夜風にのせて 〜惜別〜 8 - 11


(8)


「ねぇ明さん。私、明さんと一緒に写真が撮りたいです」
明への未練から、ひかるは初めておねだりをした。
「…写真ですか? そうですね。ボクもひかるさんとの写真が欲しいです」
「それでは今すぐに撮りに行きましょう」
自分に残された時間が残り少ないという焦りから、ひかるは自分が無理なお願いをしてい
ることに気付かない。
「でもこんな朝早くに写真館なんてどこも開いてませんよ」
いつもとは様子が違うひかるを不思議に思った。
「それならそれまで一緒にいることって…できませんか?」
「一緒にですか?」
明は驚く。今まで一度だってわがままなど言わなかったひかるが、こんなにも懇願する姿
は初めてだった。写真ならいつでも撮れるのに、ひかるはいったい何を急ぐのだろうか。
事情を知らない明は、朝が来ればひかるに会えるということが永遠に続くと思っていた。
「お願いです。一生のお願い。もう、わがままなんて言いませんから」
ひかるの懇願に動揺しつつも、明は冷静に応じた。
「今日は学校に行く日ですし、夕方なら時間をとれますが、それからではだめですか?」
明の冷静さに、ひかるは自分がとんでもないことを言っていたのだと気付いた。
「そうですよね。…わがまま言ってごめんなさい。今のはなかったことにして下さい」
ひかるはそう言って俯くと、マフラーを握り締めた。
「これ、大切にします」
そう言って去るひかるの後ろ姿がとても儚く見えて、明は不安になった。
「ひかるさん、ボク、今日の6時に駅前の写真館で待っています」
明はそう言った。そうでも言わないと、もうひかるに会えないような気がしたからだ。
「わかりました…」
ひかるは振り向くことなくそう言って去っていった。


(9)


写真館の前で明はもう一時間近く待ち続けていた。
ひかるのことが心配で早めに着てしまったのだ。あの寂しげな後姿をずっと見送っていた
明は、ひかるを傷つけてしまったと後悔していた。ヒカルの身に何かが起こったのは確実
だった。それなのに自分は突き放してしまった。もしかしたら来ないのかもしれない。そ
んな不安が明を襲う。
その時黒塗りの大きな外車が写真館の前に止まった。
明はその車を見る。するとそこから赤いロングドレスに高級な毛皮のコートをはおった女
性が紳士風の若い男性に連れられて出てきた。
明はその女性をじっと見つめる。高貴で華やかでありながら妖艶な美しさをもつ女性に、
思わず見惚れてしまったのだ。
その視線に気付いたのか、女性が明の方を向いた。明は失礼なことをしてしまったと目を
そらした。
「お待たせしました、明さん」
聞き覚えのある声に、明は顔を上げる。それはひかるの声だった。
「…もしかして、ひかるさん?」
明は驚愕しながらその女性を見入った。その驚きぶりにひかるは思わず微笑んだ。


(10)


「驚きました。女性って化粧や服装でこんなにも変わるものなんですね。ひかるさんが新
宿のクラブで歌っているとは聞いていましたが、普段はボクより年下に見えるくらい幼か
ったから、てっきり冗談だと思っていましたよ」
明は驚いてひかるを見つめる。ひかるはどう見ても、自分の知っている可憐な少女ではな
かった。自分との記念撮影のために、はりきって着飾ってきたのだろうか。明は喜んだ。
「そうですね。明さんに会う時は、化粧とかしなかったですからね。寒かったでしょう? 
 中へ入りましょうか」
そう言うと連れの男性が写真館の扉を開けた。
ひかると明は中へ入る。
その姿を男性は悲しそうに見つめた。


(11)

十一
「それでは撮ります」
その声に明とひかるは背筋を伸ばした。写真を撮られるのに慣れていないせいか、二人とも表情が硬い。
「せっかくの記念写真ですから、肩の力を抜いてもっと笑ってください」
あまりの緊張ぶりにカメラマンから言われる。ひかるはドレスの裾がきれいに見えるよう
整えたりして気を紛らわせた。
「椅子を御用意致しましょうか。その方がこのドレスの場合綺麗にうつりますよ」
カメラマンに言われ、ひかるは用意された椅子に腰掛けた。そしてドレスや髪の毛を整え
たりする。その姿を明はじっと見惚れていた。
「どうかしました?」
ひかるに言われ、明は我に返った。
「すみません。あまりにも綺麗なんでつい」
「もう、明さんたら、やめてくださいよ」
ひかるは顔を赤らめた。それは間違いなくいつものひかるだった。それに明は落ち着いた
のか、ひかるの肩にそっと手を置いた。一瞬ひかるの体が硬直する。
「いい記念写真にしましょうね」
明の言葉にひかるは頷くと、満面の笑みを浮かべた。
緊張などなくなり、いつもの二人に戻る。その姿は見ていて恥ずかしくなるほど初々しい
もので、周囲の人々も微笑ましく二人を見つめた。
「それでは撮りますよ。カメラのレンズを見てくださーい」
ひかるは今までにないくらい最高に幸せそうな笑みを浮かべた。



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