平安幻想秘聞録・第二章 8
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まるっきり背中を向けるのも何なので、身体を横にし、なるべく俯く
ようにして、ちらりと男の方を見る。ヒカルが面を上げても、約束通り
こちらを見ないようにしてくれているらしい。
扇子で自身を扇ぐ姿もどこか品がある。身分の高い者なら、検非違使
である近衛と顔見知りということもないだろう。ヒカルは少しほっとし
て肩の力を抜いた。もっとも、ヒカルに袍(うえのきぬ)の色彩につい
ての知識があれば、相手の身分はすぐに分かったのだが。
男は別段ヒカルを気にすることもなく、ほろ酔いの気分に浸っている
ようだ。が、ヒカルが小さく息を吐いた拍子に、男がついというふうに
こちらに目をやり、そのまま絶句したのが見てとれた。
うわぁ、やっぱり知り合いなのかよ。焦りまくるものの、動くことの
できないヒカルに、男が片膝を立てて、こちらに身を乗り出した。
「そなた・・・」
今の今まで、たおやかな雰囲気を纏っていたのが嘘のように、相手の
表情が変わっていた。例えは悪いが、幽霊か死人でも見たような驚き方
だった。いや、それにしては、男の顔は青ざめる代わりに、赤く上気し
ている。首を傾げるヒカルに、また一歩、詰め寄って来る。
「そなた、名は何と言う?主人は、どなただ?」
先程、訊くのは野暮と雅に言って退けたのが、当の本人とは思えない
ような台詞だった。
「オ、オレは・・・」
「さぁ、名を、名を教えておくれ」
いく分、優しげにかけられた問いに、ヒカルがどう答えようかと視線
を逸らしたとき、男の背後から声高に誰かを呼ぶ声が聞こえた。
「・・・さま!どちらにいっらゃいますか?」
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