sai包囲網 8 - 11


(8)
 悪いヤツじゃないんだよなとヒカルは思う。いつもこうやって笑って
くれればいいのに。オレなんて愛想良くして貰えたのは、最初に対局す
るまでの話で、その後はいつも怒ってるか無視されるかだもんな。
「遠慮しないでお茶をどうぞ。もしかして、猫舌なの?」
「あっ、そうじゃなくってさ。どうせならお前の部屋に行かないか。何
だかここじゃ落ち着かないんだよな」
「いいよ」
 急須と茶碗、お茶受けを盆に戻したアキラに奥の部屋へと通される。
畳敷きの部屋に勉強机と本棚、箪笥。ごちゃごちゃともので溢れ返った
自分の部屋と違い、余計なものが全然置いていないように見える。それ
はいっそ潔いほどで、さすが塔矢だよなぁと、ヒカルは変なところで
感心してしまった。
 ただ一つ目を引いたのは、机の上のパソコン。ヒカルの視線を追った
アキラがあぁと頷いた。
「二年前、それでsaiと打った」
 ヒカルははっとしてアキラを振り返る。
「べ、別にそういうつもりで見てたわけじゃねぇよ。パソコン、持って
るんだなって・・・」
「君は、持ってないんだ」
「あ、うん」
「だから、ネットカフェ?」
「わ、悪いかよ!」
「あの夏休み中、ずっと?」
「ずっとってわけじゃ。あの日だってたまたまお前と会っただけだし」
「ふーん、本当にそうかな」


(9)
「な、何が言いたいんだよ?」
 思わず身構えたヒカルに、アキラはふっと表情を和らげた。まるで出
来の悪い子供に向けるようなしょうがないなという眼差しが、ヒカルは
居心地が悪くて仕方がない。
「あのときボクは、saiのことはもういいと思って、あれ以上調べる
ことはしなかったけど。今からでも遅くはないよ」
「調べるって、何を?」
「そうだな。最初はやっぱりあのネットカフェからかな。君があそこを
利用した日にちと時間、saiがネット上に現れた時間を照らし合わせ
てみたら、おもしろいことが分かるかも知れないね。それに、従業員や
客の誰かが君がネット碁をやってるところを見ていた可能性もあるね」
 言われてすぐに思い浮かんだのは、三谷の姉だった。彼女がまだあの
インターネットカフェでアルバイトをしているかどうかは分からないが、
パソコンの使えないヒカルに代わって、二度チャットに書き込みをした
のは他ならぬ彼女だ。一見の客ならともかく、足繁く通ってきた弟の友
達を覚えてる可能性が高い。
 当時の葉瀬中囲碁部のメンバー。筒井と三谷、そしてあかりもヒカル
がネット碁に嵌まっていたことを知っている。おまけにヒカルはそのこ
とを口止めも何もしていないのだから、彼が本気で調べる気になったら、
saiと自分の接点を簡単に見つけられてしまうかも知れない。
 ヒカルは身体の脇に垂らした両手をぎゅっと握り締めた。
「例え、俺がネット碁をやってたとしても、そんなこと。塔矢には関係
ないだろ!」


(10)
「関係がない?」
「そうだよ。塔矢はいつもそうやって、オレの先回りをして勝手に決め
つけたり、追いかけ回したりしてるけどな。そんなことする権利なんて、
塔矢にはないだろ!」
 自分はsaiではないと何度言っても信じてくれないアキラに本気で
腹が立って来る。確かに自分は佐為の代わりにネットで碁を打ったが、
イコールsaiではない。嘘はついていない。勝手にそう思い込んでる
アキラが悪いんだ。
「調べたかったら勝手にしろよ。オレ、帰るからな!」
「待て、進藤!」
「離せよ!」
 引き止めようと腕を掴むアキラと、それを振り払って部屋から出て行
こうとするヒカル。一進一退の攻防は、それでも僅かに体格と力に優る
アキラに軍配が上がった。
 細い両肩を引き寄せられ、そのまま力任せに畳の上へと押し倒される。
どすんと鈍い音。ヒカルは後頭部と背中に痛みを感じて、低く呻いた。
 今まで散々「ふざけるな!」と怒鳴られることはあっても、あの塔矢
アキラが腕力に訴えて来るなんて思わなかった。
「痛ぇなぁ、もう」
 まだずきずきと痛む頭に眉を寄せながら振り仰いだアキラの表情に、
ヒカルはぎょっとした。乱れた黒髪の間から覗くアキラの眼が、まるで
狩りをしている肉食動物のように鋭くこちらを見据えている。ヒカルは
自分がその爪にかかった小動物に思えて、知らず知らずのうちに身震い
をしていた。
「怖い?進藤」
「こ、怖かねぇよ!」
「じゃあ、何で震えてるの?」
「これは、た、ただの武者震いだって」
 精一杯の虚勢を張って身を捩ろうとするが、うまく肩に体重を乗せら
れて、まったく身体が動かない。
「お前、いったい、どういうつもりなんだよ?」


(11)
「いくら口で言っても君が本当のことを話してはくれないみたいだから、
聞き出す手段を変えようと思っただけだよ」
「手段って・・・」
 まさかぼこにされるんじゃと、ヒカルは青くなる。碁盤より重いもの
を持ったことがないように思えるほど繊細なアキラの手が、こんな凶行
に及ぶなんて考えたくもない。まだ、囲碁を始めて間もない頃、憧れた
指が一つに握られて、自分を殴りつけたりするんだろうか。
 思わず目を閉じて身を竦ませたヒカルに、アキラはその耳元に口を寄
せて呟いた。
「違うよ、進藤・・・」
 何か柔らかいものに口を塞がれた。驚いて開いた視界いっぱいに広が
るのは、ぼやけた肌色。それがアキラの顔だと気づくのに数秒、あっと
息を飲んだ途端、口の中に進入してきたものに舌を絡め取られる。んー
んーとしか抗議の声を出せない間に、思うままにまさぐられ、ぞくぞく
とした感覚に不覚にも目尻に涙が滲んで来る。
 胸元までたくし上げられたトレーナーの下に忍び込んで来たアキラの
手が、二つ並んだ薄桃色の胸の先端に触れたとき、やっと何をされよう
としているか、ヒカルは気がついた。
 ヒカルの唇を解放したアキラは、顎から首筋のなだらかなラインを辿
って愛撫を続ける。その下でじたばたと抵抗を続けているヒカルだが、
いっこうにカーディガンを纏ったアキラの肩を押し返せないでいる。
「と、塔矢!やめろって!」
「君がsaiのことを素直に話してくれれば、すぐにやめてあげるよ」
「俺は、saiなんて、知らないって、言ってるだろっ!」
「なら、無理矢理にでも聞き出すだけだよ」
 再び顔を伏せたアキラは、立ち上がりかけた胸の飾りを口に含み、舌
先で刺激してきた。びりびりと感電したような感覚に、ヒカルは動きを
封じられた身体を、それでも何とか反らせて上へずれて逃げようとする。
その動きを読んでいたかのように、僅かに空いた隙間からアキラの手が
差し入れられ、ジーパンの上から下腹部の辺りを探られた。



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