誘惑 第一部 71 - 75


(71)
「本当なのか。和谷と、したのか」
「あれは…」
「YESかNOか、どっちかで答えろよ。あいつと、したのか。どこまでしたんだ。」
「…したよ。」
「おまえが誘ったのか。」
「ボクはそのつもりはない。」
「あいつが無理矢理したのか。」
「…そうとも言える。」
「感じたのか。」
「……」
「感じたのか?よかったのか?答えろよ!」
「……別に…たいしてよかったわけでもないよ。」
「じゃあ………緒方は。」
アキラの身体がびくっと震え、一瞬ヒカルを見てそれからすぐに目を逸らせた。
その惑いにヒカルは顔色を変える。声が、低く、震える。
「緒方と、会ったのか。会いに行ったのか。」
「…ああ。」
答えるアキラの声も低く、震えていた。
「…緒方と、寝たのか。」
NOの答えがないのがそのまま肯定である事を、アキラもヒカルも知っている。
「あいつも、無理矢理したのか。
違うよな。おまえから会いに行ったんだよな。あいつんちに行ったんだよな。何しに行ったんだ。
あいつに抱かれるためにか。」
「………」
「…違うって、そうじゃないって、言わないんだな。」
アキラの肩を掴んだヒカルの両手が震えていた。
「わかんねぇよ!オレ、おまえがわかんねぇよ!どうしてだよ!?」
応えられないアキラにヒカルが叫ぶ。
「どうして、オレを好きだって言いながら、平気でオレの目の前で他の男にキスしたり、他の男に
抱かれたりできるんだよ?オレだけじゃ駄目なのかよ?」


(72)
「それとも…それとも、オレを好きだなんて言ったのは一時の気の迷いで、本当はあいつの方が
好きなのか?本当はあいつのとこへ戻りたいんじゃねぇのか!?」
「違うっ!それは違う、進藤…」
「進藤じゃねぇッ!」
衝動のままにヒカルはアキラの身体を床に押し倒し、乱暴に唇を塞ぎ、彼の中に侵入し、蹂躙し
ながら、身体をまさぐる。
「や…めろ、進藤…」
ヒカルから逃れようとしながらアキラが彼の名を呼ぶ。けれどヒカルはそれに構わずに、首筋から
鎖骨へ唇を這わせながら、シャツの裾から手を侵入させる。強引な愛撫から逃げようとする身体を
身体全体で押さえ込みながら、ベルトを外そうとした時、
「やめろっ!!」
アキラの厳しい声が響いて、ヒカルは思わず手を止めた。
手を止めて、アキラの顔を見てしまった。
真っ直ぐな、鋭い視線がヒカルを見据えている。
アキラの眼の光に気圧されて、ヒカルはそれ以上動く事ができない。
「やめてくれ、進藤…」
目の力を弱めないまま、アキラがヒカルに言う。
「キミとは…キミとだけは、こういうふうにはしたくないんだ。」
低い、静かな声がヒカルの手から力を奪い、のしかかっていた身体をヒカルは引き起こし、視線を
逸らす事もできずにゆっくりと身体をはなす。そしてアキラの横に座り込んで彼の視線から逃げる
ように顔をそむけた。


(73)
結局はこうなんだ。
オレはこいつに逆らう事はできないんだ。
所詮、自分はアキラの手の内で弄ばれていただけなのではないか、そんな疑念が湧いてくる。
だから―だから、こんな風に拒まれたら、それ以上の事はヒカルには出来ない。
和谷が言っていた事は正しいんじゃないか。そんな気がしてくる。
怒りと悔しさに涙を滲ませながらヒカルはアキラに向き直り、彼の目を睨みあげて、言った。
「…オレは…オレはおまえのなんなんだよ?おまえはオレのなんなんだよ?
おまえはいっつも好き勝手にするくせに、オレが何かするにはおまえがいいって言わないとダメ
なんだ。全部、全部決めるのはおまえなんだ。
そうじゃないか?いつだって、そうだったんじゃないか?」
「違う、そんな事、ない。聞いてくれ、進藤…」
「オレを弄んでるだけなのか?からかってるだけなのか?」
何を言っているんだ?オレは。
これじゃただの八つ当たりじゃないか。駄々をこねてるだけじゃないか。
「違う、違う、進藤、どうしてそんな風に…」
「オレ…わかんねぇ。信じらんねぇ。おまえがオレの事好きだなんて、信じらんねぇよ。」
違うんだ。こんな事を言いたいんじゃないんだ。おまえを信じたいんだ。だから、
「…進藤、」
縋るような、懇願するような目で、見つめている。その視線が痛い。
おまえを疑いたいわけじゃない。おまえを責めたいわけじゃないんだ。でも。
アキラの瞼がゆっくりと閉じる。歯を食いしばって、小さく首を振り、それから、目を開いて、ヒカル
を見据えて、口を開いた。
「……進藤、…聞いてくれ、緒方さんとは…」
けれどアキラの声に、ヒカルはアキラの身体を思いっきり突き放した。大きな音を立ててアキラの
身体が壁にぶつかった。だがヒカルの目はもはやアキラを見ず、ただ強烈な怒りがヒカルの目を
眩ませ、全身を激しく震わせた。
聞きたくなかった。おまえの口からあいつの名前を。おまえがあいつを呼ぶのを。
おまえは全然わかっちゃいない。あいつの事で、オレがどんな思いをしてたかなんて、おまえは
気付いてもいないんだ。


(74)
ヒカルが自分を置いて、振り返りもしないで、アキラを捨て去るように出て行くのを、アキラは呆然と
したまま、見送るしかできなかった。
座り込んだまま、乱暴にドアが閉まる音を、聞いているしかできなかった。
自分が傷つけて、怒らせて、出て行ってしまったヒカルを、追って、追いかけて、掴まえて、行かない
でくれと言い縋る事も、そんな事さえ、できなかった。
言えることなど何一つなかったから。

だって、悪かったとか、済まない、とか、そんなふうには言えない。
許してくれとも、言えない。
あれは―あの人との事は、それでもボクには必要な事だったんだ。
どうしても、必要な事だったんだ。
でも。
そんな事は進藤には言えない。
違うんだ。キミとは…キミをないがしろにするとか、そういう事じゃないんだ。
わかって…くれなんて、言えない。わかってもらえるはずがない。
でもキミが一番大切で、キミが誰よりも好きだって事は本当なんだ。それだけは本当なんだ。
信じてくれ。わかってくれ。
ボクが好きなのはキミだ。愛してるのはキミだ。キミだけだ。
どうか、進藤。


(75)
ドアをがんがん叩く音がする。まーた来たのか。今度は何だ。
軽く悪態をつきながら玄関のドアを開けると、そこに立っていたのは予想通りの人物だった。
「どうした、進藤。」
「加賀…オレ、わかんねぇんだ…どうしたらいいのか、わかんねぇんだ、もう…」
ヒカルの目からぽろりと涙がこぼれ落ちた。
溜息をつきながら、加賀はヒカルを部屋にあげた。
いつからここはコイツ用の駆け込み部屋になったんだろう、と半ば苦笑しながら。
「何があったんだ?塔矢がどうしたんだ?」
だが加賀がアキラの名前を出すと、ヒカルはびくっと身体を震わせ、頭を振った。
ヒカルの気を落ち着かせようと、加賀はお湯を沸かし、煎茶を煎れてやった。
差し出した湯飲みをヒカルは無言で引き寄せて、熱い煎茶をふうふう吹きながらすすった。
塔矢アキラと喧嘩でもしたのか、と問うことは、けれど加賀はしなかった。
理由が何にせよ塔矢アキラと何かあって泣きつきに来たという事は聞くまでもない事だったし、
この様子では聞いても何も答えないだろう。とりあえずは落ち着くまでここで茶でも飲んでれば
いいさ。そう思って加賀は自分の湯のみからぐいっとお茶を飲んで、煙草に火をつけた。
ヒカルがそんな加賀をちらっと見上げて、小さい声で訊いた。
「加賀…聞かないの?」
「おまえが言いたきゃ聞いてやるし、言いたくないんだったら無理に聞くこともねぇだろ。」
「加賀って優しいんだな、知らなかった。」
「バッカヤロ、おまえ、今頃気付いたのか?この加賀様の優しさにさ、遅いんだよ。」
そう言って加賀はヒカルの頭を小さく小突いた。
言いたい事?言いたい事って何だろう。塔矢が……ううん、そんな事は言いたくない。
ただ、誰かに側にいて欲しかったんだ。泣くんじゃないよって、頭を撫でて欲しかったんだ。きっと。
バカだな。ガキみたいに。オレってこんなガキだったんだろうか。
「加賀、オレ…」
加賀は優しい。いつもオレの欲しい言葉をくれる。オレが迷ってると、ちゃんと後押ししてくれる。
だからオレは加賀に会いたかったんだ。誰でもよかったわけじゃない。
「加賀、オレの事、キライ?」
ヒカルの大きな目がじっと加賀を見上げていて、加賀はなぜだか心臓が痛むのを感じた。
「進…藤、」
「加賀…」
ヒカルは意を決したように加賀の顔を捕らえ、目を伏せて唇を重ねた。



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