見ていた可能性もあるね」
言われてすぐに思い浮かんだのは、三谷の姉だった。彼女がまだあの
インターネットカフェでアルバイトをしているかどうかは分からないが、
パソコンの使えないヒカルに代わって、二度チャットに書き込みをした
のは他ならぬ彼女だ。一見の客ならともかく、足繁く通ってきた弟の友
達を覚えてる可能性が高い。
当時の葉瀬中囲碁部のメンバー。筒井と三谷、そしてあかりもヒカル
がネット碁に嵌まっていたことを知っている。おまけにヒカルはそのこ
とを口止めも何もしていないのだから、彼が本気で調べる気になったら、
saiと自分の接点を簡単に見つけられてしまうかも知れない。
ヒカルは身体の脇に垂らした両手をぎゅっと握り締めた。
「例え、俺がネット碁をやってたとしても、そんなこと。塔矢には関係
ないだろ!」
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