日記 70 - 72
(70)
花火大会中止の連絡を入れた時、ヒカルがえらくがっかりした声を出した。それを
聞いて、つい、「明日、晴れたらやるから。」と、言ってしまった。電話を切った後、
慌てて、他の友人達に連絡を入れた。
待ち合わせの場所に行くと、ヒカルがもう待っていた。まだ、陽は沈みきっていない。
「もう、来てたのか?」
和谷と一緒に来た伊角が、やれやれと首を振った。ヒカルは、恥ずかしそうに「へへ」と、
笑った。
待ちきれずに、かなり早くから来ていたらしい。
ヒカルが持ってきた花火を見ると、ほとんどが打ち上げ花火だ。
「なんだ?打ち上げばっかじゃねえか。」
「だって、この前、塔矢とやった時、打ち上げはしなかったから…住宅街だったしさ…
遠慮したんだ。今日は、絶対これやるって決めてたんだよ…」
和谷のあきれ顔に、ヒカルは頬を膨らませ反論した。和谷は、少しムッとしたが、顔には
出さなかった。ヒカルの口から、アキラの名前が出る度、胸がむかつく。だが、せっかく、
ヒカルが今日を楽しみにしていたのだから、それに水を差したくなかった。
後から、来た連中にも同じことを言われ、ヒカルはすっかり拗ねてしまった。ヒカルを、伊角達が懸命に宥めている。そんな彼らに、ヒカルは、「ウソだよ」ペロッと舌を出した。
和谷は、自分がヒカルを見て微笑んでいたことに、暫く気づいていなかった。
ヒカルの快活な笑い声が耳に心地よかった。
(71)
「花火なんて何年ぶりかな。」
冴木が、楽しそうに言った。冴木だけではなく、皆、嬉しそうだ。
「ねえねえ、早く、こっちつけようぜ!」
一番、はしゃいでいるヒカルが急かした。
「しょーがねーなー。」
記念すべき最初の花火は、三連発の打ち上げ花火だ。シュルシュルと、音を立てて空へ上がっていく。
パンと言う派手な音と共に、火花が散った。その後続けて二回。その度、ヒカルは
「おー」と、感嘆の声を上げた。むろん、大玉の花火とは比べ物にもならないが、これは
これで味わいがある。
幾つか打ち上げ花火を上げた後、和谷は、自分の買った花火をとりだした。
「進藤、これ。」
ヒカルが受け取り、火をつけた。派手な音が聞こえて、落下傘に何かがぶら下がって、
落ちてきた。ヒカルが、走ってそれを拾いに行く。
「ぬいぐるみ?カエルだー。ハハハ…おもしれー。」
ヒカルは、それを和谷達の方に振り回して見せた。
「ねーこれ、どうすんの?」
ヒカルは、カエルのぬいぐるみを和谷に渡そうとした。ヒカルの顔が間近にある。外灯の
ぼんやりとした灯りの下で、ヒカルの唇が妙にくっきりと目に映る。
「和谷?」
ヒカルが和谷の顔を覗き込む。大きな瞳。睫毛も意外と長い。小さな鼻のてっぺんを舐めてみたい。
バカなことを考えている自分に、ハッとして、慌ててヒカルに答えた。
「あ…ああ。やるよ…お前に。」
「…って言われてもさぁ…」
ヒカルが手の中のぬいぐるみと、和谷を交互に見つめた。
「いいじゃん。もらっとけよ。」
「そうそう。似合うぜ。」
ちゃかされて、ヒカルがムッとした顔をする。困った。どんな顔をしても、可愛い。
この無邪気なヒカルが、碁を打つときは別人のようになる。時々―――いや、いつも、
その真剣な眼差しに見とれてしまう。どんな時でも、人を引きつけずにはおかない。
「…お前、碁を打っているときとは別人だな……」
つい、口に出してしまった。ヒカルは、きょとんとしている。
「……?和谷だって、そうじゃん。自分がどんな顔しているか知らないの?」
「伊角さんだって、本田さんだって、みんな別人みたいだぜ?」
ヒカルには、自分の言いたいことの本当の意味は、伝わらなかった。ホッとした安堵の
気持ちもあったが、少し残念にも感じた。
(72)
手合いの日、帰りにアキラに呼び止められた。
「あれ?塔矢、もう終わったのか?」
「進藤こそ早いじゃないか。」
二人で並んで、棋院を出た。二人でいると、会話は自然と碁の話になる。いくら話しても
話したりない。時々、互いの手がぶつかった。ヒカルは、アキラと手をつなぎたいと
思ったが、人目が気になって出来なかった。
突然、アキラがヒカルの手を取った。「…!?」ヒカルは、赤くなって狼狽えた。
「はい。進藤。」
アキラが自分の鞄の中から、何かをとりだしてヒカルの手に持たせた。何…?筒の…??
打ち上げ花火?
「あ……これって…」
ヒカルは、ケラケラと笑いだした。和谷が、ヒカルにくれたカエルのぬいぐるみ。
「なあんだ…知ってたのか。」
アキラも、笑った。「驚かせようと思ったのに」と、少し残念そうだ。
「びっくりしたよ……塔矢がこれを買ったってことに…」
笑いすぎて、涙が出てきた。
「今度、一緒にこれを打ち上げようぜ。」
「それじゃあ、家の前じゃだめだね。」
風が吹き抜けて、アキラの髪が目の前で、サラサラと流れた。髪の隙間から、見慣れた
はずのアキラの横顔が覗く。そこから、視線がはずせなくなった。
いつもと同じ道。他愛のない会話。それなのに、胸がドキドキした。本当に自分は
いつになったら、このドキドキから解放されるのだろう。いつまでたっても、慣れないのが
不思議だった。
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