平安幻想異聞録-異聞- 71 - 75
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アキラは腕をおいて、再びヒカルの側にきて、掛け布団をはいだ。
「『印』はね、物じゃなくてもいいんだ。痣や、火傷の痕の場合もある」
「な、なにすんだよ!」
アキラは動けないまま寝ているヒカルの着物の前をはだけさせた。
昨晩、魔物に吸い付かれた鬱血の痕よりも、10日も前にヒカルが受けた暴行の後の方が、
よほど生々しくその肌には残っていた。細かい切り傷、擦り傷が。
その傷跡を赤く浮き上がらせているヒカルの肌を、アキラはじっくりと検分していく。
アキラの息がわき腹やヘソのあたりに当たって、ヒカルは妙に気恥ずかしい気分に
させられた。
アキラの手が下腹部に伸びた。
「やめろよっ」
「ここもだよ。男同志だ。恥ずかしがる事もないだろう」
「そりゃ、そうだけど」
でも、いくらなんでも明るい朝の光りの差す部屋で、じっくり眺められるなんていうのは
抵抗がある。
その様子にアキラがじれて口を開いた。
「僕を信じてくれ。僕は君を助けたい。君は僕のたったひとりの――!」
そこまで一気にまくし立てて、アキラは何かに気付いたように口を閉ざしてしまった。
『たったひとりの…』何なんだよ、とヒカルは思った。その言葉の後には、
友達とかそういうものではない、思いのほか、大事な言葉が続く気がしたのは気のせい
だろうか。
「なんでもない。とにかく、僕を信用して、体を開いてくれ」
今度はヒカルも、黙ってアキラのしたいようにさせた。
アキラの手が、さらに着物をはだけ、ヒカルのまだ少年らしい色の薄い性器が
外気にさらされる。
アキラはそれとその周りを一通り調べたあと、さらに手を下へと探り入れ、
恥ずかしげに閉じられた両のももを、ゆっくりと開かせた。
アキラの手が太ももの内側を撫でる感触に、ひどくいけない事をしている気がして、
ヒカルは顔をあからめてそっぽを向いた。
「見つけた」
アキラがつぶやいた。
「なぜ、さっき君の体を拭いたときに気付かなかったんだろう」
ヒカルはアキラの手元を見た。
アキラの手の下にあったのは、あの夜に付けられた太もものひと際長く大きい奇妙な傷。
ミミズ腫れのようになって引きつれた幾条かの切り傷だったのだ。
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言われてみれば、その長い傷跡の重なり具合は、何かの文字か文様のようにも思えた。
「それ、なの?」
「うん、これだね」
そう言ったきり、アキラは黙り込んだ。
「なんだよ、見つかったんだろ、よかったじゃん」
「いや、もっとやっかいな事になってしまった」
アキラは苦しげに言った。
「すまない、近衛。僕にはこの『印』の力を解くすべがない。いや、僕でなく誰であっても
無理だろう、この呪をかけた本人でなければ」
「どういうことだよ」
「これは、近衛。君自身の肌に君自身の血で描かれた、最も強力な呪符なんだよ」
沈黙が流れた。
最初に沈黙を破ったのはヒカルだった。
「駄目なんだ?」
「…………」
「今夜も来るんだろ、あれ」
「おそらくね」
再び少しの静寂。
「いや、まったく手がないわけじゃない、近衛」
「賀茂」
「それが駄目なら、こちらから積極策に出て、元を断ってしまえばいいことだ」
「あの、蛇みたいのをやっつけんのか?」
「いや、もっと元だ。言っただろう? 蠱毒には、蟲やら蛇やらを詰めて埋めた壺を
使うんだ。それを見つけ出して破壊する」
「そんなこと出来るんだ?」
「できる」
きっぱりと言いきったそのアキラの瞳が、言葉とは裏腹に不安げに揺れていた。
だから、ヒカルは、どうしようかと迷ったけれど、聞いてみることにした。
「その壺ってさ、どこにあるんだ?」
アキラが目を細めて、天井を振り仰いだ。
「――それを見つけ出すのが、僕の腕の見せ所というわけさ」
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しばらくして、アキラがまた粥を持って来てくれたので、ヒカルはそれを遠慮なく
全部食べた(今度はちゃんと自分の手で)。具も何もなかった朝のものに比べて、
今回は青菜と、トロトロと固まりきっていない卵が溶かし込まれていて、
本当においしかった。
体に力が戻ってくる気がした。
床に伏したまま、窓から高く上った日を眺める。秋の高い空を薄い雲が流れている。
ヒカルは考える。
今夜も、あの蛇の形をした異形は来るという。
アキラは、なんとしても壺の場所を夜までに見つけると言っていたが、
そんなことが出来るのだろうか。
蠱毒をしかけた向こう側の陰陽師だって、こちらがそういう手段に出ることぐらい、
百も承知だろう。たぶん二重三重に結界をはって、その存在する場所を隠そうと
するんじゃないだろうか。
アキラは本当に、夜までにそれを見つけ出すことが出来るんだろうか?
夜になれば奴が来るのだ。
昨晩、自分の上を這い、中を抉った太いミミズのような感触を思い出して、
ヒカルの肌が粟立った。
また自分は、あんな恥辱的な醜態をアキラの前にさらさなくてはならないんだろうか。
そして何より。
自分の頬の上に落ちて来た、生暖かい濡れた感触。鼻を突く血の匂い。
血だらけの腕。
頭の中に浮かんだその絵は、そのまま、佐為の腕に赤く残る魔物の巻き付いた痕と重なった。
アキラに、またあんな風に自分が女みたいに喘ぐ様なんて絶対に見られたくなかった。
巻き込まれたアキラが、血を流すのも見たくなかった。
だが、このままでは帰れない。
この足に刻みこまれた『印』が有る限り、魔物はヒカルのいるところへと
追ってくるのだから。
家に帰れば、家族をあの魔物の牙の前にさらすことになる。
佐為の家に行くなんて言わずもがなだ。
(どうしたら、いいんだろうな。佐為)
ヒカルは、佐為の、神様に丹精込められて作られた様な顔に浮かぶ、
やさしげな笑みを思い浮かべた。
そのヒカルの耳に、幻聴のように蘇った言葉があった。
――(佐為殿には頼れないような困ったことがおきたら、儂のところに来るがよい。
力になろうぞ)
頭の中に生々しく再生されたその言葉に、ヒカルはまるで、雷に打たれたかの
ような衝撃を受けた。
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まさか。
まさか、あの言葉は、このことを言っていたんじゃないだろうか?
ヒカルはよく覚えていないが、あの傷は、竹林に引きずり込まれて陵辱の限りをつ
くされたあの夜に、刻みこまれたものらしい。ヒカルにこの『印』を刻みこんだのは、
間違いなく座間と菅原だ。
だとしたら、座間は内裏ですれちがったとき、全てを承知の上で、あの言葉をヒカルに
吐きかけたのではないのか?
アキラの言葉によれば、あの『印』をなんとか出来るのは、それを刻んだ座間側の人間のみ。
つまり、座間の元にいけば、確かにこの状況をなんとか出来るかもしれないのだ。
ヒカルは、自分の頭の中にうずまく考えを整理するために、しばらく布団の中でじっと
していた。
そして心を決めた。
ヒカルは耳を澄ませる。
賀茂邸の中はひっそりとしていた。
そっと立ち上がって、自分の体にある程度は力が戻っているのを確かめる。
隣りの部屋を覗くと、アキラが書台につっぷして寝てしまっていた。
あたりには、ヒカルにはさっぱりわからない書物やら、占術に使うのだろう呪具が
散らばっていた。
さっきまでアキラが握っていたのであろう細い筆が1本、持ち主の腕をはなれて転がり
下に落ちて、床板の上に黒い墨の模様を作っていた。
しかたがないだろう。昨日、魔物に襲われたのはヒカルだけじゃない。アキラも
ヒカルをかばって必死に戦ってくれたのだ。
そのアキラの腕は、今はちゃんと手当てしてある。
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ヒカルは、この夜着のまま外に行くわけにいかないのに気付き、勝手に賀茂の家の
納戸をあさって、薄い縹色の狩衣と、明るい鼠色の指貫を拝借する。
そして忘れずに、自分の太刀を腰に履く。
ヒカルはもう一度だけ、アキラの部屋に戻ってその寝顔を眺めた。
座間はすでに、ここまで先を読んでいたのかもしれない。いや、この更に先だって。
(もしかして、あの竹林の夜以来、自分も、佐為も、賀茂も、座間の手の上で
踊っていただけなんじゃないだろうか)
ヒカルはそんな考えに襲われて、悪寒に震える自分の体を抱きしめた。
でも、後には引けない。
これが座間の望んだ展開なのだとしたら、奴が最終的に何を求めているのか、
自分が確かめなくてはならない。佐為の命か。アキラの命か。あるいは自分の…。
「賀茂。お粥、美味しかった」
ヒカルは、一言つぶやいて、アキラの部屋を後にした。
翌日、佐為は内裏で信じられないものを目にした。
取り巻きと衛士を引きつれ、5人ほどでゾロゾロとそぞろ歩く座間一行、
その取り巻きの中、座間のすぐ後ろにうつむきながら歩く少年の見慣れた金茶の前髪。
思わず足が止まった。
少年の手首に、傷の手当てをしたらしい布が巻かれていた。
そこにはまだ新しい血が僅かに滲んでいるのが見える。
「ヒカ…」
「おやおや、佐為殿、ご機嫌はいかがかな」
呼びかけた佐為の言葉を座間が遮った。
「ほう、佐為殿、何やらお顔の色が悪いようじゃが、大丈夫であられるかの?」
「近頃は風邪が流行りのようじゃ。お気をつけ召されよ」
菅原が笑い、座間も上機嫌で扇で顔を仰ぐと、佐為の方を何やら意味あり気な目で
見ながら通り過ぎた。
検非違使の少年も、それにならって、うつむいたまま足早に佐為の横を通り抜ける。
――ヒカルはついに、一度も佐為の方を見なかった。
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