失着点・展界編 70
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伊角はヒカルの腕をとると二人のいるところに引っ張って行く。
「い、伊角さん…!」
ヒカルは焦った。アキラと和谷がヒカルの方を振り向く。
「…進藤、」
和谷がヒカルの名を呼んだ。だが、ヒカルは和谷を見ず、アキラを見つめた。
アキラは何も言わなかった。ただ、「わかっている」というように穏やかな
表情をヒカルに見せ、対局室に入って行った。その二人の様子に和谷は唇を
噛み締める。明いていた4つの席が埋まって開始のブザーが鳴った。
それぞれが頭を下げ合って挨拶する中で、アキラと和谷だけは睨み合った
ままだった。
「…なんだかあそこ、すげえな…。」
二人のぴりぴりしたムードは他の対局者達にも伝わっていた。
ヒカルは激しく動揺していたが、黒の先番となり、息を吸って決意を
したように対局を開始する。相手が驚く程のっけからの早碁で進める。
おそらくアキラは容赦しない。だとすれば結果はもう明らかなのだ。
先番を取った和谷は包帯を外した傷だらけの右手で石を置いていた。
そんなものがアキラに対してなんの効果も持たない事は分かっていた。
決意の表示である。それに対するアキラの応手は強烈だった。
パンッと、決して大きい音と言う訳では無いのに対局室中に突き刺さる、
凛とした響き。アキラを知っている誰もが元名人を連想した。
その音は早碁のリズムで進められ、音の響きに全くの躊躇がない。
…塔矢アキラが、本気だ。
そこにいた誰もがそう感じた。
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