初めての体験 79 - 81


(79)
 佐為の声がヒカルにそれを告げる。ヒカルは、素直にその命令に従った。この出口のない
快感を何とかしてくれるのならば、ヒカルは、悪魔の命令にも従うであろう。そうして、
机の上のそのペンを取ると、再び、ベッドの上に這った。
 指でよくほぐされたそこは、簡単にそれを受け入れた。無機物の冷たい感触に、
ヒカルの身体は震えた。先ほどと同じように、ゆっくりと、そして、徐々に早く動かし
始めた。
「あ…ああん…いい…きもちいい……きもちいいよぉ…んん…」
ヒカルの口からひきり無しに、嬌声が漏れる。小さな尻が、大きく揺れた。
「はぁ…あん…ああ―――――――」
ヒカルは、二度目の精を放った。


 「佐為…すごくよかった…碁を打つとこんなにいいんだね…」
ヒカルの潤んだ瞳が、うっとりと佐為を見つめた。
「強い相手と打てば、もっといいですよ。」
「相手が強ければ、強いほど得られる物も段違いですからね。」
佐為は、愛おしげにヒカルを見つめ返した。
「強い相手と対峙するだけで、気持ちが高揚し、恍惚感が体中を支配するのです。」
 佐為の言葉は難しすぎて、ヒカルにはよくわからなかった。わかるのは、強い相手と
対局すれば、もっとすごい体験ができると言うことだけだ。
「強い相手?塔矢みたいな?」
「ええ…塔矢でも塔矢の父親でも…とにかく強い棋士と一局でも多く打つことです。」
ヒカルは、先ほどの余韻に浸りながら、目を閉じた。
「オレ…塔矢と打ちたいな…打てるかな…」
「きっと打てますよ。ヒカルは、今よりもっと強くなりますからね。」
佐為の力強い言葉に安心して、ヒカルはそのまま眠ってしまった。そのあどけない寝顔は、
佐為を信頼しきっていた。

 ともあれ、この一件で、ヒカルの碁に対する認識と情熱が、ひどく歪んだ物になったことは
間違いなかった。




――――――パタン、とシステム手帳を閉じた。
 ヒカルは、手帳を鞄の中にしまうと、そのまま、鞄を肩に背負った。
「佐為……オレ頑張っているからな……」
ヒカルはそう呟くと、神の一手を目指すべく、対局場へと向かった。

<終>


(80)
 佐為の指導のもと、ヒカルの腕はめきめきと上達した。もう、囲碁部の連中では、
てんで相手にならない。あの加賀でさえもヒカルは籠絡した。
 囲碁大会でのアキラとの一戦が、ヒカルの闘志に火をつけたのだ。
―――――――ふざけるな!
ヒカルを怒鳴りつけた時のアキラのあの眼―――――思い出してもゾクゾクする。
ヒカルを見ようともせず、去っていった後ろ姿。
 絶対、振り向かせて見せる。ヒカルは、そう心に誓っていた。


 そして、今、ヒカルは碁会所で岸本と向かい合っていた。たまたま入った本屋で岸本に
会い、対局を持ちかけられたのだ。
 『これはチャンスだ』と、ヒカルは思った。上達したとはいえ、ヒカルは、自分の実力が
今一掴み切れていない。岸本と一局打って、自分の今の棋力を確かめるつもりだった。


(81)
 負けた………。
強くなったと言っても、やっぱり岸本には勝てないのか。これじゃあ、塔矢と打つなんて、
夢のまた夢だ……。
 ヒカルは、泣きたくなってしまった。自然と俯いてしまう。ふと、視線を感じて顔を
上げると、一瞬、岸本と目があった。岸本は、すぐに視線を逸らした。気のせいか、頬が
赤らんでいるように見える。
 実際、岸本はやや冷静を欠いていた。碁盤に向かうヒカルの真剣な姿。勝負がついた後の
情けない泣きそうな表情。自分を見つめる大きな瞳。ヒカルの一瞬の表情の全てが、自分の
心に突き刺さってくる。自分でも、説明できない感情が湧き上がってきた。
 それを隠すために、アキラのことを話し続ける。ヒカルにとっては、少々耳の痛い話題も
混じっていた。

 「ヒカル…これは良い機会です…」
ヒカルの傍らに佇んでいた佐為が、声をかけた。ヒカルは、視線だけを後ろに向けた。
「この少年、どうやらヒカルに気がある様子…あっちの方も試して見ませんか?」
「え…でもぉ…」
ヒカルは気乗りしない。だって、今、負けたばかりなのに…。そんな気になれない。
「何を言うんです!強くなるためには、一局でも多く打ちなさいと、いつも言っているで しょう?強くなりたくないのですか?」
「強くならなければ、塔矢は歯牙にもかけてくれませんよ?」
その一言でヒカルの腹は決まった。



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