初めての体験 8
(8)
ヒカルは一日の締めくくりに日記を書いた。日記と言っても、システム手帳に
その日の出来事を簡潔に書くだけだ。誰と会ったとか、どこへ行ったとか
そういうたわいもない物を日付の下に簡単に書き記す。
特別なことがあった時は、別のページに感想を入れておく。その感想も
シンプルだ。
ヒカルは棋院に行ったとき、ちょうど棋院から出てくる桑原に会った。
桑原は本因坊で、ぺーぺーのヒカルにとっては雲の上のような存在の老人だ。
その老人に向かってヒカルは軽く会釈した。
桑原は通り過ぎようとして足を止めた。そして、目を細めて、何か思案するように
ヒカルを上から下まで眺めた。
ヒカルは、じろじろ見られて、居心地が悪かった。もう一度深くお辞儀を
してその場から去ろうとしたとき、桑原が話しかけてきた。
「小僧、お前今から暇か?飯でも食いにいかんか?」
思いがけない言葉だった。ヒカルは躊躇した。どうして、本因坊と呼ばれる
この老人が自分などを誘うのだろう。
「すみません。囲碁ジャーナルの天野さんに呼ばれていて。」
「彼にはわしから言っとくよ。それならいいじゃろ?」
老人の言葉はヒカルに有無を言わさなかった。ヒカルはこの小さな老人の威圧感に
圧倒されて、黙って後をついていった。
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