光明の章 76 - 80
(76)
話の流れからすれば誰かに無理矢理犯され、それをネタに脅迫されていると考える
のが自然だが、和谷を戸惑わせているのは紛れもない、ヒカルの嬌態だった。
あれが、暴漢に襲われている人間の顔なのだろうか。もしそうだとすると、ヒカル
は見知らぬ男だろうと誰であろうと抱かれれば最終的には腰を振り、恥も外聞もな
くよがり狂う“好き者”ということになる。
あの映像は、そう誤解させるだけの説得力があった。
─そんなはずはないと和谷は首を振る。
和谷の知るヒカルは相手を選ばぬ性行為に溺れるような男ではないし、そんな快楽
主義者のような一面があるなどとは思いたくも、信じたくもなかった。
「まさか進藤……カラダ売ってるとか……」
思わず口をついて出た言葉に、和谷自身が驚いた。昨夜から何度も何度も思い浮ん
では、その度にありえない、と打ち消してきた疑惑だった。
ヒカルの肩がピクッと揺れる。肯定も否定もしない。ただ、険の有る顔で和谷を見
ているだけだった。
己の不用意な発言がヒカルの形相を鋭くしたのだと気付いた和谷が、すぐさまヒカ
ルに頭を下げた。
「ゴメン!言って良いコトと悪いコトがあるよな…」
「別にそれでもいいよ」
吐き捨てるように言いながらヒカルが立ち上がる。リュックを掴み、帰る様な素振
りを見せた。
「待てよ!それでもいいってどういう意味だ」
「カラダ売ってるって、そう思われても仕方ねーなって意味。あんなの見られちゃ、
今更どんな言い訳も通用しないしな」
怒りに支配されていたヒカルの表情がふと緩み、口許からハハ、と乾いた笑いが漏
れた。弾かれたように和谷も立ち上がり、離れかけたヒカルのシャツを掴んだ。
「言い訳も何も、お前、まだオレに何にも話してねェじゃんか!弁明でも釈明でも
いいからしろよ!してみせろよ!」
「いいんだよもう!」
「よくねーよ!だって、脅迫されてるんだろ?」
「……されてないよ、マジで」
それだけは本当なので、ヒカルは本音が伝わるようにゆっくりと発音した。
「でも」
和谷はヒカルの両肩を軽く揺さぶった。
「これから何かあるかもしれない。今日あたり同じ物が家に送られてたら、お前ど
うするんだよ」
「オレんちに届けたってCD−Rなんか誰も見れねーもん」
「そういうこと言ってんじゃねーよ!!」
茶化そうとするヒカルの言葉に和谷はカッとなり、強い力でヒカルを突き飛ばした。
「──ッ!」
押されてバランスを崩したヒカルの体が後ろに二、三歩によろめき、そのまま地面
に尻をついた。その際、右側の腕をタンク下のコンクリートに強打したらしく、ヒ
カルの手の甲が擦り剥け、薄く血が滲んでいた。
「進藤!!」
和谷は慌てて駆け寄った。
(77)
「大丈夫か!」
「ちょこっと擦っただけだ。こんなの舐めときゃなお──」
ヒカルが言い終わらぬうちに和谷はしゃがんでその手を取り、傷口の血を舐め取っ
ていた。予期せぬ舌の生温かい感触に、ヒカルの体が一瞬震える。
震えを怯えと勘違いした和谷の手がヒカルの体を抱き締める。この小さな体を守る
のはいつでも自分でありたいと、胸の内で叫びながら。
ふと、和谷が息をついた。
「…お前さ、誰がやったかわかってて、それでも相手を庇ってるんだよな」
「ちが、う」
「じゃあ相手の名前を言えよ…言えないんだろ」
「……庇ってるわけじゃないけど、言えない。これはオレの個人的な問題だし、和
谷には知られたくないことばっかで我ながらイヤになる。だから、正直和谷には
これ以上立ち入って欲しくねェ」
「もう無理だ」
「都合の良い事ばっか言ってて悪い…でも、お願いだから忘れてよ」
殊更明るい調子で和谷を宥めようとするるヒカルの言葉に、和谷は目を閉じて静か
に首を振った。強がる細い肩をさらにきつく抱き、離れ難い想いを指先に込め、立
ち入るなと言うヒカルの真意を汲み取ろうとしない。
これでは埒があかないと和谷の体を押し戻そうとした時、ヒカルは奇妙なことに気
が付いた。
“オレんちに届けたってCD−Rなんか誰も見れねーもん”
咄嗟に口をついて出た言葉だったが、よくよく考えてみれば、ヒカルの家にパソコ
ンがないことなど越智は当然知っていたはずだ。家庭用ビデオテープならば話は分
かる。それなのに、越智はわざわざCD−Rという媒体をヒカルに寄越した。
まさか、とヒカルは息を呑んだ。
──アイツはオレが和谷の家で見ることを予測してた?
アレを和谷に見られたのは、成り行き上避けられない事故だったとヒカルは思って
いた。だが、実は偶然ではなく、そうなるように仕向けられた罠だったとしたら?
越智は最初から、ヒカル一人の力では見る事が出来ないと分かっていたのだ。ヒカ
ルが誰を頼り、どこで映像を目にするかまで想定した上で、行動を起した──。
ヒカルは和谷の体を勢いよく突き放した。
「もうやめよう」
「進藤?」
越智の狙いが自分と和谷の仲を壊すことなのだとしたら、こんな場所でむやみやた
らに言い争う状態は、まさしく相手の思うツボじゃないか。
「頼むから、この問題にはこれ以上関わんなよ。オレ、和谷とはずっと友達でいた
いんだ、だから」
「友達?何の相談もしてもらえず、力にもなれない。こんなんでも友達って言える
のかよ」
「そういう意味じゃないって」
「わかったよ!」
和谷の顔が間近に迫る。瞳の暗い翳りを、ヒカルは見逃さなかった。
(78)
「もうオレは必要ない、そういうことだよな」
「和谷、あのさ」
「やめる」
ヒカルの顔を両手で包むように持ち上げ、和谷は目を伏せながら低く呟いた。
「友達やめるよ。だから──」
そのまま目を閉じ、ヒカルにキスをする。唇はすぐに離れたが、和谷はヒカルを解
放しようとはしなかった。
「カラダだけでいい。友達でいられないんなら、お前の気持ちなんて」
どうでもいい、と言おうとしたが、出来ずに和谷は唇を噛んだ。湧き上がる敗北感
を素直に認めてしまえばすぐに楽になれる。そう知りつつも、ヒカルを誰にも渡し
たくなくて、今日まで突っ張ってきたのだ。簡単に身を引けるはずがない。
一瞬の隙をついてヒカルの口を片手で塞ぐと、和谷はヒカルを体ごと地面に押し倒
した。その拍子に後頭部を打ち付けたのか鈍い音と共に、ヒカルの顎が反り返る。
苦痛に顔を歪めるヒカルの細い喉に、和谷はそっと手をかけた。
「こんなに好きなのに、時々滅茶滅茶にしてやりたくなる。なんでだろうな」
首を締める手に力が入る。
「…独り占めできないんなら、いっそここで…」
「わ…や」
ヒカルは和谷の手を引き剥がそうと、指に渾身の力を込めた。反発するように和谷
の指がヒカルの喉に食い込む。気道を圧迫され、ヒカルはうまく呼吸が出来ない。
遠くなりかける意識の中で、ヒカルは和谷の腕から手を離し頭の上を探った。その
手に、転がったままのリュックが当たった。ヒカルはそれを引き寄せると、反動を
つけて和谷の体に思い切りぶつけた。
コツンと何か硬いものが和谷のこめかみを直撃した。リュックの中の携帯が当たっ
たのだろうか、鋭い痛みに和谷がヒカルの首から手を離す。それを合図に、ヒカル
は身を捩って和谷の下から逃げ出した。
「待てよ!」
立ち上がりかけたヒカルの腕を和谷が掴む。ヒカルは内心ゴメン、と手を合わせな
がら、縋る和谷の体を足で蹴った。
「クッ」
脇腹を押さえて和谷がうずくまる。その隙にヒカルはリュックを担ぎ、梯子のある
場所へと急いだ。
和谷が尋常でなくなった原因は自分にある。だからこそ、ヒカルは和谷を責める気
にはなれなかった。CD−Rはきっかけにすぎない。アキラを選んでおきながら、
いつまでも和谷を突き放せない自分が悪いのだ。
とにかく越智がまだ階下にいる以上、今は和谷から離れた方がいい。和谷に全てを
説明できないもどかしさにイライラしながら梯子に手をかけたその時、ヒカルの体
がリュックごと後ろに引き倒された。
「行くな、進藤!」
「和谷、離せってば!」
するりとリュックから両腕を抜き、なおも逃げようとするヒカルの足を、和谷は払
うように蹴り上げた。
「うわっ」
倒されたヒカルの体が、コンクリートの上を音を立てて滑っていった。
(79)
「……いってェ…」
怪我をしている右腕を庇いながらという不自然な姿勢でヒカルは体を丸めていた。
肘、肩、腰、どこもかしこも痛い。倒れた際に擦ったのか、地面に接している箇所
がヒリヒリと火傷した様に熱い。
痛みに呻きながら足元に転がるヒカルを、和谷は憐憫の眼差しで見下ろしていた。
これから自分は、大切に守ってきた一輪の花を、己の欲望の赴くままに手折ろうと
している。罪の意識がないわけではない。けれど、眺めるだけでは飽き足らず、花
びらを散らしてみたいと思うこの気持ちも間違いなく愛なのだ。ヒカルには理解で
きないかもしれないが。
「…進藤」
和谷は屈んでヒカルの背を起した。ヒカルの後ろ髪を掴み、逃げないように固定す
ると、ヒカルの乾いた唇へ貪るように口づけた。久しぶりの深い口づけに流されそ
うになりながらも、ヒカルはどうにかして和谷から逃れようともがく。
「!!」
掴まれた髪を荒く引っ張られ、あまりの痛さにヒカルの目から涙が零れた。和谷は
気にせず、ヒカルの口内を舌で犯し続ける。息を継げないヒカルの喉が苦しげに鳴
ると、和谷はようやく口づけを解いた。音を立てて離れた唇から唾液が銀の糸のよ
うに筋を引いて流れ落ちた。
「…ばかやろう」
悔し紛れにそう呟くと、ヒカルは濡れた唇をボーダー柄のシャツで拭った。そして、
髪の毛を掴んでいる和谷の手を静かに引き剥がし、和谷の膝に戻した。
荒い呼吸を繰り返すヒカルを和谷はしばらく無言のままで見つめていたが、思いつ
いたようにヒカルの眦に唇を寄せ、溢れ出る涙を舌で拭い始めた。
ヒカルは小さく首を振り、その行為を拒んだ。そして一言も発しないまま立ち上が
り、和谷を振り切ろうとする。
和谷は反射的にヒカルの腕に手をかけ、引き止めた。
「離せってば!」
「ダメなんだ」
「え?」
「もう引き返せねェ」
ゆらりと立ち上がった和谷の目が、見たこともない濁りを帯びている。その不気味
な色に薄気味の悪さを感じ、ヒカルは痛めた体を庇いながら後退りした。
──知らない。こんなのは和谷じゃない。
痛む全身を引き摺りながら後退していたヒカルの背が、モルタルの壁に突き当たる。
ヒカルの手を握ったまま、和谷もゆっくりと、追い詰めた兎が逃げ出さないように
慎重に歩を進めていた。逃げ道を失ったヒカルの表情に初めて恐怖の色が浮ぶ。
「進藤、オレが怖いんだ?でもそんな顔しても、止めてやれない」
「和谷…おかしいよ、絶対変、だ…」
至近距離にある和谷の体を、ヒカルはこれ以上近づくなとばかりに掌で牽制した。
そんなヒカルの精一杯の抵抗を、和谷は淋しげな笑みで交わす。
「自分でもおかしいと思ってるよ。だけどアレ見てわかっちゃったんだ、お前が
──男と寝れる体だって」
絞り出された和谷の告白に、ヒカルの思考が一瞬停止状態になる。
「男とセックスしてるんなら、オレとも出来るってコトだろ」
(80)
和谷はその後圧倒的な力でヒカルを支配し続けた。
ヒカルの肩を壁に押さえつけ、噛み付くようなキスを繰りかえした。容赦なく迫り
来る暴力的な波の彼方に、澄んだ青空が見え隠れしている。
ヒカルは抵抗しなかった。和谷の言葉に、抵抗する気力を奪われたのだ。
いつかはこうなる日が来るかもしれないと思いつつ、ずっと和谷の優しさに甘えて
きた。ヒカルの面倒を見るその裏で、和谷が昂ぶる劣情を持て余していたことに全
然気付かず、と言うより、その件についてはあえて考えないようにしていた。
アキラを追うと決めた以上、和谷の気持ちにはどうしても応えてやれない。募る後
ろめたさから、何もかもこのままうやむやになればいいとさえ思っていた。
ヒカルが無邪気に振舞えば振舞うほど、和谷は一人で悶々としていたのだろう。
思えば告白されたあの日からすでに、和谷との関係は軋んでいたのだ。
「!」
空いた手がヒカルのシャツの下に滑り込む。突起を強くつままれ、前触れのない痛
痒い刺激が電気のようにヒカルの腰に走った。
叫びも喘ぎも恨みの言葉ですら漏らさぬよう、和谷はヒカルの口を塞ぎ、執拗に貪
り続けていた。舌で歯列を割り、逃げ惑うヒカルの舌を追いまわしては捕らえる。
「………ッ、ぁ…」
和谷は、軟体動物のようなヒカルの舌に一度歯を立て、すぐに丸ごと咥えた。舌先
を強く吸われる感触にヒカルの頭の中が真っ白になる。慌てて退こうとするヒカル
の顎を手加減のない力で押さえ付けると、和谷は分泌液すら残すまいと丹念に吸い、
きつく搾り上げた。開かされたままのヒカルの口の端から甘い唾液が零れ落ちると、
和谷は水に飢えた獣のように舐め取った。
思う存分堪能したのか、和谷はようやくヒカルの唇から耳朶へと愛撫の場所を移動
させた。生温かい舌が敏感な箇所を執拗に嘗め回す。熱い息のかかる音が快感の糸
を手繰り寄せる。耳朶を咥えられ、ヒカルは思わずああ、と声を上げてしまった。
体の奥で何かが少しずつ熱を帯び始める。
離れた場所の小さな疼きが束になり、中央へと移動し、更なる快感へと変化しよう
としている。ヒカルはその流れに逆らわなかった。
感じているというよりくすぐったさに身を捩るヒカルの体を、和谷は自分の片腕で
しっかりと固定した。もう片方の手でシャツをたくし上げ、胸元へと舌を這わす。
「──バ…ッ」
外気に曝され固くなった乳首を口に含み、甘噛みする。途端、ヒカルの膝が震え、
腰が滑り落ちた。覚えのある、一番弱い、それでいて気持ちいい感覚が甦り、自力
では立っていられなくなったヒカルの手が頼りなげに和谷の肩を掴んだ。
「わ、や……あぁ、」
「そっか、ココが気持ち良いんだな」
和谷は一旦そこから口を離すと、赤く染まった乳首を摘み、強く引っ張った。
「ンッ」
ヒカルの腰がさらに逃げるように落ちる。和谷はヒカルの感度の良さに驚きつつも
それを上回る喜びに浸っていた。
|