日記 73 - 75
(73)
分かれ道にさしかかった時、別れがたくて、暫くそこで立ち話をした。どうでもいいような
話を…。ヒカルも同じ気持ちらしく、アキラの言葉が途切れると、慌てて、別の話題を
振ってくる。このまま一緒に連れて帰りたかったが、ヒカルは、祖父と約束があると
言っていたので、今日は誘っても来ないだろう。
いつまでも、こうしていても仕方がないと思ったのか、ヒカルが名残惜しそうに別れを
告げた。
「じゃあ、塔矢。また、電話するよ。」
ヒカルが走った。明るい金茶の前髪が跳ねて、沈みかけた陽の光に透けて見えた。
ヒカルは、振り返って、大きく手を振った。
「塔矢――――っ これサンキュウな!」
手の中には、花火の筒がしっかりと握られている。そして、また駆け出す。
アキラは、ヒカルが見えなくなるまでその場で見送った。ヒカルの髪を輝かせていた
太陽もすっかり沈み、空は薄紫から濃紺へのグラデーションを映していた。
ヒカルに夏はよく似合う。花火、風鈴、海…。今度は、二人で海に行ってみたい。今年の
夏には間に合わないかもしれないけれど―――――歩きながら、楽しい計画が色々と
頭に浮かんだ。お互い忙しいので、実現する可能性はかなり低いが、でも、こうして
考えるだけでも楽しかった。
(74)
アキラには同じ年頃の友人はいない。強いて上げるなら、ヒカルだが、アキラにとって、
ヒカルは友人ではなく恋人だ。親しい人たちは、自分よりずっと年上だし、アキラを
可愛がりこそすれ、対等に見てはくれない。碁のことを抜きにすれば、自分は彼らに
甘やかされていると思う。
だから、友達同士の付き合い方や、遊び方が、よくわからない。
どうすれば、ヒカルを喜ばせることが出来るのか――――いつも、考えてしまう。
さっきの花火にしてもそうだ。ヒカルの喜ぶ顔が見たかった。
進藤があの花火を知っていたのは、ちょっと残念だったな……
それでも、十分嬉しそうだったのだが…。そう言えば、花火大会をしたと言っていた。
その時、誰かが持ってきていたのだろう。
アキラは、ふと和谷のことを思い出した。いつも、挑むような目をして、自分に突っかかってくる
ヒカルの一番の友達。ヒカルと同じように、夏がよく似合いそうだ。どうして、彼は
自分を敵みたいに見るのだろうか。アキラは、和谷に嫌われるようなことをした覚えはない。
和谷だけではない。いつも、自分は人に嫌われる。その理由はわからない。
だから、誰からも好かれているヒカルが、自分を好いていてくれることがものすごく嬉しい。
碁のことだけを考えて、それ以外の世界をアキラは知らなかった。ヒカルを知ってから、
世界が開けたような気がする。ヒカルがアキラを知って変わったように、アキラもヒカルを
知って変わった。変わるのは悪いことじゃないと、ヒカルは言っていた。自分もそう思う。
子供っぽいこと言ったり、拗ねたり、嫉妬したり、強引だったり。
―――――それから、大声で笑ったり……。
およそ、今までの自分では考えられないことばかりだが、それが楽しい。
「早く大人になりたいんだけど…当分無理かな…」
今度、いつ、ヒカルに会えるのか…その時、一緒にあの花火を打ち上げよう。とても楽しみだ。
(75)
風呂上がりの濡れた髪を拭きながら、ヒカルはチェストの上に飾ったカエルのぬいぐるみを
手に取った。
それから、リュックの中から、アキラにもらった花火を取り出し、それと交互に見比べる。
「へへ…」
自然と笑みが零れた。和谷のくれたカエルは、オーソドックスなグリーンだ。ヒカルは、
花火の筒を電灯に透かしてみた。
「見えるわけねーよな。」
カエルの色は、皆同じなのだろうか?それとも、いろんな種類があるのだろうか?
アキラがくれたというだけで、こんなに嬉しいなんて…。
「いつ、会えるのかなぁ…」
夏が終わる前に、これを打ち上げる機会があればいいのだけれど、アキラの都合はどうだろう。
チェストの上に、二つを並べた。そして、生乾きの髪のままベッドの上に、ごろりと
横になった。
目を閉じて、アキラのことを想う。アキラは、あの風鈴を吊しただろうか?この部屋を
吹き抜ける風が、同じようにアキラの部屋の風鈴を揺らしているだろうか?そんなことを
考えている内に、いつの間にかヒカルは眠ってしまった。堅く澄んだ音が、遠くで
聞こえたような気がした。
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