平安幻想異聞録-異聞-<外伝> 71 - 74


(71)
検非違使庁に行くなら曲がらなければいけないその道の端で、ヒカルは庁舎が
あるほうをじっと見ると、何かを断ちきるように、再びまっすぐに歩き出した。
足の向く先は、もう顧みる人のいない町の碁会所だ。
ガタガタと音をさせて木戸を開け、ひんやりとした空気が支配するその空間に
足を踏み入れる。
毎日寄っているから、たいして掃除する場所もないのだが、ヒカルは黙々と、
あるかどうかも分からないホコリを掃きだし、水を汲み、布をひたし、その部屋
の隅々まで掃除する。
ひととおりの手順が終わって、ヒカルは久しぶりに碁盤を出してきて、部屋の
真ん中にすわった。
伊角の警護の仕事についてからは、掃除をする時間は捻出できても、碁石を
持つ時間はなかったのだ。
まっさらな、何も置かれていない十九路をじっと眺める。
かつて、この碁盤の上で、何百何千の対局がされたのだ。
――寝不足のはずだが眠気はない。
じっとしていると体の奥によどんで開放を待つほむらが、じりじりとヒカルを
苛む。
このほむらが体を眠らせてくれない。
立ち働いていれば、ひとときはその熱さを忘れることもできたが、それさえ
今は許されない。
加賀が言うからには、そうなのだろう。自分はこの体をどうにかするまで、
検非違使庁に顔を出すこともかなわないのだ。
なんで、こんなになってしまったんだろう?
こんな時、以前なら手を伸ばせばすぐ横に佐為がいた。
ヒカルが望めば、彼はそっとあの白くて長い手をヒカルの体にからめて、その
欲求に応えてくれた。
佐為は、いつも信じられない程丁寧にヒカルに触れてくるのだ。
今年の夏に泊まりがけで一緒に避暑に行って以降、その傾向はさらに増した気
がする。


(72)
佐為の指が体中から、柔らかく快楽を掘り起こすのをを感じ、言葉を紡ぐのも
おっくうになるほどトロトロにとろかされて、それからやっと佐為の熱いそれが
入ってくる。
酔わされて朦朧としたあたまでいつも思うのは、佐為ってうまいよなっていう
ことだ。
体中を甘い痺れに支配されて、もうこれ以上耐えることは苦痛でしかないと涙が
こぼれる寸前になった時、佐為はまるでヒカルのその心を読んでいるように、
中に入ってくるのだ。
丁寧な愛撫と裏腹に佐為のそれは、情熱的にヒカルの中を攻め上げる。
優しくて綺麗で時には可愛くさえある佐為の、そんな熱い部分に触れるたび、
それに心を暖められて、嬉しくなって、そういう時は、ヒカルも佐為に思いきり
甘えてみたりするのだ。
「佐為、もっと……」
と。
ヒカルの右手は、自然に股間に延びていた。
自分で指貫の帯を緩め、すでに立ちあがりかけていたそこに手を添えた。
それは佐為が消えて以来、ずっと自分に禁じていた行為だった。それが終わった
あとの虚しさなんて、やってみなくてもいくらでも想像がついたからだ。
だけど、今は、どうしようもなくそれがしたかった。
それほど、追いつめられていた。


(73)
ヒカルの左手は、狩衣の留め紐を手早く解くと、臙脂色の単衣の隙間から自らの
胸元へと忍び込んだ。
自分の乳首が、とがっていくのを指先で感じながら、ヒカルはそのまま体を
碁会所の床に横たえる。
古びた木の匂いがした。
(佐為、ごめん……)
心の中で謝った。なぜなら、佐為は決してこの碁会所では、こういった行為に
及ぶことはなかったからだ。
内裏の一角でさえしたことがあるというのに、佐為はこの場所で睦みあうことは
絶対にしなかった。ここは佐為にとって聖域にもひとしい、碁を打つための場所
だからだ。
しかし、ヒカルはそれでも、できるだけ佐為の匂いと気配がこの濃い場所で
したかった。
心の中でその人の名を呼んで、謝りながら、手は忙しく動いていた。
右手に擦られるまだ色も薄い陰茎は、あっという間に熱を高め、尖端からは
濁った涙をこぼし始めている。
ヒカルは寝転がったまま、かの人の愛撫の感触を思い出しながら左手を体に
這わす。
「……ん……」
静かな碁会所では、小さな上ずった声も、はっきりと響いた。
こうしていると、疼いてくるのは腰から後ろの門のあたりだ。
ヒカルは右手を後ろへと運んだ。
自分でそんなところをいじるのは、たとえここに人の目がないとわかっていても
恥ずかしいことだったが、指は勝手に動いて、その火照った入り口をさぐった。
背を丸めて、より深くまで感覚を追っていく。冷たい床も、今はヒカルの体温を
受けて熱くなっている。
「は……っは…、」
ヒカルの二本の指が奥まで到達する度に、腿の付け根から膝のあたりまでの
筋肉がフルフルとわなないた。


(74)
眉をきつくよせて、苦しげな程の表情で、ヒカルは最後の境地にいきつくために、
自分の左手で何度もきつく乳首を嬲った。あまりに強くそうしたので、そこは
擦り剥けて痛いほどだった。
「う…くっんん…!」
自分の肉が右手を指をきつく締め付けるのを感じながら、ヒカルは喉をそらした。
背筋を駆け登る解放感。ヒカルの根の尖端から吹き出たものが、受け止めるものも
なく指貫の中を汚した。
(やっぱり、そうじゃないか)
ヒカルは大きく肩で息をついた。
欲望を吐きだした後も、こんなにも自分は悲しい。
なぜなら、いつも最後にヒカルの体を穿って奥を濡らす、あの感覚がない。
ちっとも晴れていない体の疼き。いや、前より酷くなっている気がする。奥に
熱いものを放たれるあの感覚を求めて。
ヒカルは疲れた体を床からおこした。
乱れた前髪が目の上にかかって、よく、前が見えない。
男に抱かれるのが好きなわけじゃない。あかりを抱いてその中にいたって自分は
ちゃんと射精することができる。
だけど結局、欲しいのは佐為なのだ。触れて欲しいのは佐為だけなのだ。
なのに、肝心の佐為がいない。佐為だけが。
(佐為、佐為、おまえ何処いっちゃんだよ。俺を置いて、どこいっちゃったんだ)
その時、ヒカルは何を考えていたわけでもない、ぼんやりと自分の手が腰の
太刀の柄にのびるのを見ていた。
太刀が抜かれ、それを自分の手が持ち上げて、首筋に持っていく動きを
他人事みたいに眺めていた。
そして、その冷たい刃の感触を首に感じたときも、どこか遠くの出来事
みたいだった――
「何をしているんだっっ!」
自分のものではない叫び声と、手からもぎ取られ、部屋の端まで投げ飛ばされた
太刀が壁に跳ね返って落ちる音に我にかえった。
目の前に賀茂アキラの、小奇麗な顔があった。



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