浴衣 8 - 10


(8)
ああ、もう取り返しがつかない……と、凪いだ気持ちで僕は思った。
僕も進藤も、言葉にしてしまった。
認めてしまった。
お互いの気持ちを―――――。

取り返しがつかないと思う一方で、歓喜が血管を流れ、体中をめぐる。
徐々に火照っていく体に、文字通り水が刺したのはその時だった。
パシャっというどこか可愛いらしい破裂音がした。と、同時に右足に水がかかった。
「ヨーヨー……」
進藤が呟いた。
ヨーヨーだった赤い風船が、地面に無残な形となって落ちていた。
「割れたんだ……」
「塔矢の足、濡れてる」
進藤は、口のなかで呟くと、僕の右足から下駄を奪う。そして、しゃがんでいる自分の膝に僕の右足をおくと、乾いているシャツの裾を手にした。
拭いてくれようとしていることがわかった瞬間、すまなく思えて足を取り返そうとした。が、進藤はそれを許してくれなかった。
彼が両手で僕の足を挟んだ。
濡れた足に、熱く湿った柔らかい感触が走った。
「あ……しん……!」
ぴちゃりと音がした。
肌に残った水を求め、進藤の舌が動く。
進藤に掲げられ、すべる水滴を進藤の唇が捕らえる。



分岐点  「このまま」  「分岐 青


(9)
「しんど……やめ………」
僕は動転していた。
進藤のくれる感覚は、一ヶ月前僕を支配した感情を呼び覚ます。
「いやだ、…進藤」
口では抗えのに、体は動かない。
進藤のなすがまま、すべてを受け入れている。
感じている。
許している。
「ふぁ……っ、………」
進藤が僕の足の親指をしゃぶっている。
やめて欲しい。
でも、間違いなく僕はこのふれあいを悦んでいた。
体も心も歓んでいた。
「ん……」
進藤の舌が、指の股を舐め上げたとき、僕は甘い声を漏らしていた。
それに励まされたのだろうか、進藤の左手が、浴衣の裾からしのびこみ、這いあがっていく。
「進藤―――!」
彼の指が、僕の肌に消えない熱を残していく。
ぞくりと背筋に快感が走った。
進藤は、僕の足指を咥え、舌を絡めながら、なんとも言えない瞳で僕を見つめている。
彼が欲しているものを、僕は理解した。
それは、僕も欲しているものだった。
僕は手を伸ばし、進藤の髪に指を忍ばせた。
彼の唇が、指を追い、滑っていく。
足の甲の水滴を舐め取り、舐めあげる。
かりっと踝に痛みが走った。
進藤が歯を立てたのだ。
僕の下腹部に熱が集まる。
僕は、少し強引に足を引くと、地面におろし、立ち上がった。
「進藤……、帰ろう」
僕は深い酩酊のなかをさまよう心地でそう告げていた。
手を繋ぐ代わりに、肩を触れ合わせるようにして、僕と進藤は歩き出した。
その間、交わす言葉はなかった。


(10)
「じゃあ、8時までに戻りますから、お留守番していてね」
母はそう言い置いて、父と連れ立ち出かけていった。
頼まれていた朝顔を忘れたことを告げると、母は「困った人たちね」と言いつつも、どこか嬉しげに父に縁日に行きたいんですけどと、お伺いを立てていた。
両親は、僕の目から見ても仲がいいと思う。
二人が角を曲がり視界から消えると、僕は静かに玄関の戸を閉ざし、鍵をかけた。
「髪を洗いたい」
僕はそう言うと、進藤を見つめた。それだけで進藤は僕のいとを察してくれたのだろう。
小さく頷いた。
人のいない家の中は、ひっそりと静まりかえっていた。
僕は進藤を風呂場へと案内した。
ドアを開くためにノブを握った手が、小さく震えていた。
内戸が開けっ放しだったから、脱衣所のところまで湯気で真っ白になっていた。
進藤が、裾の濡れたアロハを落しTシャツを脱いだ。
「進藤……」
いきなり、目の前に現れる進藤の背中。華奢なようで、しっかりと筋肉のついたきれいな背中に、そっと唇を寄せていた。
すると、進藤が振り返った。
僕の悪戯に振り返った進藤が、あの熱を帯びた瞳で僕の瞳を覗き込む。
「やっと二人きりになれた」
自分自身望んだ事なのに、改めてそう言われると、僕はかなり恥ずかしくなって、進藤の視線を避けていた。すると、ギュッと裸の胸に抱きしめられてしまった。
「塔矢……、そういう可愛い仕草を、他人に見せんなよ」
「可愛い?」
「おまえのこと狙ってる奴って、結構多いんだよ」
「なんだよ、それ。進藤の考え過ぎ……」



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